誰かに助けられることも、誰かを助けることと同じように愛を学ぶことができますよ。
今日は(ってもう日付変わっちゃったけど)棚卸でした。
毎年、お客さんたちに手伝ってもらってます。今年もたくさんの人に手伝ってもらいました。(こちらでお世話になっているよーしーさん、biei_ktさんにも手伝って頂きました。お二人ともホントありがとー。)
私、1年のうちで一番棚卸が苦手な仕事です。棚卸本番っていうより、棚卸を手伝って、って人にお願いするのが苦手。すごいストレス。
でも一人ではできない量だから、頼まざるを得なくて…。
「人には助けてもらってください。助けを求めてください。」
うん。それを苦手だって思う人は多いと思うんですよ。誰かに手伝ってって言えない人はたぶん多い。
「どうしてですか?」
負担をかけるってことが心苦しいです。棚卸だってみんな疲れてると思うし、忙しいと思うし。
「もしあなたが頼まれる側だったらいかがですか?」
普段のお付き合いによる、かなぁ。いつも良くしてもらってる人とか友達からの頼みだったらしゃーないな、って。いつも利用されてると感じたらムカつくんだろうけど。
「誰かに何かを助けてもらう、という経験もあなた方にとって必要です。それは誰かを助けてあげる、という経験と同じくらい大切なものです。」
うん。だから私、この仕事を通して助けてもらわざるを得ない状況で助けてもらっているのかなぁ?
「そうですね。ベイビーちゃんの場合は一人では不可能な棚卸、という設定ですけれども、中には怪我や病気を選ぶ人もいます。車椅子を押してもらうよjな経験ですね。
そのくらい助けられるという経験は必要なのです。もしこれを読んでいらっしゃるあなたが人を助けてばかりなのでしたら、助けられるという経験もおすすめですよ。
もちろん、あなた方はすでに十分に助けられてはいるのですが、それを意識的に仲間の人間に対して行う、という意味です。」
どうして助けられるっていう経験が必要なんですか?
人に迷惑をかけることなく、一人でなんでも出来たほうがよくない?
「それもナンセンスな刷り込みですね。人に迷惑をかけない社会よりは、誰も迷惑だと感じない社会のほうが良くないですか?」
ああ、そっちのほうが暖かい感じがしますね。
「誰かに助けられることも、誰かを助けることと同じように愛を学ぶことができますよ。助けられるという立場をとることで、お互いに愛を学ぶワークのための貢献者となる場合もあります。
あと、あなた方に覚えておいていただきたいこととしてのアドバイスですが、助けを求めるときには具体的に言ったほうが親切です。
子育てを手伝って欲しい、より木曜の午後1時から6時まで子供を預かって欲しい、などというオーダーの仕方のほうが、協力を求められる側からはイメージしやすく、自分がそれをできるかどうか判断がしやすいです。
私の様子を見て察してほしい、というのは最悪のパターンです。なぜなら人間の皆さんはテレパシーが苦手ですから。冗談です。
あなた方は助けを求めるのも苦手ですし、求め方もとても下手です。たぶんそれはただ不慣れなだけです。」
そか。そうですね。
「人を助けて、そして人にも助けられてください。」
ですってー。