LeBron James
ぼくはLeBron JamesというNBAプレーヤーが大好きだ。週に半分以上は彼のユニフォームを着用するくらい、である。
彼は現在35歳。NBAでは17シーズン目を迎えている。
2003年、ドラフト1位で地元Cleveland Cavaliers(Cavs)に入団。その年のROY(新人王)を受賞。お世辞にも強いとは言えなかったチームを率い、プレイオフの常連に、そして2007年にはNBAファイナルまで導く活躍を見せる。未だにSNSで、彼が当時率いていたroster(メンバー)の写真を並べて弄っている投稿が上がるくらいなので、相当半端ないことをやってのけたんだと思う。確かに知ってる選手は殆どいない。
2010年、彼は優勝をする為、後にThe Decisionと呼ばれる、Miami Heatへの移籍を決める。これがCavsファンにとってはショックな出来事であったのは言うまでもない。ユニフォームを燃やされたり大変なことになっていたそうだ。
Dwayne Wade, Chris Boshというスター選手と合流しBIG3を形成した彼は、最初の年の優勝を逃すものの、その後2連覇を果たす。ぼくはこの時に初めてLeBron Jamesを知った。
ぼくはそれまで Chicago BullsとMichael Jordan(特に後期のThree-peat(3連覇))、そしてLos Angels LakersとKobe Bryant(特にShaquille O'NealとのThree-peat)が好きだった。どちらもスコアラーで、KobeはJordanに憧れておりプレースタイルも近しいものがあった。
だが、LeBronにはまた違った魅力があった。Cavsから非難轟々の中、エースプレイヤーと合流したLeBronはまさにHeel(悪役)。そして滅法強い。Wadeからのアリウープで、時にはディフェンスを飛び越してダンクを叩き込む(動画)。この強い時のデタラメ感が堪らなかった。ちなみにMiami Heatのユニフォームは当時白・赤・黒の3色。黒のユニフォームの時が、Heel感が特に強く出ている気がして、とても良かった。
Miami HeatのGMであるPat Rileyは当時、「10年間は覇権を握れるチームができる」と思っていたそうだが、そうは問屋が卸さなかった。2014年、Heatで優勝を逃したLeBron JamesはCavsへ戻ることを決めるのだ。
HeatのLeBronが好きだったし、特にWadeとのコンビが見ていてとても楽しかった。そして、LeBron在籍の4シーズン、全てNBAファイナルに進出する程強かったので、とても残念ではあった。でも一方で、Cavsに戻って優勝するとしたら、これはこれで堪らない。移籍してユニフォーム燃やされる程嫌われたチームに戻って、優勝をプレゼントするなんてできたら、それミラクル過ぎるでしょ、と当時は思っていた。
LeBronはCavsでKevin Love, Kyrie ErvingとBIG3を形成。最初の年からファイナルに進むことが出来たが、BIG3の二人が怪我に苛まれることとなり、この年軍配はGolden State Warriors(GSW)に上がることに。
翌年、このGSWが恐ろしい勢いで勝ち続ける。蓋を開けてみたら73勝9敗。これはBullsが95-96年シーズンに記録した72勝10敗を塗り替える、シーズン最多勝の新記録だった。
こんな状態だから、プレイオフ・ファイナルの下馬評もGSW圧倒的有利で始まった。実際Western ConferenceではGSWが順調に勝ち上がる。一方Eastern CanferenceではCavsが順調に勝ち上がり、2年連続の同カードのNBAファイナルとなった。
GSWは下馬評通りの強さを発揮、Cavsを1勝3敗まで追い込んだ。GSWはあと1勝で優勝である。そしてこの時まで、NBAファイナルで1勝3敗まで追い込まれ、優勝できたチームは1チームも存在しなかった。
そんな半端ないプレッシャーの中、Cavsは優勝を成し遂げるのである。特にファイナル第6戦でGSWのエースStephen Curryをブロックする様(動画)、そして、第7戦残り2分を切った時、勝ち越しを狙ったAndre Iguodalaのレイアップに対して見せたChase Down Block(The Block)には鳥肌が立った。
何より、優勝を決めたLeBronが咽び泣く(動画)のだ。Heatに移籍してHeelとなっても第一線で活躍していたあのLeBronが、だ。そして、半世紀余り、メジャースポーツで優勝のなかった、一時期自分を嫌っていたClevelandに優勝をもたらして涙ながらの「Cleveland! This is for you!!」である。もう、カッコ良過ぎるではないか。
その後2シーズンもNBAファイナルには進出したが、Oklahoma City ThunderのエースプレーヤーだったKevin DurantがGSWに移籍し、戦力差が拡大。LeBronはNBAファイナル史上初のトリプルダブル達成の記録を打ち立てるなど、孤軍奮闘に近い状態でチームを引っ張り続けるものの、1勝4敗、0勝4敗と、どちらも準優勝に終わる。そして2018年、LeBronは新天地として、なんとLos Angels Lakersへの移籍を決める。
LakersからKobeが引退したのが2016年。最後はプレイオフにも進出できていなかった。そこにLeBronが移籍。Kobeのいた強いLakersが好きだったぼくにとって、大好きなLeBron JamesのLakers移籍は僥倖と言っても過言ではなかった。大好きな選手によって、強いLakersが戻ってくる。期待に胸は膨らんだ。
残念ながら、移籍1シーズン目、その期待は裏切られることとなる。当時ヤングコアと呼ばれる若手選手等を率いながらプレイオフ圏内で善戦するも、GSWとのChristmas GameでLeBronが股関節を負傷。その影響でプレイオフ進出を逃してしまうのだ。
ちなみに、これでLeBronのある記録が途絶えることになる。それは個人での連続NBAファイナル出場記録である。8年連続というのは、NBAレジェンドの一人Bill Russelが、1957年から1966年に記録した10年連続を除けば最長クラスじゃないかと思う。そもそも8年以上連続でファイナルに進出したチームもBill Russelが所属していたBoston Celticsくらいだろう。ここでもLeBronのヤバさが垣間見える。
2019年。優勝を目指すLeBronの元に、一人のスタープレーヤーが移籍することになる。2012年、ドラフト1位でNew Orleans Pelicansに入団したAnthony Davis(AD)だ。
シーズン当初から、LeBronとADのコンビは相性が良かった。元々LeBronはバスケIQが高いと言われていたり、ShaqからはJordanの身体能力を持ったMagic Johnsonだなんて言われたりしていたが、パスのセンスが尋常ではない。そしてフィニッシャーとしてのADの存在。サイズが大きく、且つしなやかな動きもでき、古巣Pelicansとの初戦では40得点と爆発すると止まらない。ディフェンスについても気合を入れちゃっている次第で、ADもブロックを連発。そこに問題児とされていたDwight Howardが心を入れ替えて機能したり、Avery Bradlyがディフェンス頑張ったり爆発したり、Alex Carusoがダンクで目立ったりと本当に色んな出来事があって、蓋を開けてみたらWestern Conference1位をひた走っていた。
そんな中、Kobeは娘のGiannaを連れ、2度ほどLakersの試合を観に来ていた。試合中、楽しそうに絡むLeBronとKobeの姿を観て、何だかこっちまで嬉しくなったのを覚えている。
そして忘れもしない2020年1月26日。前日、Kobeの出身地であるPhiladelphiaで、Kobeの持つNBA記録33,643得点(当時NBA史上3番目の記録)を、Lakersのユニフォームを着たLeBronが抜くという、とてもドラマティックな展開。KobeからはLeBronに対するtweetもされていて、とても熱かった。朝にはLeBronに直接電話もあったとのこと。だがその後、彼と娘の乗った飛行機は墜落してしまう。
Kobeが死んだと聞いてから1週間程、大袈裟でなく、本当に仕事が手につかなかった。知っているスポーツ選手が亡くなって、涙が出てくるのは初めてだった。本当にショックだった。それだけKobe Bryantという選手が好きだったということはその時まで認識していなかったし、まるで友人が亡くなったようなショックを受けた自分にも衝撃だった。
では、同じ時代に生き、NBAでは敵として戦い、オリンピックでは仲間として戦い、お互いにリスペクトし合ったであろうLeBronにとって、Kobeが亡くなるというのはどんな出来事だっただろう。ショックの大きさは到底想像できるものではない。あの頃のNBA界隈は本当に悲しみに暮れていたと思う。色彩が減ってしまったような感じがした。Kobeの死後、Lakersの試合は1試合延期されたが、それは致し方無いことだと思う。
2020年2月1日、Lakersのホームゲーム前にセレモニー(動画)が行われた。スピーチは勿論LeBron。彼は、用意してあった原稿は捨て、自分の言葉でスピーチを始めた。涙目で話をするLeBronを見て、涙が止まらなくなった。
LeBronが2年前にLakersに移籍していなかったら、彼がLakersのユニフォームで、しかもPhiladelphiaで、Kobeの記録を抜くことなんて無かった。Kobeが亡くなった後、Lakersを代表してスピーチすることは無かった。Kobeが引退した後、NBAを代表する現役プレーヤーは間違いなくLeBron Jamesだった。その彼が、KobeからLegacyを引き継ぐという話をするのだ。悲しいけれど、こんな廻り合わせってあるのだろうか。このスピーチをするのがLeBronで良かったと心底思ったし、物事の廻り合わせの必然を感じたし、あとは、ただただ悲しくて涙が止まらなかった。
その日の試合は落としたものの、悲しみを湛えながらも歩き出したLeBronとLakersは止まらない。2月は9勝2敗で順調に勝ち星を積み重ね、3月にはEastern ConferenceトップのMilwaukee Bucksを、そしてWestern Conferenceでのライバルと目されるLos Angels Clippersをそれぞれ撃破。優勝に向けてギアが上がった、と感じた矢先のリーグ中断で、今に至る。
そもそも自分の背中に「CHOSEN 1(選ばれしもの)」と彫ってるくらいなのだが、その歩みはまさにそのタトゥーそのものだ。HeatでHeelとなっての2連覇。そこからCavsに戻っての優勝で、ファンとしてこの上ないストーリーだなんて喜んでいたら、今度はLakersで、悲しいながらも凄い廻り合わせでKobeからのタスキを引き継いでいく。
このドラマは次にどんな展開を見せてくれるのか。LeBron Jamesには、そのプレーは言わずもがな、彼の人生そのものに於いても、誰も比肩することのできない魅力があるのだ。ぼくはこれからも引き続き彼のユニフォーム着用を辞められそうにない。NBAのシーズン再開、せめてプレイオフの開催を心から願うばかりである。