「なめらかな世界と、その敵」の「乗覚障害」ってひょっとしてデコ、、、

 こんにちは。最近「なめらかな世界と、その敵」(伴名 練 著  早川書房 刊)という短編集を読みました。どの作品を読んでも私の心をぐいぐい操作してくる感覚があり、夢中で読んでしまいました。ただ、表題作の「なめらかな世界と、その敵」を読んでから、ある疑問が生じてずっともやもやが解決しません。そこで、疑問を note にまとめて公表したら誰かが回答をくれるかもしれない、と思い整理していたところ、つい先ほど解けました。もう大興奮。まとめましたのでお読みください。ただ、ネタバレを含みますので、作品を読み終えてからの方が良いと思います。

 この短編の登場人物は、「乗覚」という能力を使い、平行世界間を行ったり来たりできます。例えば、骨折をしたら痛いので、別の骨折をしていない世界線へ行ってやり過ごそう、みたいな感じです。私が当初想定した平行世界の設定は、多数の平行世界があって、そのそれぞれの世界に別人格の私がいる設定です。なので、ある世界 A の私 a が別の世界 B に移ると、そこには私 b が存在して、私 a と 私 b がこんにちはをするはず。でも、この短編の登場人物は別の世界の自分と出会わないので、この設定は違う。

 次に連想したのは SNS で複数のアカウントを切り替える感覚。私は twitter では実名アカウントと、このアカウント(今尾唱寿)と、ゲームアカウントを分けていて、これらのアカウントを乗り換える感じは、この短編の登場人物達が現実を乗り換える感覚に近い。ただ、twitter のアカウントは複数存在して流れるTime Line も複数あるけれども、中の人は私一人。それに対してこの短編では、「よそと勘違いしてない?」(p10) とあるようにそれぞれの世界にはそれぞれの私が存在する。よって、SNSのアカウントを使い分けるような平行世界ではない。(とこの note を書いた当初 2019/09/01 は考えていましたが、今になって(09/10)、 SNS の各アカウントごとに中の人格がいて、アカウントを切り替える際には人格ごと切り替える。別のアカウントの Time line では別の人生が展開している、と考えれば SNS のアカウントの使い分けを乗覚と解釈するのもありだな、と気づきました。ですので以下で述べる乗覚の解釈はあくまで可能性の一つなのですが、以下の解釈で本文を再読すると面白かったのでそのままにしておきます。)

 ここまで考えてきて分からなくなりました。「乗覚」って一体なんなんだろう?これはおかしいんじゃないか?とも。ただ、こんな完成度の高い小説を作る方がそこをいい加減にするはずがない、とも感じてしばらく考えていました。それでも分からないので、 note にこの疑問を整理して公開したら、誰かが応えてくれるかも、と思って整理していたところ、分かった!これだ!きっかけは 19ページの以下の記述。

「こっちに行ったり、あっちに行ったり。あらゆる可能性の中にいる自分に移って生きている。乗覚が正常に働いているうちらは、全ての可能性を、見て、聞いて、触れることができる」

 ここから連想したのが、量子重ね合わせされた平行世界。そして乗覚とは、コヒーレンスを保ったまま、量子重ね合わせされている無限の平行世界を行ったり来たりできる能力なのではないか? 今、私のいる現実世界で量子重ね合わせを保てる系は、どんだけ頑張っても、高校生活を送るには狭すぎて冷たすぎるし(どのくらいかは後述)、系がどうなっているかな?と観測したらコヒーレンスが壊れてしまい、系はある状態に居ついてしてしまう(波動関数の収縮)。でも、この短編では、平行世界全てのコヒーレンスが保たれて、多世界が重ね合わさっていて、しかもコヒーレンスを壊すことなく別の世界に移れる(マクロな量子非破壊測定?!)。きっとトンネル効果も干渉もボースアインシュタイン凝縮もマクロに起きちゃう。あ、マクロでクーパー対(本来反発する同種の電荷を持つ電子同士が、引き合ってペアとして固体中を突っ走る)なんて百合SFにぴったりじゃない?やばい、面白い。すごい!

 とここまで大興奮で書いたのですが、「量子」and 「平行世界」でぐぐると、「エヴェレットの多世界解釈」が出てきて、あ、そういえばこんなんあった~、なんでこれ忘れるかねえ、、と少しへこみました。エヴェレットの多世界解釈をモチーフにした SF は多数あるみたいだし、SFを良く読んでいる人にとってみれば、当然の設定なのかも知れない。ふう。。。

 私が持っていたイメージだと、平行世界が出てくるときは、何かプラズマがバリバリしてて、ものものしくて、、というのがあって、まさかおっさんにはまぶしい高校生の生活に、するっとそんな舞台装置が仕込まれているなんて思いもしなかった。すごい! 

はあ。さっぱりしたのでもう一度読んでみよう。葉月のコヒーレンスとその破れを観測するために(注1)。





 はい。観測してきました。いや、良かった。今回はもやもやすることなく「青々と茂った庭の草木」と「今もちらちらと舞い落ちている綿のような雪」(p.7)を重ね合わせることができました。

 その上でもう一度読んでみると、量子系を連想させる記述が何個かあったのでそれについて書きたいのですが、その前に、量子状態の重ね合わせについて少し述べ、私なりの「なめらかな世界」と「乗覚障害」のとらえかたを述べておきます。


 量子状態の重ね合わせについては、シュレディンガーの猫がよく説明に使われますね。中の状態を知ることができない箱の中に、猫と気まぐれに毒を出す装置が入っていて、外からは猫が生きているのか死んでいるのか分からない。これを生きている状態と死んでいる状態の重ね合わせと言う。でも、実際に今私たちがいる世界では、猫みたいに大きなものを量子状態の重ね合わせにすることはできません。

 では実際にどのぐらいの大きさのものを、どんな環境で量子状態の重ね合わせにできているか? 今年開かれた CES 2019 という展示会でIBM が発表した Q System One を例にとってみます。

(https://www.ibm.com/blogs/think/jp-ja/power-quantum-device/ ) 

 これは企業が購入して商用利用できる量子コンピューターとのこと(注2)。IBM Q の量子ビットの数は 20 個で、その量子ビットは基板上に作られた超電導材料の回路です。量子状態の重ね合わせになっている部分の大きさは多分一個当たり数100um 程度(注3)。ですので全体でも大きさは数十mm とか。そしてこの素子で量子状態の重ね合わせを作るために、すごく気合の入った魔法瓶(クライオスタット)に液体ヘリウムを入れて、ほぼ絶対零度(-273.15℃付近の14mK)まで冷やしています(注4)。かなり大がかりな装置で、実際使うのは手間がかかるのですが(真空引きして、予冷して、ヘリウム入れて、、、)、そこまでやっても量子状態の重ね合わせが保てる時間はわずか69マイクロ秒(注5)。瞬きが一回 0.3 秒程度らしいので、その四千分の一しか保てない(注6, 7)。

 なんでこんなに短い時間しか保てないのか?というと、量子状態の重ね合わせが熱などに非常に弱いので。私たちが暮らしているような、熱くてノイズにまみれた世界と、量子状態の重ね合わせを保っている世界が接触すると、すぐに熱が伝わって量子状態の重ね合わせは壊れてしまいます。



 さて、私たちの世界の量子状態の重ね合わせは、こんなにも脆弱なのですが、この「なめらかな世界」では世界全体が量子状態の重ね合わせが保たれている設定なのでは?と思ってます。世界が時間とともに全ての起こりうる状態に分岐していき、その無限に多数の状態が平行世界として存在する設定はこれまでもあったかも知れませんが、その全ての平行世界が量子状態の重ね合わせになっている設定は、これまで無かったのではないでしょうか?(ただ、私が読んでいる SFの数がとても少ないので、ご存じの方がいたら教えてください。)

 量子状態の重ね合わせが保たれていることを、コヒーレンスが保たれていると言い、熱いノイズだらけの世界と接触して、量子状態の重ね合わせが破れてしまいコヒーレンスが破れると、デコヒーレンスが起きたと言います。

 この「なめらかな世界」では、乗覚を持っていれば、重なり合わさった世界のどれかを選んで、コヒーレンスを壊すことなくその世界を知ることができる。これは量子非破壊測定(注8)をマクロに行うことに相当するのでしょう。「なめらかな世界」での自我は、無限にある状態のどれかを観測して回る立場の近いと思います。対して、乗覚障害が起きてしまうと、デコヒーレンスが起き、ただひとつの世界にだけにしか存在できなくなってしまう。


 ところでこの量子非破壊測定についてですが、 にのこさん(@ni_no_ko)の以下のツイートを見て気づいたことがあります。

 ひょっとして本文14ページに出てくる「量辺細胞」って、量子非破壊測定ができる器官なのでは?と。それで、上記のツイートを引用してよいですか?と尋ねたところOKを頂き、さらに以下の考察も頂きました。

なるほど、量辺細胞の名前にはそんな意味が込められてるかもですね。


 こんな感じで「なめらかな世界」と「乗覚障害」をとらえると、本文の記述が量子効果を示唆している気がしてしょうがありません。以下、本文を引用しつつ量子妄想を述べていきます。


 葉月 が マコト との隔たりに気づいていく過程では、度々二人のいる世界の違いが述べられます。

「乗覚障害者の世界では、起こりにくいことは、起こらない。確率の低い可能性が実際に起こった現実を認識することができないのなら、真夏に雪を見ることは難しいだろうし、壁を抜けるなんてのはもってのほかだ。」(p.20)

 「川面を走って、まったく濡れずに対岸まで着くことはできる。偶然、それが可能だった現実を選び取ればいいだけだ。」(p.22)

 量子状態では、エネルギー的に見て起きっこないだろうという状態でも、ごくわずかに実現する確率があります。例えばトンネル効果など。これらの記述はそれを指しているのではないでしょうか?


 物語が佳境にさしかかる箇所で 葉月 を誘拐した 一陣 は、「乗覚障害」を持っているということは「何よりも世界の敵なんです」(p.34)と語ります。最初読んだとき、「乗覚障害」を持っているだけで世界の敵とまで言うのは、少し思いつめた飛躍がある気がしました。でも「乗覚障害」がデコヒーレンスが起きたことを指すなら、それは「なめらかな世界」のコヒーレンスを壊してしまう可能性がある。その可能性を考えると「世界の敵」という強い表現を使うのも納得できます。


 そして物語のクライマックス、マコトは葉月に「片足だけこっちに置いて走れ。」と要求する(p. 41)。つまり、葉月の右足はマコトと走っている世界にあり、左足は別の世界にある。結果として葉月は二つの状態を移り変わりながら走ることになる。走る速度が増すにつれ、とても起こりそうにない状態が出現してくる。例えば「腰のあたりに、突然、重みが増えた。あたし自身の、三本の尻尾の重量だ。」(p.42)という状態。

 この記述からは時間とエネルギーの不確定性を連想しました。量子力学で時間発展を摂動論で解くと、ある状態から別の状態へ移り変わる際に、その時間間隔が短くなるほど、よりエネルギーの離れた状態に移り変わる確率が増えて、これを時間とエネルギーの不確定性と呼んでいます。

 さらに速度があがると時間の感覚がおかしくなり「いや、これは予知のようなもので、まだ目に見えるほどじゃない」(p42)、そして二つの状態間の切り替わりが極限まで速くなるとき、「あたし自身のスケールさえよくわからない闇色の空間で、あたしが踏み、蹴った地点にだけ、光の帯が生じた。そこから何か途方もないエネルギーが生まれ、未来が生じた。」(p.43)。ここまで来ると私には見当がつかない。宇宙論や素粒子論を学ぶともっと面白く読めるんだと思います。


 そして、最後に葉月が K056 を飲むことでデコヒーレンスが起こり、二人だけの熱い世界が確定する。


 うん。いいですね。

 

 ところで、このK056の名前って何が由来なんでしょう?葉月とマコトの名前が、架橋葉月(かけはしはづき)で7文字、厳島マコト(いつくしままこと)で8文字、かけると 7 x 8 or 8 x 7 で 56なのでそれを示しているのでしょうか? そして K0 はボルツマン定数? いやボルツマン定数は kb って書くことが多いし。Knock Out ? かな。

 そういえば、葉月の苗字が架橋で、コヒーレンスのある世界からデコヒーレンスが起きた世界へ行くのも素敵ですね。



 はあ。楽しかったです。SFの短編を一つ読んでここまで物理妄想が広がったのは初めて。著者の 伴名 練 氏に感謝。出版を実現してくださった編集者、出版社の方々、 SFをちゃんと置いてくれるあの本屋さん、そしてネットで同じタイミングで盛り上がってくれている読者のみなさまにも感謝いたします。みなさまの感想読みに行きます。ではでは。



 、、、あの、もう少しだけ続けさせて下さい。


 みなさまの感想、読ませて頂きました。「なめらかな世界と、その敵」だけでなく、その他の短編に関しても。熱い想いや、感嘆、これまでのSF文脈への位置づけと先行作品の紹介や、作品の背景への洞察などが、SNS を通じて溢れている気がします。読めて良かったです。ありがとうございます。

 そして、この note で一人盛り上がってきた「乗覚」に関しては、SNS的な捉えかたをされる方が多かった印象です。

 あれ? 量子状態の重ね合わせは私一人の思い込みなのかな? 見当違い? と少し不安になってきたところに見つけたのが Zophia ^(ΦwΦ)^ (@inakanoishiya)さんの以下のツイート。


 やっぱり量子論関係ありますよね! 青春量子論SFってぴったり! そしてツイートは私がこの note を書いた9/1よりも前の 8/23 付け! 

 この「なめらかな世界と、その敵」の初出は2015年12月(稀刊 奇想マガジン 準備号 カモガワSFシリーズKコレクション)なので、どなたか既に量子論と関連付けて議論しているかと思っていたのに見つけ出せず、あれ? 私の妄想が過ぎた? と思っていたところでした。

 量子論と関連付けて考えたのが私だけではなくて、嬉しい。Zophia ^(ΦwΦ)^ さん、ツイートの引用許諾頂きありがとうございます。(2019/09/21追記)




注1:当初は「レッツデコヒーレンス!!」と書いていたのですが、let's の後に名詞はないだろう、と恥ずかしくなり書き直しました。decoherence の動詞形は decohere  らしいのですが、レッツデコヒアー!!と書いてもあんまり伝わらない気もして。私のおでこ、ここなの、みたいな。

注2:Gizmodoによる IBM Q の紹介記事。https://www.gizmodo.jp/2019/01/ibm-q-system-one.html

注3:量子コンピューター IBM Q の動作温度とか素子の写真が載っている 発表資料(pdf形式)。これの 29 page に transmon josephson- junction の写真があって、スケールバーが 100um。この写真のうち一体どこまで量子状態が広がっているのかわからないのですが、数百umを超えることはないかと。と当初書いたのですが、q-bit の間でコヒーレンスが途切れていたら多 q-bit での重ね合わせはできないので、写真に写っている素子の大半には量子状態が広がっているはずですね。読み出し用の素子とかがあれば、そこは違うのかな。 https://www-01.ibm.com/events/wwe/grp/grp308.nsf/vLookupPDFs/07%20Quantum%20Computing%20cognitive%20event/$file/07%20Quantum%20Computing%20cognitive%20event.pdf
 この note を書いてからしばらくたって、google が量子超越性を達成したとの論文を nature に出しました(https://www.nature.com/articles/s41586-019-1666-5)。 この論文の中の図1にq-bits の模式図とチップの写真があって、これを見ると 10 mm x 10 mm ぐらいの領域中に量子状態の重ね合わせが広がっていそうです。領域全てに広がっているわけではないんでしょうけど。それにしても指先ぐらいの領域で量子重ね合わせが起きているってなんかすごく萌えます(2019/10/24 追記)。


注4:上述のIBM の発表資料 の 16 page に 14mKまで冷やしたとの記述と、素子を取り付ける魔法瓶(クライオスタット)の中身の写真があります。ではその魔法瓶の外観はというと、本文に張り込んだ記事(https://www.ibm.com/blogs/think/jp-ja/power-quantum-device/)の図1にある、IBM Q と書いてある牛乳のタンクみたいなのです。


注5:量子状態の重ね合わせが保てる時間は位相緩和時間(T2, dephasing time )で、本文に張り込んだ記事(https://www.ibm.com/blogs/think/jp-ja/power-quantum-device/)の表1に 69マイクロ秒と記述があります。


注6:脳の情報処理とまばたきの関係の研究を紹介する記事。まばたき一回につき 0.3秒視覚情報が遮断されるらしい。https://www.brh.co.jp/seimeishi/journal/082/research_2.html 


注7:超電導型量子コンピューターのレビュー記事によると、1990年代にはコヒーレンス時間はナノ秒オーダーだったらしい。それを考えると、これから急速にコヒーレンスを保てる時間が延びるかも知れないですね。https://www.jstage.jst.go.jp/article/jcsj/53/5/53_278/_pdf 


注8:半導体量子ビットの量子状態を量子非破壊測定した最近の例 https://www.jst.go.jp/pr/announce/20190416/index.html