「あなたのままでいい」
「几帳面ですね」
こう言われたら、どう思うだろうか。
「おおらかですね」
こう言われたら、どうだろう。
前者も後者も、いい意味とちょっとその裏に何かがありそうな場面がある。
その関係性、文脈、非言語・・・意味づけるには要素はたくさんある。
「おおらか」は「寛容さ」をイメージするが、「几帳面」は「細かい」「神経質」「厳格」が想起される。
「おおらか」はウキウキの感じ、「几帳面」は自他ともに厳しさを求める、キチキチの感じがしてしまう。わたしは「几帳面」だと言われることが多い。そこでいつも悩む。
そういう人がチームにいないと困るんだよと言われても、何だかほっとしない。落ち着かない。この考え方をどうやって身につけてきたものなのか、よくわからないが、「几帳面なわたし」を全面的に支持したくない、できれば少し寛容になれたらいいのになあ・・・などとクヨクヨしてしまう。
しかし、発語した人が伝えたい意味とこちらの受けとめ方が違っていることは大いにありえるのだから、その一言をどういう意味で表現したのかは相手にきいてみないとわからない。そのうえで、わたしはこう受け取ったよ、とも言いたい。
「言葉は意味の候補」と教わった。言った人と受け取った人がともに意味を確かめる、意味をつくる、そのプロセスを放棄しなければ、相互理解のチャンスは広がる。
やりとりをするプロセスは、自分の内的会話を深め、広げる。変わりたいと思えば、変えようとしていいし、そのままがよければそのままでよい、以前教わったことも追い風のように思い出す。
尊敬する先生から「わがままとは自分勝手という意味だけではないのよ。我がまま=自分のままでいいという意味もあるの」と教わった。
「あなたのままでよい」なんと力強い言葉だろう。