僕が英語を始めた理由
昨日は近所のカフェで仕事してたのだが、隣の席がフランス語のレッスン中だった。ディズニーランドの話してた。
フランス語かー珍しいなー
音大美大の密集エリアっぽいなーと思い、何故か自分も小洒落た気にさせてもらった。
その人がなぜフランス語を勉強してたかは分からない。音楽ならドイツ語やイタリア語が主流だろうし、ならば芸術系か、はたまたそういった想い人がいるのか。
外国語を勉強する理由は、様々だろう。理解できない理由もあるはずだ。
自分のきっかけは何だっただろうと記憶を辿ると、野球だった。
僕は小3で野球を始めた。
チームがあった広島市の近くに、山口県岩国市があり、そこには米軍基地があった。
僕が小学6年生の時かな?
父兄に自衛隊の方が居たからなのか経緯は不明だが、米軍基地内の少年野球チームと交流試合をしようとなった。
ついでに国際交流ってことだろう。「相手の選手2名をホームステイで受け入れることになったから誰か引き受けてくれんか」となり、
恐らく押し付けあいの末、親が俺に「どうする?」って聞いてきた気がする。もうその辺の記憶が全くない。
ともかく俺が、我が家が受け入れることになり、金髪で青い目の男の子と一晩家族になった。
当時の小学校に英語の授業は無かったし、携帯電話も持ってなかったので、僕の主なコミュニケーション戦法はジェスチャー。そして母が学生時代に使っていたボッロボロに破れた英和辞書だった。
手足をバタバタ動かしジェスチャーしたり、辞書を引いて指差したり、単語を並べた文法度外視の英会話を駆使してなんとか一夜を過ごした。
その夜のことは、正直何も覚えていない。覚えてるのは、煮えたぎるようなもどかしさと、悔しさだけだ。
もっといろいろ彼のことを知りたかった。自分のことも伝えたかった。純粋にもっと仲良くなりたかった!
そんな僕は、人生2度目のお願いを親にする。「英語を勉強したい」と。
(※1度目は「野球したい」で、親友の貞金くんと同じクラブチームに入れてもらった)
僕は滅多に親に稟議を申請しない子供だった事もあり、親はいつも快く受け入れサポートしてくれた。
お陰で僕の夢はプロ野球選手から国連職員になり、航空管制官を経て客室乗務員になった。
あの夜はまさに、僕の人生に世界が入ってきた瞬間だった。
話はカフェのフランス語に戻るが、変態の僕は本当は彼女に「どうしてフランス語勉強してるの?」と聞きたい。
その裏に彼女のストーリーがあって、僕はそのストーリーを見たくなってしまう。
それは一冊の小説を読むような心地だ。人によっては映画やドラマを観る感じにも似ていると言うかもしれないが、僕にとっては小説だ。ビジュアルを想像するところが一緒だから。
欲張りだよねぇ。
人の人生も生きた気で楽しんでいる。笑