夢や憧れが手に入ったとき
この週末、大阪に一人旅に行ってきた。
旅行の計画、すごく下手だから
一人旅はほんとに気ままに。
旅行の計画が好きな方からしたら
勿体無い時間の過ごし方!って思うんだろなあ。
でも1人なのでなんでもOKなのです!
それが1人のいいところ。
暇を持て余して
ふらふら歩いていたら
平日に珍しく列を作っているお店を見つけた。
キルフェボンだった。
わたしの住んでいる地域にはないキルフェボン。
いつからか、わたしの中でキルフェボンのケーキを食べることが夢になってた。憧れだった。
きっかけも覚えてない。
でもなぜか、キルフェボンのタルトに憧れて
社会人になって初めての誕生日は
自分の運転で他県まで行って
自分のお金で自分に誕生日ケーキを買った。
すごく嬉しかった!
夢が叶った、憧れが手に入った。
それから、旅行に行くと
その旅先にキルフェボンがあるかどうか確認。
一人旅の時は絶対に食べに行った。
おいしさだけじゃなくて
長年の夢や憧れもあるから
キルフェボンのお店の前に立った時の幸福感は忘れられなくて、また絶対に来たい、って来るたびに思う。
思っていたのに。
今回の大阪旅、
大阪なんてありそうでありそうなのに
キルフェボンがあるかどうか、
確認どころか思い出しもしてなかった。
今までの自分だったらありえない。
並ぶの嫌だなあとすら思った。
でもやっぱりあの幸福感は忘れられなくて
結局並んで食べて
1人でほっぺたを落としていたのだけど、
どこか、忘れていた自分に驚いて
今までの様な幸福感はなかった気がする。
社会人ももう3年が過ぎて
そこそこ運転もするようになって
お金もそれなりに貯まって、使えるようになって
もう何度かキルフェボンのケーキを食べて
夢や憧れが自分の手に入る様になった時って
こんな気持ちなんだって思った。
助産師になる夢を諦めた時、
ああ、自分にはなれないから夢なんだって
スケールこそ違うけど
なんかその時の感覚と似てたなあ
キルフェボンの場合、
おいしさは変わらないし
簡単に手が伸ばせるものではないことには変わらないから、これからもきっと誕生日には運転して買いに行ってしまうし、食べられる機会があれば、必ず食べてはほっぺたを落とすのだと思う。
好きな人に片想いしてる時みたいに
憧れの芸能人やアイドルを追いかけるみたいに
夢や憧れが
そのまま夢や憧れのままでいるのって、難しいからこそ、それだけの幸福感が得られるのではないかな。
なんでも、変わらないことってないんだよなあ。
また、出会いと別れの季節が始まりますね。