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余命10年

坂口健太郎さんが好きで観ました。

こういう、病気ものは絶対泣いちゃう
感動するに決まってる
大体のストーリーもわかりきってる

でもしっかり泣いた、、

生き方には正解がないから本当に分からなくて
映画はもちろんすごくよかったんだけど
モヤモヤした…

わたしだったら、ができないから、
こういう話で自分だったらって思って見ちゃいけないって思ってるから、感じ方も難しいけど

和人のこの先の人生を考えるとなあ
って思うし

少ししか生きられない人には
ちゃんと愛する家族がいて、
そしてちゃんと家族よりも愛する人がいて、
いいなって思っちゃう罰当たりな自分がいて

仲の悪い家族も
誰かが重たい病気だったら
お互いに涙を流し合う愛する家族になるのかな

いや、亡くなった人に愛する人がいた話が
映画や本になりやすいのか、
中にはそうじゃなく本当に後悔をたくさん残して亡くなっていく方もいるんだろうな、とか

実際に1年目の時に急死を看取った若い現役看護師さんを思い出したりとかして、

すごく心臓が重い…

仕事が辛い人は死にたいと思うけど
病気で死んじゃう人は働きたいと思って

難しい。

わたしは、死にたいと思っている人に、
生きられるのにずるい!って言うのは
無しだと思っているけれど
この2人はそうやって惹かれあって
そうやって惹かれ合う2人がちゃんと出会えて
よかったな。


映画冒頭の「最期まで、生きてね。」ってセリフもすごく刺さった。

最期まで、生きる。

当たり前なんだけど、すごく深い意味が込められているような気がして。

わたしたちは、みんなが最期まで生きられるように仕事ができたらいいのにな。
看護師がそういう仕事に早くなったらいいのに。

あとは、家族と言い合いになった時、
まつりちゃんがポツリとこぼした言葉。
「わたしたち、どっちが可哀想なんだろうね。」

可哀想って言葉って誰のためにあるんだろう。

可哀想って自分で思うのも
人から思われるのも苦しい。

中学生の頃までは同情の意味がわからなかったけど、ある時、チームスポーツの部活なのに、同じチームの子に、ピッチャーって可哀想だね。ってサラッと言われて、それが今でも忘れられない。

可哀想って言葉を聞くたびに思い出す。

それから可哀想って思わないように
言葉を選ぶようになれた。


結論、みんな、頑張って生きてる。

歳をとって頭ボケちゃっても、生きてるし、
それはボケちゃっても生きてほしいって思ってくれる家族がいるってこと。

結婚したいとか、転職したいとか、
そう言う悩みはこの先も健康に生きている前提があってのことで、その前提は絶対じゃないってこと。

いつも心に秘めて
生きていきたいと思います。

こういう映画は
自分のことをゆっくり真剣に考える時間を作るために見ているようなものです。


いい作品でした。


ありがとう。



イマノ




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