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類は友を呼ぶのに、どうして正反対の彼とわたしは仲良しなのか

2連休初日の夜、温泉に入りながら
上記タイトルについて
頭の中で議論を繰り広げていたら
好きが溢れてすぐにでも書き留めたくなった。


①反対なところが尊敬できる(ことが多い)

結局のところこれ。
わたしにないものを持っていて、
それが尊敬に値する。

例えば、彼は絶対人のことを悪く言わない。
一方でわたしは違うと思ったことは誰かに聞いてもらって発散しないと、その人とうまくやっていけない。

だから、彼のことを嫌う人はきっといない。
聞いたこともない。
高校生の時から、幼くて可愛らしい顔面もあいまって、みんな大好きなアイドルというのか、マスコットキャラ的な存在だった。

仕事も辛そうにしている時はあって
帰りは遅いししんどいのだろうなとは
なんとなくはわかるけど
家で仕事や会社の人の愚痴を聞いたことがない。

一方わたしは家で喋り尽くさないと
やっていけない…

まさにわたしにない部分で
たまに彼と比べて
自分の幼さや性格の悪さに落ち込む。

それくらい彼を尊敬してる。

だから、
綺麗好き(わたし)と何も気にならない(彼)とか
心配性となんとかなるとか
そういうぶつかりそうな反対なところも
それが彼だから、と受け入れられたり
(たまに嫌になることもあるけど)
もっと肩の力抜いていいんだなって
思わせてくれたり
そういう考えもあるのか😮😮と
新しい発見になったりもする。

もし、この違いを認められなくなったら
完全にわたしに非がある。

リスペクトと感謝の気持ちを
忘れずに生きていきたい。

②底にある部分は一緒

一見、正反対に見えるし
上記のように正反対なことがたくさんだけど

心の奥底で大事にしていることは
一緒な気がする。

友達や大切な人を、大切にすること。
大切な人の大切な人を、大切にすること。

笑って生きていくために
できることを考えること。

だから、
必要な時は冷静に話し合いができて
いつも楽しく笑って過ごせるのかなって。


そんなこんな考えながら露天風呂でボーッとしていたら、雨が降ってきたので一旦おしまい。

今度は頭の中を空っぽにして
ぼーっと、ただ、温かいお風呂でデトックス。


幸せだな。ありがとう。


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