180日後に去る私 66
U課長は、その対応についてどうしても折り合いがつかなかった様です。工場長に聞いた話ですが、
「社長、〇〇(慣用句)だなんて…それで自分の子供達に胸張ってこういう仕事をしているって言えますか?どうなんですか?」
「待て待て、そう言うな。〇〇なんてこの業界じゃあ、普通の事じゃないか。大なり小なり昔からの慣習ってやつだよ、君も知ってるだろう?郷に入っては郷に従えと言う事だよ。」
「私は研究者として、そのような事は…できません。」
このような会話だったようです。
U課長は成分の検査書類を
「(結果とは違う)適当な数字に合わせてくれ」
という命令を、断固受け入れられなかった。
それではいけないと思い、誠実な仕事をする為に邁進されてきたんでしょう。
真面目で清らかなU課長らしい行動です。
しかし蓋を開けてみれば、会社もメーカーも業界も、そんな細かい事は誰も気にしていなかった。
「なあT。そんな事気にしてたん、俺だけやったみたいやわ…」
そう溢して、絶望していたようです。
それで退職をされたと。
時期的に私達が知らされたのは4月くらいだったと思いますが…色んな事があり過ぎて時系列が分からなくなってきています。
何故思い出したかと言うと、私の怪我について説明に来たのがMさんだったからです。工場長以上の事は本来ならU課長だったはずですが…もうその時にはいらっしゃらなかったので、辻褄は合っていると思います。
課長の退職が決まってから、実は別の営業所の営業マンRさんも同時期に退職されているのです。
理由はうつ病だなんだと言われていましたが、精神的なものだった事には間違いないようです。
Rさんとは、営業所が離れているので一回しかお会いした事はありません。
なので全て人からの又聞きです。
弊社の悪い所は、退職者が出てもすぐに緘口令を敷き、我々が聞かされるのは数ヶ月後ということでした。
これでは上層部に信頼などありませんし、営業ではない我々は「お前達は仲間じゃない」と言われているようなものです。
給与体系も違うみたいですし、学歴も違うし、そりゃ大変さも違うのでしょうが…それはお互い様です。
何かを隠す時点でやましい事があるのではないかと思いますし、どうせ後々知れ渡る事なのだから、隠蔽は現場からの信頼を落とすだけだと思うのですが…
ウチの上層部は馬鹿しかいない
と思う、大きな理由のひとつです。
会社を去るまで
あと115日