普通の言葉が素敵な言葉④ 「どうでもいい」
『好きです‥。俺と付き合って下さい』
出た‥。倫太郎は聞こえてない振りをしながら、内心でだけ頭を抱えた。
だが、その不安はやはり即的中した。
「いいわぁ。アオハル感じる!」
美里が、アニメの告白シーンから目を離さないまま圧を込めて話し出した。
「私達の間にこれ、この一言なかったもんね。いいわぁ。」
美里は、グラスに満ち満ちに入ったビールに口もつけず続ける。
「『好きです!付き合って下さい!』欲しかったわぁ」
もう何度目か分からないこの会話の流れ、倫太郎は何とか言い訳を探す。
「ねぇ。もう5年は前のことだよ?まだ言う?また言う?」
「そりゃ言うでしょ。
私さ、もしかしたらもう一生言われない可能性あるんだし。
そりゃ言うでしょ」
「俺と別れたら分かんないじゃん」
「え?別れる気あんの?」
「そうじゃないけどさ‥」
「引く~。20代後半を全部付き合っといて、
同棲までしといて捨てるとかマジ人としてない。ないわ」
「だから俺からは別れないって」
「その匂わせだけでも引きますけえど?」
「匂わせてないよ。もぉ~バカらしい。
てか、ずっと喋ってるからビールの泡なくなってんじゃん」
「あ、やば」
そう言うと美里は、ビールに割り箸を突っ込んだ。
細かな泡が生まれ、もう一度白い膜を作る。
「お~泡復活~。てか美里、懐かしいことやってんね」
「そう?」
「それ誰に教えてもらったんだっけ」
「・・・」
「あ・・。ごめん」
「別に」
『好きです!俺と付き合って下さい!』
女子高生の「聞こえないよ?」の返事に主人公がもう1回、
はっきり告白をした。
「いいねぇ。アオハル感じるわ」
美里はアニメから目を離さないまま、もう1回つぶやいた。
◇
倫太郎が大学に入学して入ったサークルで美里に出会った時、美里には
彼氏がいた。倫太郎にすると1個上、美里にとっては同じ年の浩二。
お酒の飲み方がいわゆる学生ノリで豪快。ビールがぬるくなったら割り箸を突っ込んで泡を復活させて「ビール蘇生しました~」と大声で周りに
知らせては、誰かの口に突っ込んだりするようなタイプだった。
当時予備校のCMで「今でしょ!」をキーワードにブレイクした講師に声が似ていたこと、そして「コウジ」だったことからあだ名が「コーシ」だったことを倫太郎はしっかり覚えている。
当然だが美里は、倫太郎以上にしっかり覚えているはずだ。
でも、倫太郎からコウシのことは触れ辛い。
2人が、どうやって別れたかも知らない。聞けてない。
美里やコーシとは5年前、
サークルメンバーの同窓会的な飲み会で再会した。
仲間たちとの会話の中で、さらっと聞いて大失敗した。
「美里さんとコーシさん、まだ付き合ってんですか?」
「別れたよ?思い出したくもない名前だから言わないで」
「え!?あ‥すんません」
「別に」
コーシが目の前にいるのに言い放った美里の一言に、全体の空気が固まった感覚は強烈だった。数秒後にコーシが
「バカ飲みするのいつ?今でしょ!?」と空気を盛り返すように一気飲みを始めたが、和んだのはしばらく後だった。
飲み会の帰り。中央線組は倫太郎と美里の2人だけだった。
なんとなく「吉祥寺で飲み直そう」となって‥で、美里が終電なくして…
タクシー代ももったいない気がしたから‥流れで美里がウチに泊まって‥
なんかそのまま付き合った。で、そのまま気づけば5年付き合っている。
その間、サークルの仲間とは会ってない。
◇
「まだビールでいい?私、まだビールで行けるけど」
美里が聞きながら空いたグラスを回した。
「じゃあ、取って来る」
倫太郎はキッチンに行き、冷蔵庫を開けた。。
「そう言えばさぁ~」
ついでに「何かつまみも」と冷蔵庫の中をいじりながら美里に話す。
「なんか‥コロナも落ち着いて海外旅行、また解禁になるらしいよ」
「そうなんだ」
「良かったよね」
「何が?」
「新婚旅行。海外行けるじゃん」
「あ~。確かに。結婚する人、かわいそうだったもんね。」
「俺達どこ行く?」
「何が?」
「新婚旅行」
「いやいや、いつの話してんの」
「別にいつってわけじゃないけど、先の話」
「そう言うのはさ・・ちゃんと結婚決めてから話そうよ」
「このまま行ったら普通に結婚するでしょ」
「いやいや、それならプロポーズもないのはどうかと。」
「プロポーズ?いる?もう一緒に住んでんのに?」
「いるよ~。私達アオハル的な告白もなかったんだよ?
これにプロポーズもないってあり得なくない?」
「あー。じゃあ考えるわ」
「何を?」
「タイミングを」
「タイミングって何?誕生日~ぃとか、クリスマス~ぅとか、
そういうタイミングを考えるってこと?」
「うん。タイミング‥ボチボチ考えるよ‥」
「ボチボチて。プロポーズするのは先でいいとして、
考えるのもボチボチ?」
「そういう意味じゃなくって‥」
「倫太郎さん?よろしいですか?」
美里の冗談めいた口調での、でも多分本気での詰めが始まった。
「プロポーズを。
じゃなくてそのタイミングを考えるのは、すぐにでもできますね?」
「‥うん」
「じゃあ考えるのはいつからがベストですか?」
「‥早急」
「早急。早急と仰いますと?」
「早急は早急‥」
「そこは『早急に‥』とかじゃなくて、もっとキレよくいけませんか?」
「キレよく?」
「そう。早急よりも早いのは?」
「可及的速やかに‥」
「もっと分かりやすく」
「…今からとか?」
「そう今から!考え始めんのはまさに今でしょ!」
「・・・え?」
「え?今からは早過ぎると?」
「いや・・その「え?」じゃなくて‥」
―余計な一言を言ってしまった!!
美里は偶然言っただけなのに、その一言にわざわざ引っかかったこと、わざわざリアクションしてしまったことを瞬時に後悔した。
がもう遅い。
やはり空気が固まった。
「あ・・ごめん・・」
「別に」
「いや。ごめ・・」
「もうどうでもいっか!?」
「え?」
美里はグラスから手を放し、両手を上に急なストレッチをしながら続ける。
「なんかさ‥疲れた。もうさ‥どうでもよくない?」
「どうでもいい?」
「うん。どうでもいい。」
今度は首を回し始めた。
「‥そっちがどうでもいいんなら俺は‥どうでもいいけど」
「じゃあ、どうでもいいってことで」
「うん」
固まっていた空気が割れた。
・・と言っても、急で唐突な展開に倫太郎は次の言葉が出ない。
察してか、急で唐突なストレッチを終えた美里が「よし!整った」
と口にし後に切り出した。
「てか、ビール・・また泡消えたね。ぬるいし」
「‥だね。冷蔵庫ん中まだあるから、新しいの入れ直すよ」
空気も仕切り直したくて、倫太郎はグラス2つに手をかける。
「大丈夫」
倫太郎の手を制すると、美里は2つのグラスに割り箸を突っ込んだ。
「こうすると炭酸が復活すんだよね。知ってる?」
「あ・・知ってるかも」
「私も知ってるんだよね。なんでか。偶然。なんでだろね」
「どうでもよくない?」
「どうでもいいね」
美里が倫太郎の目を見て笑った。
倫太郎も笑った。
2人のビールの泡が復活した。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?