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【新型コロナウィルス イギリスでの2週間 その4 『帰国までの2日間 』】


逃げるように帰るまでの2日間。ロックダウンですべての予定が変わった中、本当に多くの人の協力を得て帰国することが出来た。この苦境の中、人の温かさに触れられたことが大きな喜びだった。

街の状況を伝えるというより私的な帰国日記に近いが、変化する状況下で逃げるようにして帰ってきた焦りを感じていただけたらと思う。本来なら遭遇しなくてすむ困難だった。

[3月25日] <感染者数 9529名 死亡者数 463名>
朝、大家さんから最終的な承諾の返事を得て、フライト変更に挑む。追加料金の支払いを覚悟したが、改めて「新コロナの影響で」と伝えるとあっさりとフライト変更に応じてくれた。そして無事26日、次の日の夕方のフライトに決まった。

この段階では、正直なところ家具の処分は知人に委ねなければならないと諦めていたが、フライト変更を知った先のママ友が奮闘してくれた。実は、先週、頼りにしていたチャリティーショップによる大型家具の引き取りすらキャンセルになって、このママ友に泣きついていたのだ。

私が所属するReuse ProjectのFBサイトでは、“Social distancing”を守るため新規の投稿を禁じていた。ママ友もそのサイトをあてにしていたので困っていたが、幸い、別のグループサイトが投稿を許可してくれた、との連絡がママ友から入った。投稿の代行をお願いすると快諾してくれた。不要品の写真一式をWhatsappで送る。

すると、先に紹介された、新生活を始めるという女性が、今日の夕方に荷物を取りに来るとの連絡。しかも、引き取りの車の手配がこの日しか出来なかったとのことで、すごい偶然に驚き喜ぶ。

朝、一通りの連絡が終わってから街の郵便局まで手紙を送りに出かけた。すると前日よりもっと応対が厳しくなっている。なんと、窓口から2メートル離れて会話。郵便物をさっと渡してまた線の位置まで戻る。中で順番を待てるのは1人だけ。あとは外で2メートル空けて並ぶ。いつもは文具・封筒の他、旅行グッズなど便利な物が売られているのだが、便利グッズは片付けられていた。

この日は水曜日、マーケットが開催される日。さすがに今日は出ていないだろうと思ったら、八百屋さんだけ出ていた。生鮮食品はいつも通りに消費されないと、生産者が困ってしまうのだろうと想像。お世話になったお店の人たちの姿を見ながら後にした。バスは運行している。最悪の場合、空港までバスで行くことになるので確認が必要だった。

というのは、当初空港までの交通手段として、馴染みのタクシーにお願いする予定だった。今まで空港までの行き来をお願いしていたタクシーだ。ところが、この新コロナ感染を危惧し、今回は受けられないと言われてしまった。困った挙げ句、最初にイギリスに来たときに利用したminicabitを経由して予約する。すると、予約されたタクシー会社から電話が入る。「2人以上を乗せていると、警察に呼び止められる可能性がある」と。「私たちは、その日の便で日本に帰らなければならない」と伝えると、「わかった」と。なんとか予約が完了して安堵した。でも、当日にならないと本当に来てくれるかどうかわからない。

再びママ友から連絡が入る。不要品の引き取りが今日の夕方から始まるけど良い?と。FBのグループサイトへ投稿したところ、思ったより反応が早すぎたとのこと。もちろん、その方が助かる。夫と私とで、次々と物を運び出し、駐車場に置いた。すると、お世話になっている上階の住人さんに会った。明日帰国しますと伝え、家具処分でご迷惑を掛けることを伝えると、大丈夫よと。挨拶に行くことは出来ないかもしれないと思っていたので、最後に会えたことが嬉しかった。

同じ頃、やけに騒がしいと思ったら、ヘリコプターが旋回していた。音が動かないと思って空を見上げてみると、ホバリングをしている。街中の偵察だろうか、あるいは、新聞社の撮影だろうか? その後1時間はゆうに旋回を続けていた。やはり偵察だろう。

夜までかかって、4組が物を引き取りに来た。窓から様子を見て、そのうちの一組が学校での知り合いだと気づき、慌てて挨拶に出ていった。同じく異国の地から英国に来た人で、折に触れて話をする仲だった。4月に帰国を伝えていたので、私の荷物の処分だと、ママ友の投稿で気付いたとのこと。手助けの意味も込めて来てくれたのだと思う。最後に会えて嬉しかった。

この日の夕食は、急遽決まった最後の晩餐。本当は、子どもたちのお気に入りのレストランでいただくことを思い描いていた。それも叶わず、残り物でシチューを作って食べた。逆に考えれば、最後の日まで住んだ家で過ごせるのは幸せだったかもしれない。

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[3月26日] <感染者数 11658名 死亡者数 578名>
帰国の日。朝早くから、予備のマットレスの引き取りの予約があり、夫が早起きして下ろした。8時頃現れた引き取り手。彼女のユニフォームの背中に“AMBURANCE”の文字があった。夜勤明けで寄ってくれたとのこと。この状況下で、昼夜問わず、そして危険と背中合わせで働いてくれることに頭が下がる。

続いて、友人が雑貨などの引き取りに来てくれた。実は昨日も、段ボールの処分に困っていると言ったら、車で駆けつけてくれた友人。渡しそびれたものがあり、再び車で駆けつけてくれたのだ。

その後、ママ友から連絡が続々と入る。残っていた家具の引き取りについてすべて段取りしてくれた。しかも、こちらの都合に合わせて、ダイニングテーブルは朝食後に引き取りなど、配慮してくれた。お陰で、出発まで不都合なく過ごせた。

この日は朝一を含めて3件の引き取りがあった。驚いたのは、そのうち1組がその朝まで使った布団、枕、カバー類一式を持って行ってくれたこと。「洗濯できていないの」と伝えると、「私が洗濯するから大丈夫よ」と。ホームレスから生活を立ち上げる人の手助けをしている人だった。

そして、残った小物は全部持って行くからとママ友が言ってくれて、食器類、ケトル、雑貨、そしてラグマットまで、お言葉に甘えてお願いすることにした。子どもたちと一緒に駐車場に下ろした。

残ったキングサイズのマットレスの処分は知人に頼むことに。

ここまで対応していたら、タクシー到着まであと30分となってしまった。家の残りのゴミ集めは家族に任せて、慌てて最後のスーツケースにすべての物を詰め込む。パソコンも慌てて鞄にしまう(このとき外したマウスと接続コードが未だに不明)。ママ友が物を引き取りに来ていると子どもたちが知らせてくれたが、会いに行く時間を取れなかった。今でも心残りだ。

まだ支度が終わっていないのに、タクシーが来てしまった。作業着を着替えて、スーツケースを閉じて、手持ち鞄を閉じて。その間、子どもたちと荷物はもうタクシーに乗り込んでいた。しびれを切らした夫がやってきて、二人で家の中を確認し、鍵を掛けて退居した。そして、ずっと外で待機してくれていた次の住人となる知人家族に鍵を渡し、後のことをすべて委ねて、タクシーに乗り込んだ。そのまま、ヒースロー空港に向かった。

ヒースロー空港に到着すると、同じように車で駆けつける家族・グループを多く見かける。マスク着用率が高くて驚いた。中には、全身防護服にゴーグル、マスクという姿も見かける。それも少なくない。

JALのカウンターに行くと、日本人の地上係員が落ち着いた様子で対応していた。パニックのまま出かけてきたので、日本語にホッとした。並ぶときは2メートルずつ空けて。人数は少ないのに、すぐに長い列になった。並ぶ人を見ると、小さな子どもを連れて、大きな段ボール箱をカートで運ぶ家族が何組かいる。そして、並ぶ人がほぼ日本人。帰国する人ばかりだ。

カウンターでは、夫が、帰国した際の滞在先とそこまでの交通手段を尋ねられたという。この時点で乗れるか乗れないかが決まってしまうことに怖さを感じた。私は事前情報を得ていたから対処できたけど、そうでなかったら・・・。

そして、友人が教えてくれたように、手荷物検査の前のロビーでは店がすべて閉店していた。賑わいが少しもない。手荷物検査での列も2メートルずつ空けて。

検査が終わると、出発ロビーに出る。ロビーには人がわりといるものの、開店している店は、WHSmith(コンビニ的な店)、Boots(ファーマシー)、Café neroの3店のみ。人々に笑顔はなく、お土産に何を買おうか、というわくわく感もゼロ。華やかさは全く消えていた。

ここでようやくメールのチェック。学校からメールが届いていた。地元のカウンシル(県庁)からのメールの転送で、そこには、特別にケアが必要な子どもたちを見守ることにサポートが必要となった場合の連絡先が書かれていた。そういう子どもを抱える家庭においては、特にこの困難な状況下で対応に困ることもあるのだろう。それに対してサポートしますと、子どもがいる家庭すべてに送られてくるのは素晴らしい取り組みだと思った。誰かが気付けば、こんなメールがあったよと当事者に伝えることが出来る。セーフティネットが大きくなる。

そして定刻通りに飛行機は出発。ここでようやく、イギリスを後にするのだという気持ちがこみ上げてきた。本当はもっと時間をかけてこの別れ惜しさを味わいたかったのに、その余裕が全くなかった。

幸い機内で新型コロナウィルスの感染を疑われるような症状を持つ人はいなかったようだ。ただ、客室乗務員はみなマスクと手袋着用だった。機内アナウンスでは、機内の空気は2〜3分ですべて外気と交換されるようになっていること、また、特殊フィルターを設置していることが説明された。

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日付変わって3月27日。
無事に11時間とちょっとのフライトを終えて、羽田空港に到着。事前情報から、機内待機か、また検疫にどれほど待たされるのかと不安だったが、幸い私たちの便は、わりとすぐに機内から出ることができた。最後の方に出たので検疫の列は長かったが、それでも1時間もかからずにチェックが終わり、到着ロビーに出ることができた。

驚いたのは、検疫の列で人々が間を空けずに並んでいたこと。皆、あの「2メートル」のイギリスから到着したにもかかわらず、である。私たちが空けようとしたら、後続の人が気付いて間を空けた。係員は、間隔については無頓着である。マスク着用が求められていたが、どちらが効果あるのだろうか?

そしてさらに驚いたのは、検疫で、「人が多いところには行かないように御願いします」と言われただけだったこと。書面には外出しないようにと書かれていたが、口頭での対応が異なった。しかも、後から、待機期間を1日長く指定されていたことに気付いた。そのときは疲れで納得してしまったが、後日厚労省に確認した。もしホテル滞在だったら、金額面で大きな違いとなる。また、配布された書面も事前情報とは異なっていた。初めての事態で検疫自体も混乱が生じていると想像するが、対応は統一して欲しいと願う。

公共交通機関が利用できないため、自宅のある金沢までは帰れない。羽田空港まで父に迎えに来てもらい、そのまま東京近郊の実家に家族で滞在している。帰りの車中から見えた風景に驚いた。車が多く渋滞している。お店が開いている。まったく日常だ。帰国前のイギリスでの緊張感と正反対だ。東京はそんなに安全なのか、と思ってニュースを見ると、感染者が増加しているという。ふと2週間前のイギリスを思い出して怖くなった。それから、私はまだ一歩も両親宅から出ていない。検査が簡単には受けられないこの状況では、感染疑いがないと確信してから自宅に戻る予定だ。

3月27日のイギリスの感染者数 14543名 死亡者数 759名
        日本の感染者数  1349名 死亡者数  46名

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ここまで長くお付き合いくださり、ありがとうございました。
そして、帰国に際してご助力くださったすべての皆様に感謝を申し上げます。



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