パリは寒いか? 【息子への手紙】
元気? パリは寒いんだろう?
今年の浦安は暖かい! もう梅の花が咲き始めた。太爾(たいじ)は佳奈子と結婚して500メートル位離れたマンション「ベイシティ新浦安」を買って住んでいる。
向爾(こうじ)は、青山学院大学国際政治経済学部の3年生になり、音楽パーティーを開くとかで朝帰りが多い。
そんなわけで53坪5LDKの家にお母さんと二人きりでテレビを見ていることが多い。子供は巣立つものとは思うが、親とは淋しいものです。
そんな時に偶然見たテレビ番組で、イタリアのミラノで活躍する日本人美容家マサトとイタリア人美容家のコッポラの「美の競演」をDVDに撮ったので送る。
亮爾(りょうじ)も、マサトのように、美容室も開きながらファッション・ヘアーアーティストもやれば良いのにね。マサトの感性は亮爾に似ている気がした。
彼女と結婚し、娘も育てなければならないのだから、生活を安定させる為のお金を稼ぐ必要があるだろう。世界のヘアーアーティストを目指すのは良いが、それだけで生きて行くのは不安が多すぎる気がするが、どうですか?
一般の人も美しくしてあげたら、ヘアーアーティストでもある君に自分の髪を扱ってもらったら喜ぶんじゃないか? 自分が美しくなれるのなら、喜んでお金を払ってくれるでしょう。
人を綺麗にして、喜ばせて、感謝されて、お金も頂けたら、自分も幸せになれるし、一番素晴らしい仕事のやり方になるね。
ところで、君はパリのファッション界ではほとんど英語しか使わないから、と言っても、何時までもフランス語が喋れないのはおかしい、と思う。フランス語も喋れる工夫をした方が良いよ。フランス語の学校に行くのなら、その費用くらいは出してあげても良いからね。普通の美容師の仕事をしていたら「腕が落ちる」なんて言っていたら、君は何時までも大人になれないよ。
君は、30歳になったら、自分の力だけで生きて行きなさい。
君が、何時までも親の援助を期待していたら、大人になれないので、親の仕送りは30歳でストップするからね。それまでに自立の準備をしなさい。
また、フランスでの修業ができたら、いずれ君はニューヨークに帰るだろうから、バンブルアンドバンブルとの関係は切らないように続けることが大事だよ。ニューヨーク、パリ、東京の三ヶ所で活躍できる美容師なんて他にいないでしょう。それだけでも君は、誰よりも恵まれた環境に居るのだから、もっと現実的な仕事の仕方も考えなさい。そこから、地に足が付いた君の未来が開けてくる。
私だって、学者になるのを諦めて、弁護士になろうとしても果たせず、家族と生きる為に不動産屋に勤めるしかなくなった時、目の前にいるお客様の要望をよく聞き、それに合った家を探しまくり、案内して気に入って頂いたら、何とかして住宅ローンを付けて買って頂くことをやるしかなかった。
ところが、好きで始めた仕事ではなかったが、それをやり続ける内に、私の未来がドンドンと開けてきたのだ。
お客様の要望を何とか叶えようとしてやったことで、手数料を頂いた上に、菓子折りをもらい、「有り難う!」とお礼の言葉まで頂けるとは、本当に有り難い仕事だったんだ。
今では、六法全書の条文から世の中を見ている弁護士よりも、お客様の要望に応えて何とかすることができる不動産屋になれて本当に良かった、と思っている。
そう、人の揉め事が起きて、こじれにこじれたところから始まる「後片付け」を、その一方に依頼されて、その人の為に働くしかない弁護士の仕事は、私には不向きだった。本当に合格しなくて良かった、と思う。
私のやっている不動産の仕事は、「家族の住まいに関する夢を実現する為に」やる「未来に向けた創造的な仕事」なので、上手く事を運ぶと、喜ばれる仕事なので、私に合っていた。何と有り難いことに、契約すればする程感謝が積み重なり、信用が付く仕事なのだから、良い仕事に就けて感謝感謝です。
亮爾も、ここらで本気に考えて、目の前にある現実の中で、自分にできることに取り組みなさい。フランス人の彼女とは、言葉が英語を通してしか話せないので、意思疎通がもどかしいが、彼女が君を好きである限り、何とかなるでしょう。
君が働いて、お金が入るようになれば、彼女の気持ちも優しくなるさ。もう少し、フランスで修業して、早く結果を出しなさい。そうすれば、パリで実績を出し、アメリカに本拠を置くファッション・ヘアーデザイナー亮爾は、日本でも引っ張りだこになるだろう。
日本人とは、そういうことに弱い民族だからね。
彼女と力を合わせて頑張れ、もう一息だ。
(2004年 2月14日 記 )