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「凄い奴を探せ!」それが君の今やること #② 【息子への手紙】

「凄い奴を探せ!」それが君の今やること #① からの続き


当時私は結婚して子供も一人できて、最後の勝負をかけた司法試験に失敗し、「これが最後と約束したけど、もう一回だけ働きながら試験を受けさせてくれ」と女々しくも諦めきれずに周囲に頼み込み、セミナー会社で働いていた。

1976年の7月、青森に向かう途中、三沢空港から青森に行こうと待合室に行ったら、そこに、異様におでこの秀でた「知性の塊のような顔」の人が居るのに気がついた。
「あれこそ邱永漢だな」と直感し、「邱先生ですね、私は講師のお世話係の今泉です。どうぞ宜しくお願いいたします!」と引き込まれるように挨拶していた。

その後青森までの汽車の中とホテルについて夕食をする間、先生の生い立ちから革命失敗、香港亡命、再来日、小説「香港」で直木賞をとった後、経営評論家になり「お金儲けの神様」になるまでのいろいろを聴かせてもらった。
その間、私のくだらない質問に3時間くらいはおつき合い頂いたが、私は聴けば聴くほど、「俺はいったい今まで何をしていたんだろう!」「六法全書の文字の中に世の中の全てを閉じこめて、通説だの反対説だのと狭く狭く自分を閉じこめていた」「自分が恥ずかしい!」「世の中の後始末をする役割の法律家になるのは自分に合っていなかった!」「俺はこの人のように、世の中の前を歩く経営評論家になりたい!」「ともかくこのままではいけない!」と、心が決まっていた。

そして翌日のセミナーでの「石油ショック後の日本はどうなるか?」という先生のお話は凄かった。当時どんな学者も経営者も経営評論家も「石油不足と石油の値上がりで日本はぶっ潰れる」と暗澹としていた。
その時、この邱永漢だけが先を見通していたのでした。

「日本は危ないと皆思っているが、日本は大丈夫です。日本は何にも資源がないのにここまで繁栄したのです。それは外国から資源を輸入して付加価値をつけた製品にして、また外国に売って儲けてきたからです。だから、石油の値上げで原材料が高くなる分、一時的には苦しいが、やがて高く仕入れた分高く売ることになるだけで、長い目で見れば同じことです。だから日本は危なくありません。むしろ危ないのは高くなった製品を買わなければならない開発途上国です。日本はテニスのボールみたいなもので高くぶつけると高く跳ね返り、強く打つと強く跳ね返るだけですから安心して下さい」と。

その後日本経済はその通りになり、世界一の金持ちになりました。そして、私も数々の失敗を繰り返しながら、それでも自分の気持ちに一番近いところで生き、仕事をし、そして遊び、誰の前にいても自分を恥ずかしいと思うことはなくなったのでした。 本物の凄い奴「邱永漢」に会えて私は私の目標が判ったのでした。

自分の目標を探すことに慣れていない日本人では、私のように「凄い人」に出会うことが一つのチャンスになるのでしょう。 君もいつか必ずそんな人に出会うはずだ。そして、もし心の底から沸き上がる欲求を持ってしまうと、日本はほとんどの人が目標設定がないまま生きている人が多いが故に、簡単に自分の目標を達成できる社会でもある。君がそう知ったら、日本は君にとってとても良い国になるよ。

ともかく、大学時代はそこそこ授業には出て、自分探しを必死でやる時期にしなさい。 それが今の君に必要なことだ、と思う。悠々と、しかし急げ! 人生は短いぞ!
そして、自分の本当にやりたいことに気づければ、君も凄い人間に必ずなれる!

(1997年 6月24日 記)


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