【八重山諸島】初めての一人旅で未熟な自分と対峙する
※2005年の出来事を思い出しながら書いています。
一人旅、実行。
社会人1年目の夏休みに私は友人と八重山諸島を訪れた。
そこで目にしたのは、一人で島を観光している若い女性たちの姿だった。
その翌年、私は社会人2年目の夏休みを少し早めに取り、一人で再び石垣島へ渡った。
人より牛が多い島
今回は石垣島には宿泊せず、すぐに離島へ移動した。選んだのは石垣島からフェリーで25分の黒島。人口が約200人で牛が3,000頭を超すという島で、特に目立った観光スポットはない。目的は長閑な雰囲気のなかでゆっくり過ごすことだったので、細かい計画は立てずに黒島に連泊することにした。
民宿に着くと、おばあが冷たいさんぴん茶とサーターアンダギーを出してくれた。一息ついたら、自転車を借りて島内を巡る。
広い草原に、黒い牛たち。高級和牛の黒毛和牛らしい。他にも全国各地のブランド牛の一部が、幼少期をここで過ごすのだそうだ。
他に見どころといえば、古い桟橋、灯台、御嶽、不思議な形の展望台と…あとは海。アップダウンがない平坦な島なので、簡単に一周できてしまう。
宿に戻ると他の宿泊客がシュノーケリングに行くと言うので、私もついて行った。案内されたのは仲本海岸。ここは干潮時に、サンゴ礁で区切られた天然の巨大プールが出現する。閉じ込められた魚たちを波がない中で鑑賞できる、最高のシュノーケリングスポットだ。
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そういえば野生化したクジャクもたくさんいた。
民宿の夜は、ボリューム満点の夕食から始まる。同じテーブルに座っていたのは、同世代で一人旅の女性と、やはり同世代で一人旅の男性。お互いに出身地や職業を聞いたりして、すぐに仲良くなった。
夕食を終えると、この日はオーナーが夜の黒島を案内してくれた。離島だから許されるスリリングな方法で暗闇を移動し、月明かりの下で見つけたヤシガニを囲む。遊園地のアトラクションよりも楽しくて、私たちは涙が出るほど大笑いした。
民宿の夜はこれだけでは終わらない。大きなテーブルに人々が集い、ゆんたくが始まった。テーブルの上には泡盛と水とツマミ。そして酔いが回ってきた頃に始まる三線リサイタル。
この民宿では毎晩ゆんたくが行われていた。盛り上がるかどうかはその日の宿泊メンバー次第で、夜中まで飲んでいた日もあれば、早めにお開きになる日もあった。
雨の日は民宿で本を読み、晴れれば自転車で出かけてシュノーケリングを楽しみ、カフェで休憩。そんな日々を過ごしていたら、最終日に島のとある祭りへの参加要請があった。島民の数が少ないから、観光客が飛び入り参加するのはよくあることのようだった。
そうして私の黒島の旅は終わった。楽しかった…と言いたかったが、最終的には真逆の感情で終わってしまった。
沖縄なんて大嫌い
滞在中に何があったのか。簡単に言うと、とても心が傷つく出来事があった。宿の関係者、他の宿泊客、島の人、それぞれの言動に傷ついた。
帰宅後私は布団に潜り、関わった人たちを責め続けた。なぜ私がこんな思いをしなければならないんだ。沖縄なんて嫌いだ。もう二度と行くものか──
今思えば大したことのない内容で、当然のことながら私にも非があった。でも当時はそうは考えられなかった。人を責め、ひたすら落ち込む時間が丸2日間続いた。
すると3日目に、急に考えが180度変わった。全ては私が引き起こしたことで、私の人間としての経験不足ゆえの出来事だった。そう考えるようになったのだ。
私は気付いた。24歳まで、いろんな人と関わることを避けてきたことに。「気の合う人とだけ付き合っていればいい。その方が楽だから。」そんな考えで、バリアを張って生きてきた。小さな頃から優等生だったため誰かに否定されることもなく、頑張れば認められ、思い通りに歩んで来られた。
その結果、自らのことを ”世渡り上手でポジティブシンキング” だと思い込んだ、異常に打たれ弱い人間が出来上がっていた。それが今回の旅で露呈したのだ。
やっぱり沖縄が好き
考えを切り替える方法について人に尋ねられたことがあるが、勝手に切り替わったので何とも言えない。どん底まで落ちたから這い上がるしかなかったのかもしれない。
今まで見ないふりをしていた自分の未熟さ。そこに向き合わせてくれた沖縄は、私にとって特別な場所になった。
また1年後、八重山諸島へ行こう。それまではこれを弾きながら、八重山を感じていよう。
疲れた人にお茶を振る舞います。