実現可能性は超低いがやりたいこと
人が怖いから社会で生きていけそうにないということばかり掘り下げていくと、本当にやばいところに行ってしまいそうな昨今なので、今日は将来のことについて考えてみた。
自分で育てた農産物の販売・加工を生業にしたい。
経験といえるほどのものではないかもしれないが以前一年弱ほど小さな畑で野菜を育てたことがある。仕事を終えてから畑に行った。休みの日は朝早く起きて畑仕事をした。
畑仕事をしているあいだは穏やかな気持ちでいられた。生まれてこのかた五〇年間ずっと死を恐れ続けていた私が農作業中の死なら受け入れられると思えた。
土に触れていた期間は短かったが充実していた。労働というカテゴリーにおいては畑仕事ほどの充実感をもたらすものを未だ私は知らない。
簡単に正業にできるほど農業は甘くないと何度か言われたことがある。売り物になるくらいの野菜が最初からうまく作れるはずはない。作れたとしてもそれをどこに売るのか。売り先を見つけたとしても種をまいてすぐに実るわけではない。収穫が無いとは収入が無いことを意味する。ちなみに無職の私は現在も収入はない。
こういった心配も田畑と家があってこその話しで、当然、私にはそれもない。
農業機械も、倉庫も、加工するための設備も、何もかもない。
肥料を運んで、耕運機で土を掘り返して、畝を整え種をまき、水をやり、草を抜く。こういった一連の作業は全て一人で出来る。誰と会話することもなく、誰に気をつかうこともなく、黙々と一人で出来る。自然相手に一人で作業する感じは修行僧みたいだ。強烈に憧れる。ミーハーなノリでごめん。
収穫物の販売という段階になれば一人の力では無理だ。誰かに買ってもらうのだから人との接点は必ず生まれる。経済を発生させようとする限り仕方ない。
食料だけでなく貨幣も自給自足してしまっては通貨偽造・通貨変造罪並びに偽造通貨・変造通貨の行使罪に問われてしまう。
社会で生きられないからといってお縄になって塀の中っていうのは困る。堀の中の社会もまたシャバ以上にややこしそうで、私には耐えらようはずもない。
ミーハーなところや甘いところもあるけど、土を耕す喜びといったらちょっと他にはないのというのは本音なのだ。
何も具体的なプランはないのなかで、ひとつだけはっきりしているのは農業をするなら農業用地と家屋がある土地に引っ越さなくてはならないということだ。
「農業やりたいから引っ越したい」と妻に話したらブチギレされるだろう。
散々無職でいた挙げ句に食えるようになるかもわからず、初期投資が必要になる農業をやりたいから引っ越したいなんて。
いよいよこいつはお払い箱だなという話しだ。
これらの問題のほぼ全てはお金があれば解決できる。
結局お金だという結論って身も蓋もない。
日本人よ! 虫なんか食べさせられてる場合じゃないぞ!
ソーラーパネルで日本の原風景を破壊されてたまるか!
食料自給率38%なんて独立国家とは言えないぞ!
生まれきた限りは、何かの役に立たないと生きている意味がない。
遂行しても権利や安心を与えてくれない義務感が相も変わらず私を苦しめる。
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本日はこれにてご無礼いたします。
みなさまごきげんよう!
さようならー
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