百の仕事をこなすのに、じっとなんてしていられない
仕事もせずにじっとしていると自分が社会にとって有害な人間のように思え精神的に参ってきたので二ヶ月前にランニングをはじめた。考えない時間を作りたかったのだ。
初ランの翌日腰方形筋に痛みを感じた。筋肉痛だろうくらいに思い休むことなく走り続けていたらギックリ腰並の痛みに達し、寝返りも打てない状態になってしまった。
そこから二週間ほどウォーキングさえできない痛みが続いた。
今もまだ痛い。腹筋と腕に力を入れ腰を養護しながらでないと横になれない。起き上がる際にも一度横臥の姿勢になってから腹筋と腕の力を頼りにしている。
今回のランニングのように心機一転、良い方に向かうためにはじめたことでも惨めな結果となってしまう。これまでもそうだった。私の間の悪さには、ほとほと嫌気がさす。生きていてまったく楽しくないという感を深めるばかりだ。
最近では腰の様子をみながら一日おきに軽く走るか歩くかをしている。最盛期の痛みを思い出すと恐ろしくなって無理をする気にはならない。基本、歩きの日が多い。時間にして七〇分から八〇分程度だ。
いつも往復するコースの途中に畑がある。今朝、歩きの復路で畑にさしかかると、この時期よく耳にするエンジン音と金属音が聞こえてきた。
キーン、シャーと金属の刃が回る音。キュイーンと金属の刃が土に当たる音。
畑の周りのフェンスには蔦が絡まっており、フェンス際の敷地内に低木が植えられているため私のいる道からは全貌を確認することはできないが、陽除けの帽子に長袖シャツを着た老人男性が草刈機のベルトを襷掛けにしハンドルを両手に持ち、腰を中心に体を左右十五度ずつくらい回転させていた。
老人は畑の草を刈っていた。立ち止まって作業を眺めたいのは山々だったがいつも通るコースであり不審がられるのも嫌なので、草刈りをする老人を横目に私は少し歩く速度を遅くして畑を通り過ぎた。
「俺も草刈機で自分の畑の草を刈りたいなあ」伸びた雑草をチップで切り倒して、刈られた草をかき集めると土が姿を表す。畑が綺麗になったときの達成感。労働の喜び。数年前の畑仕事に従事していた頃を思いだす。畑を持っている人がうらやましい。
私は結構な期間無職だ。だが仕事をしたくないわけではない。どちらかとえば、じっとしていられないタイプだ。何もしない時間、何も考えない時間に耐えられない。この性格は母親から心理的ネグレクトを受けることで培われてしまったものだが、これを勤労意欲と解釈するなら私は農作業にうってつけの人材ではないだろうか。百姓とは百の仕事をこなす職人のことだ。
もし畑が手に入れば朝のランニングorウォーキングも必要ない。
畑があれば朝からバリバリ体を動かす農作業が待っているからだ。
畑欲しい。農家やりたい。食料とエネルギーを可能な限り自作したい。
妻には何も相談することなく、妄想だけは膨らんでいく。
今は妄想が生きがいになっている。
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本日はありがとうございました!
これにてご無礼いたします。
またこんどー
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