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洗脳が解けて欲しくないと思う人がいるのも理解できる

自分にかけた洗脳は自分で解くことができると初カウンセリング時にカウンセラーから聞かされていたが、げに、その通りだった。

洗脳を解くには自分が洗脳されているとの自覚を持つ必要がある。洗脳されている本人は洗脳されている認識はないため他者から事実を告げられなければ気付けないし、告げられたとしても簡単に受け入れられるものではない。

例えば悪徳宗教では教義や教祖への批判に耳を貸す行為は禁じられているため、洗脳されているとの指摘を受けた信者はその指摘を法難であるかのように捉え一層意固地になってしまう場合もある。
伝え方と時機を誤ると尚のこと拗れさせてしまうのだ。

母は明るく思いやりのある優しい人だというのが僕が自分にかけた洗脳だった。
まさか我が母が世の中に5%ほど存在するとされる例外的な母の部類に入る人だとは思いもしなかった。

僕の母は他者の気持ちを理解できないひとだった。言うなれば本人が幼児のままなのだ。自分の喜怒哀楽を優先し、他人のそれを斟酌する能力が著しく欠落している。
僕の場合は苦悩の末に自ら進んで虐待専門カウンセラーの元をたずねているのだが、初日のカウンセリングでは母ではなく父の横暴をカウンセラーに訴えた。
当時は僕に虐待を加えてきたのは父だと考えていたからだ。

しかし、父から受けた精神的苦痛は二次的被害にしか過ぎず、人の気持ちがわからない母に育てられたことが僕の抱える心の問題の根本的な原因だと僕の訴えを聞き終えたカウンセラーから伝えられたとき、自分でも驚くほどすんなりとその事実を受け入れることができた。
これまで無駄にしてきた時間のあまりの長さに無念の思いが湧き上がると共にこれでやっと救われるという安堵からカウンセラーの前で号泣した。

初めてカウンセリングを受けた二年半前から僕の過去は消えはじめた。優しくない人を優しい人だと思い、楽しくないことを楽しいと思い、やりたくないことをやりたいことだと思い続けた五〇年がどんどん消えていく。
僕は小学生のころ何を考えていたのだろう。中学、高校と何かを感じて生きてきたはずだけど、それが何だったのかを次々忘れていく。過去が実質消えていく。それはとても幸せなことだ。

このまま洗脳されていたときの記憶とそこに付属していた感情を忘れていけばいくほど、僕は自由になれるのだと思う。父もない、母もない、故郷もない。

洗脳からすっかり解放されたとき、洗脳されていたときのすべてが無に帰すかもしれない。以前はそれが怖かった。五〇年が消えるのだから。
でも今は怖いと思わない。できる限り早く無になって新しい人生を歩みたい。

過去なんぞ無くとも今から始めればいい。そう思えることこそが洗脳から抜け出しつつある証だ。

ー 終わり ー



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