![見出し画像](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/162292494/rectangle_large_type_2_395fc5fbca55bff22072482233c81396.png?width=1200)
フラの太陽 ♌
フラダンスに、感動しました!
その、フラダンスを初めて見たのは、実家の祖母がお世話になっていた老人施設の納涼祭ででした。先週の土曜日のことです。思い返してみたら、わたしはフラダンスを、間近に見たことは、今まで一度もなかったのだと思います。
正直、感動というより、感激とか、震撼したとか、そのくらいの衝撃を感じました。
な、なにこれ!
今まで、体験したこと、無い!
という、感じでした。
ダンサーの人たちも、ボランティアの、私と同年齢か少し上くらいの年齢の女性たちだったし、ダンサーの人たちが踊っている後ろ側は、老人施設のお隣の建物の背面の、さびたトタン張りという、シチュエーションだったけど。
そういう外側のもろもろは、別に立派であることが、大事なんじゃあないんだな、やっぱし。
フラの踊りからは、エーテル体が、さざ波のように、やさしくやさしく繰り返し放出されていて、私はそのあまりの自然体の優しさに、思わず涙ぐんでしまったりも、したくらいです。
あと、あの微笑みが、良いですね。
やさしく微笑まれると、とても癒されます。
それはとても、あたりまえのことなのかも知れないけれど、そのあたりまえのことが、今の世の中からは、(と、大げさな解釈をしないとしたら、少なくともわたしの、日々の暮らしからは、)消え失せてからしばらく経つことに、気づかせてもらった感じです。
と、実は、ここに書いていることは、ただ単に、フラダンスを見ました、ということにとどまらずに、深い深いところでは、見えない水脈のように繋がっている神話的な流れがあって。
じゃあ、その神話的水脈の流れの、おおもとはどこかな?とたどると、冥王星が降格して、エリスの次に、マケマケが登場したあたりにまで、繋がっていたりもします。
その、神話的水脈の流れに沿って、ずいぶんと不思議でうれしいこととかが、いくつか起きていたりも、しているのだね。
それでその、フラダンスを生まれて初めて間近に見て感じたものは、わたしの中では、セラピー・キャンドルづくりの中に見てきたものと、相通じるものなのです。
それはおそらく、現代人がほぼ喪失しかけている、もしくは、眠らせたままになっていたりもする、人間としての特質であるのかも知れないと思っていたりもします。
人間存在と言った時の、その中心点に、太陽的なものがあるとして、現代の日本人であるわたしたちも、欧米的太陽の開発の時代的洗礼を受けて、成長してきたわけだけど。
もっと、はるかいにしえの人々たちは、中心点にある太陽的なもののエネルギーの、放出の仕方が、今とは違っていたのではないか。
かつての日本人たちは太陽を使わなかった、ということが占星術では言われたりもしたけれど、そうではなくて、発動のさせ方が、欧米的太陽とは違っていたのではないか、そういう思いがあったので、フラダンスを見た時に、驚いたのです。
そこには、その、いにしえのと思っていた、太陽の発動が、ちゃんと存在していたからなのです。
(2012.07.25)
*星のエッセイ
過去記事を、12サインのいくつかに当てはめて、リライトしています。
題名の横に表記された12サインが、テーマの文章となっています。