沈丁花の とこやさん ♋♓
実家の、南側に面した廊下の近くに、ジンチョウゲの木がありました。
実家にあったのは小さな庭でしたが、日当たりは良く、キンモクセイの樹や柿の木も植えてありました。
建物でコの字型に囲まれた、その庭の片隅には、子どもたちのための小さなお砂場もあって、そこでお砂場遊びをすることは、私にとって何よりの楽しみでした。
お砂場の隣にはアジサイの木もあって、梅雨時にはカタツムリたちが、その葉っぱの上で遊んでいるのを、よく見かけることもできました。
たぶん、月に一回くらいの頻度だったのだと思いますが、廊下近くのジンチョウゲの木のとなりに椅子を出し、母はわたしの「とこやさん」をしてくれました。とこやさん、つまり髪を切ってくれたのです。
春先には、ジンチョウゲは花を咲かせ、甘い良い香りがしていました。明るい陽だまりの中で、チョキチョキチョキと、ハサミで髪を切る音が、頭の方で響いていました。
ところが、ある日のとこやさんで、母が間違って、わたしの左耳たぶのつけねを切ってしまったことがありました。
赤い血がたくさん出ました。
わたしはもちろん驚きました。
血は、あとからあとから出てきます。
でも、小さな子どもだったわたしが一番最初に思ったことは、「たいへん、お母さんがおばあちゃんに叱られる。」でした。
母が私の耳を切ったことを祖母が知ったら、祖母がどんなにか母のことを叱るだろう、とわたしはそのことを一番に心配していました。
それで、左手で耳を押さえたまま、「だいじょうぶ、だいじょうぶだよ、お母さん。」と必死に訴えていました。
50歳くらいになってから、このシーンを、何度も何度もリアルに思い出すようになった時がありました。
この繰り返し思い出されるシーンの中で、必死に母をかばおうとしているわたしは、純心そのもので、キラキラと黄金色に輝いています。これは私の中のインナーチャイルドだと、思いました。
このとき、小さかったわたしが、見上げて見つめていた母の姿は、右手にハサミを持ったまま、声を出して笑っている姿でした。
このシーンが心の中で再現されて、それを見ている、大人になってからのわたしは、「違うよ、お母さん。そこは、笑うシーンじゃあないんだよ。だいじょうぶかと心配したり、ごめんねと謝ったり、いそいで怪我の手当てをしようとしたり、そういうシーンなんだよ。」と思いました。
この黄金色の光に輝く子どもは、このあとから、大人になったわたしの胸の中心に、内在神と一緒に住むようになりました。
(2024.04.05)
*星のエッセイ
過去記事を、12サインのいくつかに当てはめて、リライトしています。
題名の横に表記された12サインの性質に触れた内容が、テーマとなっている文章となっています。