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あるようで無くて、無いようであるもの ♓

三月に入ると、たとえ雨模様の日だとしても、ずいぶんと真冬の雨のようすとは変わってきて、春らしい、少し明るい空色の、淡い光に満たされます。

そもそも空色というのは、「あるようで無くて、無いようである」そんな色彩であるのかも知れません。

たとえば空の色をイメージするとしたら、とても果てしがなくて、つかもうと思っても、つかむことはできません。では、それでは無いのか?というと、空はちゃんとそこにあります。

村上龍氏の『限りなく透明に近いブルー』という小説があります。とてもセンセーショナルなデビューを果たした、作品だった記憶があります。

その当時に、ドキドキしながら読んだままなので、ちょっと記憶があいまいですが、この小説の中に出てくる「限りなく透明に近いブルー」色とは、具体的には、主人公たちが徹夜あけに見た、朝の景色の色だったように覚えています。

毎年、魚座の時期(トランジットの太陽が魚座の時)にさしかかると、昼の時間が少しずつ伸び始めます。

それまでの冬の間に、夜が長いことに慣れてしまった感覚からすると、思いのほか、夕方の頃に、この「空色」や「限りなく透明に近いブルー」色の時間が、長く続くように思われたりもします。

つまり、昼間の時間が長くなるのというのは、朝でも昼でもなくて、夕方の時間だけが、まずは長く間延びして行くような、そんな感じ。この、ちょっとしっとりとした、淡い空色の夕方の時は、桜の花の開花とともにピークを迎えます。

そして桜が散るのと同時に、「春」は、そのような魚座的な繊細な姿から、こんどは牡羊座的な、元気でたくましい時間へと姿を変えてゆきます。

(2012.03.18)


*星のエッセイ
過去記事を、12サインのいくつかに当てはめて、リライトしています。
題名の横に表記された12サインの性質に触れた内容が、テーマとなっている文章となっています。