イマカの自己紹介と、なぜ本せどりを選んで半年で月収30万いったことのいきさつ
はじめまして。イマカといいます。
このページを見ていただいてありがとうございます。
自己紹介します。
アイコンだと女性ですが中身は男です
実は僕は、幼少期は相当なコンプレックスを抱えており、
家族は貧乏でした。
僕の家庭は両親と弟がいた家庭です
1、小学生時代
僕は、幼少期は陰キャでした。
・無口
・話さない
・あまり人と群がるのが嫌い
・一人でいるのが好き
・人に興味がない
社会人としては不適合なのは確実ですが幼少期の頃
小学生時代に至っては上記のようになります。
頭がいいわけではなく、成績も2が多く時々3つく
レベルの成績なので大したことはありません。
スポーツもよくなく体力がないから特質した
特徴もありませんでした。
なのでステータスを言うと下の下レベルです。
協調性もなく成績もよくなくスポーツもできない小学生時代で
僕が誇れるのは1人で家でゲームすることでした。
ゲームをすることで暇をつぶすのですが、
ゲームにかなりの時間を当時
していて友人との遊びを小学生時代するのですが、
大抵の人たちは友人と遊ぶと思いますが、
私自身一人でいるのが好きだったので友人の遊びを、
断ることに躊躇がなくそれほど大好きでした。
何が誇れるのかというと「継続してコツコツ」するというのは
もうこの時に体得していたので、ゲームをしながら
トライアンドエラーを繰り返してゲームをクリアしていました。
友人と外で遊ぶ、公園で鬼ごっこやケイドロ、
ドッジボールなどして遊んだが、まったくできず面白くなかったです、
これは学生時代共感できる人は、かなり多いはずです。
僕自身スポーツもできず、頭も悪かったため、
いじめられる対象になっていじめを受けたりしていました。
いじめを受けて学校に行くのが嫌になったり、肥満になったりした時が
あってどうしようもない時が高学年の時にありました。
家庭はどうだったかというと
僕と同じ、両親も人にあまり関心がない家庭でした。
なので、僕自身が今に至って関心がないのは遺伝的だと
わかったのがつい最近です。
両親もあまり関心がないということは、
僕に対しての教育もあまりなく、ゲームをし続けていても
何も言われず、放置されている状態です。
教育もあまりされず、放置されていたので、
自分自身何をしていいかわからず、例えばテストの点を
100点とってこいみたいなこともありませんでした。
なので小学生の時は勉強のやり方が、わからず中学生時代に
突入することになりました
2、中学生時代
この時代もゲームをやり続けている自分がいましたが、
中学生の時に友達と呼べる人ができてすごく楽しかったです。
この時の性格は
・あまり人と群がるのが嫌い
・一人でいるのが好き
・人に興味がない
部活動もしていたけどなんだかんだつまらなくなりやめてしまい
「面白くないことに対して努力してもつまらない」と
この時にわかり自分の好きなことを突き詰めようとしました。
小学生時代の時も家で遊ぶ友達がいましたが、
中学生時代の友達と一緒にゲームをして遊んでいて楽しかったです。
中学生3年の時に、受験勉強になり、
全然勉強していなかった自分がいて、
この時にある事実を聞くことにより僕は勉強することに決心しました
それは「勉強しなくても名前書くだけの高校に行ける」という情報でした。
当時は勉強しなくても行けるというすごい高校があるのかということを
頭の片隅において言いたのですが、これは底辺高校に行けるという
最悪な選択肢を取るということと同じだからです。
頭も悪く、スポーツもできない僕は友人に言われようやく気付き
勉強することになりました。
この時は両親も離婚しており、引っ越しの最中だったのでかなり
タイミングが悪かったことは今でも覚えています。
通知表の成績も悪く、2が多く3もちらほらある程度で
3年生の時は10段階評価だったので、
3と4が多く何事においてもダメダメでした。
底辺高校にはいきたくはないとわかっていても、何をすれば
わからないので、最初の方は戸惑いました。
この時は僕も気づいていなかったですが、ゲームのように
コツコツすれば成績が上がるのではないかと、仮説を立てていました
はじめの一手は、テスト範囲のところだけ丸暗記です。
これはすぐに結果が出て、本当にテストの出題するところのみを
丸暗記をしただけで1学期の中間考査でほとんどのテストが
70点付近を取り、この時にこんな簡単にテストの点数が取れると
思い楽勝だと気づき、期末考査の時は80点近くとり浮かれました。
この時に友人に自慢をしてウザがられました。
この時に英語の英単語がまったく覚えていなかったので、
英単語を覚えようと躍起になっていて1,2年生の時に習った英語を
見直して覚えなおしましたが、覚えることができず
この時に、少しは後悔することになって、多少は勉強も
コツコツして継続させようと思い決心しました。
受験勉強を一生懸命したのは約7カ月間もしていました。
通知表も爆上がりして7~8の評価がちらほらあり、この時思ったのが
これ誰でもできると思いかなり後悔しました。
高校受験は1年~3年の成績の総合で行ける高校がほぼ決まってしまう
ため3年から一生懸命した努力が多少報われましたが、
僕が目標にしていた偏差値60以上の高校は行けず、
偏差値55の高校に行くというかなり落ち込みましたが、
名前を書くだけでいける高校には無縁になったのはうれしかったです。
成績も悪く自分自身頭が悪いと思っていたけど、
なんだかんだ行けるんだと思い、コンプレックスの一つである
頭が悪いというのが消えて嬉しかったです。
ステータス的には中の中になっていると自分は思っていました
3、高校時代 旧帝大受験編
なんだかんだ名前を書く高校にはいかずに済み
偏差値55の高校に行くことになりましたが、
入学時に思ったのが自分の住んでいる。
都道府県で一番頭がいい大学に
行こうと決めたことです。もちろん自分の実力では
到底無理ですがやらない後悔よりやる後悔というのは、
今までの経験上やった方が良いという結論になったからです。
しかしながら、7カ月間もしたことがない勉強をして
ストレスをためていてなんだかんだ遊びたかったので
1年間は友達を遊んだりして普通の高校生ライフをしていました。
性格もあまり変わらなかったけど、友達は段違いに増えました
・一人でいるのが好き
・人に興味がない
中学生の時は部活動を多少していたけど、つまらなく努力しても
何もなかったことが災いして高校では部活動はしていませんでした。
そのかわり友達とゲームセンターに通い、
「スーパーストリートファイターⅣAE 2012」
というゲームにはまり没頭していました。
高校の時は、はまっていたものの学校があるため
あまりできませんでしたが、これは後で書くこと、
になるのでここでは割愛します。
高校生2年生になった後から、中学生3年生に起きた
悲劇を起こさないように今回は高校生2年生から受験、
勉強を始めることになりました。
旧帝大を受けようと思った理由ですが、それは当時から
モブ大学(Fラン等の学歴をアピールできない大学)
に受けても意味がないとわかっていたからです。
なぜかというと、大学には国立、公立、私立とありますが
ほとんどの私立大学は多額のお金が必要になり、僕の家庭は
貧乏だったので学費が払えないことと、
もう一つはFラン大学とかその他の大学は大企業とかで
スクリーニングされる事実を知っていたからです
それと同時にモブ大学に行こうと同年代が多かったですが
行く理由を聞いても、適当な理由が多く今思えば止めといた方が
いいとしっかり言っておくべきかと思いました。
こう言っておきながら、じゃあイマカ旧帝大に合格できたかと
言われるとできませんでした。受験に失敗した教訓は勉強するのが
遅すぎたという事実だったので浪人して2年間頑張りました。
4、2年間の浪人 アルバイト編
受験に失敗した後、大学に行くための資金をためるために
アルバイトをして受験勉強に勤しんでいました。
アルバイトをしていた時に気づいたのですが、
全然お金がたまらないことがわかり、
ブログのアフィリエイトで稼ごうとしたけど、
まったく稼げなくて撤退しました
何事においても楽して稼げるというのはないと思い、バイトをして
複数の収入を得ながら、勉強するのは不可能だったので、勉強をしながら
バイトをしていました。受験勉強は残念ながら不合格で終わりました
受験を失敗したのでお金を稼ごうとFXやバイナリーオプションに
約200万近く投資をしてすべて溶かしてしまい自分にはセンスがないと
思い撤退しました。
これ以降は自力でお金を稼ごうとは当分思わなかったです。
学歴自体は高卒だったので、何事においても苦労してしまい、
就職には困難を極めましたが、なんだかんだあって就職先が見つかり
そこに依存するという形で3年から4年まで勤務していました。
やめてしまった理由は上司のパワハラにあい精神的なストレスから
解放されたくて、逃げ出す思い出退職しました。
この後に「せどり」というのを知り、ブックオフで本を仕入れて
アマゾンやメルカリで売るという稼ぎ方を知り、youtubeやブログとかで
無料で勉強していて情報自体を得ていました。
この後に半年で独学で月収30万を達成したいきさつを述べます
5、半年、独学で本せどりで月収30万いったことのいきさつ
貯金が多少なりともあり、実行に移したせどりですが、
何事においてもはじめの方は情報自体は少なく、僕個人の目標は
「1年間で成果が出ず、30万円も稼げなかったら撤退しよう」
とあらかじめ決めていました。
これはなぜかというと、ブログもFXもバイナリーもお金を稼ぐことに
対しては継続してコツコツしていなかったからです。
なので、今回の本せどりにおいては今までの行為を自省して取り組もうと思い、3か月で月収10万円、半年で月収30万円達成して、安定化させようと月収20万円をキープしています。
月収10万円に達成するまでは、無駄な遠征や無駄な仕入れ等を繰り返して不良在庫をためる悩みがたくさんありました。
リサーチの数もかなりして地獄でしたが、
今はもうリサーチの仕方において自分なりのオリジナルな手法で
完結したので労力もはじめの半年間に比べて精度が上がりました
その上にメルカリだと評価が低いと売れないという現象を
全く理解しておらず、クレジットカードの支払いに追われるという
日々を過ごしていました。
漫画のリストを取るということも知らず、youtubeやブログの情報だけでは現実的にまったく仕入れができるようにはなりません。
これは僕自身、情報発信して分かったのですが、無料の情報だけでは
確実に稼げるようにはなりません。
今回の自己紹介においては割愛させていただきます。
まずなぜ、僕自身が月収30万円いったのかというと、
メルカリでバイイーという海外代行業者の存在を知っていたけど
海外に需要がある物を取り扱っただけで本の収入で20万、
バイイーの商材これも本です、これで10万円合わせて30万円
利益率は50%で売上が60万円で達成しました。
月収20万円を飛ばして30万円に行ったことで20万円を
安定化させようと思いました。
なぜこのように独学で成功したかというと、
過去に成功体験があるからです。
高校で友達としていた
「スーパーストリートファイターⅣAE 2012」
で成功体験があるからです
ゲーム自体はインターネットでつなげて日本中の人たちと
対戦格闘するゲームとなっています。
僕自身はゲームをしていてうまくなりたいという強い思いがあり
1年継続して、弱いキャラだったのですが、
継続してコツコツして正しい方向に努力した結果、
上位10%以内に入りこむことができました。
この実績があるため1年以内という期間を設け、
結果が出ないと撤退するのはそれが理由です。
学歴も高卒でビジネスではブログやFXやバイナリーオプションともども
失敗してきた僕でも本せどりをして半年30万円を達成したということは
正しい方向性に努力してコツコツ努力するだけで
十分だと再認識させられたからです
今、会社勤めの人たちでも副業で10万、20万と稼ぐなら間違いなく
リスクが一番低い本せどりが良いです。
僕でもできたので皆様でもできます。
ここまで長い文章をよんでいただきありがとうございました。
面白いと思っていただいた方は、
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