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アメリカ印象派展 “アメリカのモネ”と呼ばれた画家

東京・上野の東京都美術館で開催中の展覧会「印象派 モネからアメリカへ ウスター美術館所蔵」。おかげさまで連日大勢のお客様にご来場いただいています! 
 きょうはメインを張っている画家のひとり、“アメリカのモネ”と呼ばれたチャイルド・ハッサムのお話。


▶”アメリカのモネ“ チャイルド・ハッサム 

モネの《睡蓮》(1908年)と並んで展覧会のメインビジュアルとなっているチャイルド・ハッサムの《花摘み、フランス式庭園にて》(1888年)。筆のタッチが似ていることから、ポスターを見てモネの作品と勘違いする方も多いようです。それもそのはず、ハッサムは”アメリカのモネ“と言われる、アメリカ印象派を代表する画家なのです。(本人はそう呼ばれることはあまり好きではなかったようですが・・・) 
 
 チャイルド・ハッサム(1859-1935年)は、ウスター美術館の地元、マサチューセッツ州ドーチェスター生まれ。20代前半で初めてパリを訪れてフランス近代絵画に出合い、その3年後、フランスに留学しました。入学した美術学校は好きになれず、ほどなく自主退学しますが、その後もパリに残り、印象派の緩やかな筆致や明るい色調の技法を身につけて帰国。ニューヨークの高層ビル群や都市生活、地元ニューイングランドの風景などアメリカらしい主題を描きました。  

ハッサム《シルフズ・ロック、アップルドア島》(1907年)
舞台はニューハンプシャー州とメイン州の海岸近くの避暑地

▶アメリカに愛され続ける画家 

商業的にも芸術的にも高い評価を得て、生涯で3000点近い作品を残したアメリカの国民的画家の一人。日本ではメジャーとは言えない作家ですが、アメリカ各地の美術館がその作品を所蔵していて、メトロポリタン美術館で回顧展も開催されています。(2004年)
  また、ホワイトハウスの大統領執務室にも作品が飾られていますから、いかにアメリカ人に愛されている画家かがわかります。このホワイトハウスコレクションの作品は星条旗が掲げられたニューヨーク5番街。第一次世界大戦の戦中から戦後にあたる、1916年から1919年の間に描かれた連作の一つで、アメリカ社会の愛国的な空気が感じられます。

大統領執務室に飾られている ハッサム《雨の大通り》(1917年)
手前はバラク・オバマ大統領(当時)2009年撮影 

この作品を見て、オルセー美術館所蔵のモネの《モントルギュイユ街、1878年6月30日の祝日》を連想した人も多いかもしれません。

▶これぞアメリカ印象派!会場で〇〇にも注目!

 本展にはハッサムの作品が4点出展されていて、制作年や主題を比べるのも楽しいです。 
 4点のうち最も早い時期の作品は《コロンバス大通り、雨の日》(1885年)。 初めてのパリ訪問から帰国して、再び留学するまでの間に描いた作品です。 どこかギュスターヴ・カイユボットの《パリの通り、雨》を彷彿させます。カイユボットが石造りのパリを描いたのに対して、ハッサムは開発されたばかりの赤レンガのボストンを描いています。 

ハッサム《コロンバス大通り、雨の日》(1885年)
ギュスターヴ・カイユボット
《パリの通り、雨》(1877年)シカゴ美術館
※本展には出展されません

すっかり本展の「顔」になった《花摘み、フランス式庭園にて》(1888年)はパリにいたころの作品ですが、《シルフズ・ロック、アップルドア島》(1907年)にはニューハンプシャー州とメイン州にほど近い避暑地の海岸が、そして《朝食室、冬の朝、ニューヨーク》(1911年)には窓から近代的な大都市ニューヨークの摩天楼、と ”This is America!” を感じられます。そう、”アメリカ印象派”は何よりも「主題」がアメリカ的なのです。

ハッサム《朝食室、冬の朝、ニューヨーク》(1911年)  
カーテン越しに見えるのはマンハッタンのフラットアイアン・ビルディング 

展覧会ではこの作品をウスター美術館が購入した際のハッサム自身と当時の館長の書簡のやりとりも展示しています。美術館から値下げを依頼されたハッサムはそれに応じるものの、自分が提示した値段が途中でわからなくなったのか、逆に館長に問い合わせるなど、少しおっちょこちょいな(?)一面も垣間見えるやりとりです。お世辞にもペンマンシップが上手だったとは言えない手書き、解読するのに苦労しました(笑)。ぜひ会場でご覧ください。 

1911年6月27日付 
ハッサムからウスター美術館館長にあてた書簡 
《花摘み、フランス式庭園にて》のハッサムのサイン
悪筆(?)の書簡とはちょっと異質な几帳面な筆使い







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