想像力を鍛える社会、考える力を得よ。
論戦とか恥ずかしい
考える人が少なくなったと書いた。
しかし、考える人は居なくなったわけではない。
考える人は少なくとも多いと願っている。
今回の0人フォロワーですらそこそこの人間が読んでくれている。
「エモい」とか、いいねとかは要らないのである。
エモいというのはファンタジーである。
共感性を高めるだけであり、一過性的なものである。
今日も街の人間はマスクをしている。
マスクをしていない人間は非人間であるみたいな風潮である。
その人達に問いたい、なぜ?マスクをしているのか?と。
こんな暑い日にマスクをしているのか?と。
誰もが言うだろう。
「みんながしているから、マスクを付けている」と。
こういうところが日本人的であり、馬鹿にされる理由である。
想像力を鍛えろ
ただし、馬鹿にされるよりは、日本人の同調圧力というのは
凄まじい。
正義マンに代表されるように正論ならば相手は黙るという風潮である。
ネットに新型コロナウイルスは空気感染すると言う人間が居た。
その人間は空気感染するからあーだこーだ言っていた。
勿論、その論調は正しい。
私は医学者でもないし、感染専門家でもない。
もしかしたら空気感染するかもしれない。
では、空気感染するのが99%以上という前提ならば、
本日の日本全国の感染者は1万人以上を超えているし
10万人でも済まない。
PCR検査は勿論、追いつかない。
街中でゲホゲホいっているはずである。
私は「想像力を鍛えろ」と唱える。
はっきり言って、街中でゲホゲホ言っている人間はいるのか。
居ないだろう。
また、前回の記事に書いた通り、いま私のNOTEを読んでいる人間は
新型コロナウイルスに罹っていないというのは当然だ。
新型コロナウイルスに罹っているならば、こんなフォロワー0人の
NOTEを読んでいる暇すらないのだ。
そもそもインフルエンザに罹ったように寝込んでいるか
ネットすら接続できない。
ネットに接続する余裕もないのだ。
そういう「想像力の欠如」がいまのような結果になっている。
だから、私はマスクをしないで街を歩けとは言っていない。
日本人的な発想はもういらない
論理的に話をするということは、別に構わない。
ただ、論理的に口論をして戦うというのは恥ずかしいものだ。
私はそう思った。
あなたの主張を私は受け入れるまであーだこーだいうことはしない。
そういうことは非常に恥ずかしさを感じる。
Aだ!Bだ!という論調を一方的に話して相手を屈せるほど
私も相手も暇ではない。
そう考えてしまうと別にどうでもいいことに思えてくる。
「情報」というのはあまりにも過多に溢れている。
その中に「真実」というのはない。
※編注 令和2年5月14日 追記
勘違いしてほしくないのであるが、
「真実」はないが、「事実」はある。
You Tuberやらブロガーやら、クソみたいなインフルエンサーは
ネットから「真実」ということを誇張する。
しかし「事実」を誇張する人間はほとんど居ない。
日本語とは面白いもので、
「真実」と「事実」はほぼ同じものとみなされているが
「真実」と「事実」は、全くもって違う。
実際に第三者の誰がどうみても間違いなく
これは確実にあったことは「事実」だ。
もちろん、情報発信者の経験に基づくものは
「事実」だ。なぜなら、起こったことから、
最終的にどうなったのかまでを
すべて知っているからである。
外野からどう突っ込まれても経験に基づく「事実」は
反論ができる。
実際に体験したから何から何まで知っている。
しかし、情報発信者の「真実」は違う。
そこに「願望」や「個人的見解」の含みをもたせている。
騙されてはいけない。
閑話休題
要はこれはこうだ!とアタマが固くなってしまうと
どうしようもないことになる。
脳味噌はもっと柔軟にしてやるべきである。
その結果として、「想像力の欠如」やら「考える能力」の不足が
挙げられるのである。
それにしても、日本人の同調圧力があまりにもすごすぎて
一人が奇異な試みを行うと、集団的に叩かれるという風潮は
もう廃れるべきだ。
挑戦的な行動を行う人間には非常にエネルギーがいる。
集団の意見に合わせるだけの人間にはエネルギーが余る。
この差は一体何なのだろう。
後からついていくという戦術は確かにエネルギー消費は少ないが
「想像力の欠如」や「考える能力」の不足しかもたらさない。
いかにも日本人的である。
長い物には巻かれろ的な発想である。
歴史は繰り返す
歴史は10年周期、20年周期、100年周期と繰り返す。
新型コロナウイルスで、この世の終わりみたいな風潮である。
半分当たりであり、半分ハズレである。
いままでの10年間においしい思いをしてきた人間にとっては
この世の終わりのような気分になっているだろう。
考えてほしい。
いままでにこの世の終わりのような気分になったことは
幾度あっただろうか。
勿論、若い人たちはそんなにこの世の終わりになった気分は
少ないと思われる。
この現象は、歳を重ねる人ほど多くなる現象である。
そのたびに、この世の終わりだ。
もうお終いだ。
どうしようもないんだ。
と一過性的に嘆いてしまうが、結局は立ち直っているのである。
新型コロナウイルスに関してはどうだ。
あなたの認識はどうだ。
致死率95%以上の肺炎ウイルスなのか。
予後不良の肺炎後遺症ウイルスなのか。
人間を甘くみていないか。
そもそも、人間には自然的な免疫力がある。
風邪気味の時に「旅行に行く」と思うのか。
解熱剤まで飲んで「旅行に行く」のか。
持病持ちの人間が遠出したりするか。
したとしても計画的にエネルギーを注いでするだろう。
そういった「想像力の欠如」がいまの社会である。
気持ち悪い正義だけが蔓延る社会である。
それでいいのか。
私はそれこそ気持ち悪い。
考える力がなくなったら、自然淘汰されるしかない。
そう考えてしまってもしょうがないだろう。
令和2年5月11日
いまいずみ(imaizumi)