孤独な中年弱者男性年収300万未満は 人生終わり…なのでしょうか。
【要約】
孤独な中年弱者男性・年収300万円未満は
人生が終わりみたいな風潮がありますが、
半分は本当ですし、半分は抗えるのではないでしょうか。
こういう叩きやすいようなコンテンツ化は
どうにかならないものでしょうか。
こんにちは、こんばんわ。北里明日香です。
上記の「孤独な中年弱者男性年収300万未満は
人生が終わり」みたいなことが風潮としてありますが、
格差社会や分断社会、自己責任社会の極みが
こういう問題を生み出したのかなぁって思います。
この命題に対する処方せんというのが、
とにかく難しいのです。
■ ダッシュボードを見て思ったこと
昨年にも書いたのですが、
ダッシュボードを見ていると、そこそこ読まれているので
こういう問題はレスポンス・関心があるのだなぁとも
思いました。
以前書いたものです。
いつぞやに書いたものの処方せんとしては、
経済対策をして所得を上げましょうというようなものですが、
半年くらいが経って、物価高にはなってしまうわ、
最低賃金は上がったとはいえ、所得は少ないということもあって、
社会の問題として提起するのは大事なことですが、
個々人としての処方せんになってくるのではないのかなぁと
思って今回は書くということにしました。
■ 言葉の因数分解をしないといけない
まず「孤独な中年弱者男性年収300万未満は人生が終わり」という言葉を
因数分解をしないといけないと思いました。
逆に言えば、
「孤独じゃない中年強者男性年収300万以上は人生は終わりじゃない」と
仮定してみましょう。
どうなのでしょうね・・・これ・・・。
本当にそうなのでしょうか・・・ね。
孤独じゃなくて、中年だけど(何が)強者男性で
年収300万円以上なら人生は終わりじゃない。のでしょうかね。
すごく難しくする要素としては、カテゴリー分けにしているところなのだと思います。
というかこの命題って結構言葉の意味によりけりじゃないのかなぁって
思ってきた次第なのです。
■ 孤独とはなにか、またその処方せん
まずは「孤独」の扱いです。
中年男性は孤独である。みたいですが、
大体、中年になると人びとはある程度は孤独なものじゃないでしょうか。
逆に中年で若い世代のように「ウェーイ!!」ってしている人っているのでしょうか。
それが楽しいものなのでしょうか。
わからないものです。
処方せんを考えてみましょう。
社会学的に考えると「居場所がある」ならば、
「孤独」を抜け出すことは可能じゃないでしょうか。
「人間関係を半分降りる」鶴見済著(筑摩書房)によると、
人間は2箇所の居場所があれば十分と書いてあります。
「ひとつは仕事的な居場所、もうひとつは趣味的な居場所。」
最低限としてこの2つの居場所があれば良い、
また家族持ちなら家族関係の居場所でも十分です。
今の時代ではネット環境も多様化していますので、
オンラインでの繋がりも手段としてはあります。
そういったツールを使わずにして、
「孤独なんです」というのは如何なものなのかと思われます。
■ 中年弱者男性という言葉とその処方せん
次に「中年弱者男性」という言葉ですが、
中年(ちゅうねん)とは、
成人として中くらいの年齢であり40歳から65歳の25年が該当する世代とされる年齢。
とWikipediaには載っています。
となれば、そうなのでしょう。
さらに「弱者男性」というのはどういうものなのでしょう。
弱者男性は、独身・貧困・障害など弱者になる要素を備えた男性のことである。
とこれもまたWikipediaに書かれています。
つまり、40〜65歳の独身・貧困・障害持ちの弱者になる要素を備えた男性は
「中年弱者男性」ということですね。
処方せんを考えてみましょう。
この状況をどうするのかというと、難しい。
このような状況はわかりますけど、カテゴリーとしての処方せんは
不可能に思えます。
つまり言えば、個々人で解決する他ないということになります。
そ、そんなー無責任なーと言われそうですが、
ここまでのレイベリングを持っていて、
その大多数を救うっていうのは無理難題です。
めちゃくちゃです。
個々人の個別案件となりますよこんなの。
処方せんとしては、このようなレイベリングに対して、
くるまっているならば処方せんも何も出せないということです。
それを盾にするならばそれを盾にして何かしらの発信をすればいい。
逆にその状態が嫌ならば、独身・貧困・障害を利用したりして、
抗(あらが)ってみたり、何かしらのアクションを起こすしかないと
思われます。(反社会的なのは当たり前ですが、ダメです)
次に「年収300万未満」ですが、
普段どおりで年収が上がるならいいですが、
上がらない結果として年収300万が出てきたのならば、
ひとつはそれを受け入れるものだと思いますし、
それが不満でしょうがないのならば、
そのエネルギーを副業や転職や仕事を増やすような、
前向きなものに変えていくことが大事なのかなぁと
思います。
■ 人生が終わりなのかは誰が決めるの
ここまで書いてきて、人生が終わりなのか、始まりなのか、
何なのかは、誰が決めるの?ってことになります。
そもそものこの例の言葉自体は、
誰が決めたの?ってなりますし
自然発生的に生まれてきたものじゃないでしょうかとも
わたしは思うのです。
実際のところ、その言葉のおかげで、
そのようなスタンスを取って発信していれば、
変な安心感もあって心地が良いので現状維持っていうのも
あるのではないでしょうか。
じゃないと、逆にこの言葉に対しての処方せんが少なすぎます。
これからの時代は「個人主義」だとか何か言われますが、
弱者男性という言葉を好んで使う人たちは、
「個人主義」というよりは「集団主義」を選ぶと思われます。
弱者男性が集まって寄り合いをもっていたほうが、
心地が良いからだと思います。
「個人主義」というのは、
すべての個人を尊重する主義のことであります。
個人主義=自分勝手ではありません。
自分勝手というスタンスは「利己主義」なのです。
弱者男性たちは「個人の尊重を好ましく思わない」と思われます。
持ちつ持たれつの依存的関係のほうが心地が良いと思うのです。
真の個人主義は「他人を思いやるスタンス」なので、
この辺りは真反対と思うのです。
というわけで長々と書いてきたわけですが、
人生が終わりとかは誰が決めるわけでもありません。
自分自身と思います。
常に何かと戦うような人生はしんどいです。
「孤独・弱者男性・年収」などのカテゴリーはしんどいので、
どこかしら気楽に生きていくような人生のほうが、
良い方向に向かうんじゃないのかっていうのが、
わたしの考えなのかなぁと思った次第でした。
それにしても書いていて疲れましたね・・・これ。
でわ。
北里明日香(Asuka Kitazato)
2023/01/06
18時49分
参考文献
「人間関係を半分降りる」鶴見済著(筑摩書房)
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