脚本「あなたのための数え歌~三島由紀夫 近代能楽集「卒塔婆小町」より~
「あなたのための数え歌 ~三島由紀夫 近代能楽集「卒塔婆小町」より~」
カフェ。閉店間際の閑散とした店内。うっすらと聞こえる「蛍の光」。
女がひとり。
どこかで拾ってきたようなネジや紙くず、ガラスの欠片など、ゴミにし
か見えないようなガラクタを、テーブル一杯に広げて大切そうに数えて
いる。
汚い着物に羽織、大きな薄汚れた布を被っている。
数える手はこわばっている。老婆のようであるが、その顔は全貌が見え
ない。
女 ちゅうちゅうたこかいな・・・ちゅうちゅうたこかいな・・
閉店を告げにやってくる店員。
店員 申し訳ございません。お客様、まもなく閉店のお時間となりますので
女 すみません、待ち合わせだったものですから
店員 お帰りの準備をお願いいたします
女、ガラクタを数えながら仕舞っている。
店員、迷惑そうに去ろうとするが、思い立って。
店員 あの、いつも、誰を待ってるんですか?
数えている女。
店員、諦めて去ろうとする。
女 百夜通いというお話をご存じですか?
店員 え?
女 ひとりの女流歌人がおりました。それはそれは見目麗しいと評判の女
でした。けれど誰もその女の顔を見たことはありませんでした。たく
さんの男たちが、どうしても一目会いたいと女に申し出ました。女は
そのたびに言いました。・・・今宵から毎夜、百日の間、私の元に
通ってきてください。百日目にはあなた様の望み通り、姿を現しま
しょう・・・あなたならば、どうなさいますか?
店員 どうって・・・・
女 百日間もの間、毎夜、顔も見たことのない女の元に通うのです。そし
て一目も会えず、声もかけてもらえずに、ただ、今日も通ったという
証だけを残して帰っていくのです。あなたならば、できますか?
店員 ・・・嫌になると思います、途中で
女 (嬉しそうに)そうでしょう。想いなど続かないものです。3日も通
えば、音を上げて諦める。そんなお方を何人も数えました。
店員 でもあなたは待ってるんですね、この喫茶店で、誰かを、毎日
女 ちゅうちゅうたこかいな、ちゅうちゅうたこかいな・・・
ガラクタの中から、一粒の木の実を見つける。
時代の流れを表すような、音。場は女のかつて住んでいた部屋へ。
突然、男の驚く声「ひゃあ!!」
女、慌てて部屋に隠れる。
逃げ込むようにして現れる、男。息が乱れている。
男 小町様、今宵もまいりました。深草で御座います。今夜のご気分はい
かがですか?
女、答えない。
男 はは、驚かせてしまいましたね。いや、どうも気持ちが逸って仕方が
なかったものですから、道中を駈けて参りましたら、木の根に躓いて
しまいまして。いやあ、派手にやりました。それで今度は慎重にと、
手探り手探りで参りましたら、今しがたその藪を抜けるところでなに
やら得体のしれないぬるりとしたものに触りまして・・・
後ろが気になる。怖い。
男 蛇でしょうな、おそらく、いやきっと蛇でしょう。間違いなく蛇で
しょう。嫌なもんですなあ、あの蛇というのは。ぬるっとひやっとし
て、どうも好きになれません、小町様はどうです?
女、答えない。
男 はは、十日も通えば、夜道にも慣れるかと思っておりましたが、まだ
まだでございます。けれどもお約束の百日目には、目を瞑ってでも小
町様の元まで通えるようになりましょう
女、答えない。
男 今夜も木の実を置いていきます。明日の朝、鳥についばまれたりせ
ぬよう、どうぞどうぞ、夜明けまでに仕舞ってくださいませ。それで
は、まいります。また明日の晩に。・・・小町様、今宵の新月は、と
ても美しいですよ
ちょっと藪におびえつつ、去る男。
そっと外に出る小町。木の実を拾い、夜空を見上げる。
男が現れ、木の実をひとつずつ置いていく。
女 この世に永遠に続くものなどないのです
男 小町様、今宵の夜露はとても美しいですよ
女 すべては移り変わりいつしか、醜く衰退していくのです
男 今宵の星空はとても美しいですよ
女 夢も、愛も、そして美しさも
男 今宵の花の香りはとても美しいですよ
女 (隠した顔の半分に触れ)朽ちた花は、人目に触れずひっそりと、ただ
土に還るのを待つばかり
横になる女。雪が降っている。
男 小町様、今宵もまいりました。深草で御座います。今夜のご気分はい
かがですか?
女、少し驚く。
男は寒さに震えている。
男 いや、すごい雪で、少々遅くなってしまいました。お休みのところで
したら、どうかご無礼をお許しください。すぐにお暇いたしますの
で。小町様、今日で五十日、約束の百日まで、ちょうど半分です。お
気づきでしたか?
女、答えない。
男 一日一日の、なんと短いことでしょう。あなたを想いながらの道のり
が、楽しいのです。あと何日、と指折り数えるのが、楽しくて楽しく
て仕方がないのです。あの薮に蛇さえいなければ、もっと楽しいので
すけれどね。それでは、参ります。また明日の晩に。・・・今宵の雪
はとても美しいですよ
女 もし・・・どうぞ道中、お気を付けて。また躓いたりなさらぬように
男 ・・・ありがとうございます
男、言葉にならない喜び。去る。
女 ちゅうちゅうたこかいな・・・
女、木の実を数え始める。だんだん、百日に近づいている。
男 小町様、今宵もまいりました。深草で御座います。お約束の通り、あ
なたの元へ毎夜通って、今宵がちょうど百日目でございます。
女 深草様、お待ち申しておりました。
男 私も、この日を待ちわびておりました。
女 本当に百日通ってきてくださったのは、あなたが初めてです。おかし
な人ですね
男 ちっともおかしくなどありまえん、お約束を果たしただけです
女 蛇にはもう慣れて?
男 いや・・・人間の歌を聞くと蛇が逃げていくと聞きましたので、藪で
はいつも大声で歌っております
女 (笑って)おかしな人
男 小町様、どうぞ、お顔を見せてはくださいませんか
女、顔を隠したまま、恐る恐る少しだけ戸を開ける。
月明かりに、男の美しい顔。
女、おもむろに木の実の入った容器を外に出し、戸を閉める。
女 その中に、あなたが毎晩持ってきた木の実がすべて入っています
男 (木の実を入れて)これで百個目。最後の一つです
女 いいえ、数を数えてごらんなさい。私は先ほど、中身を出して数をす
べて数えました。中に入っていたのは98個。今あなたが入れた最後
のひとつを足しても、99個。数がひとつ足りません
男 そんなはずは・・・・
数え始める男。
女 木の実は99個です。私に早く会いたいばかりに、あなたは約束を破
り、数を誤魔化したのでしょう?
男 まさか。あなたの元に通う一晩一晩が、この上なく幸福な時間だった
のです。自らその時間を短くしようだなんて、そんなことをするはず
がありません
女 では、きっとどこかで数を数え間違えたのですね。数もまともに数え
られないなんて、あなたの想いもそれだけあやふやだということで
しょう。100日通ったという証がなければ約束を果たしたとはいえ
ません。お帰りになって、どうか
男 お待ちください。ほんのひととき、あなたと視線を交わしたいだけな
のです。あな たは?あなたは、どうですか?
女 私は・・・約束は約束です。どうぞお帰りください
男 わかりました。それでは、明日から毎夜、百日の間、あなたの元に通
いましょう
女 え?
男 もう一度、申し出ます。今度は決して数え間違えません。百日目の
晩、私の前にお姿を現してくださると、約束してくださいますか?
女 ・・・約束しましょう
男 それでは、明日からは、そうですね、私が美しいと思うものをお持ち
しましょう。百夜通いの証に。それでは、参ります。また、明日の晩
に
女 あの・・・
男 あなたがお望みならば何度でも繰り返しましょう。百日で足りなけれ
ば二百日でも、それでも足りなければ幾度でも。今日も、とても美し
い夜ですね
男、去る。
女 月明かりに照らされたあの人の横顔が、あまりにも美しくて、恐ろし
かったのです
女がこぶしを開くと、手のひらに木の実がひとつ。
こっそりと容器の中から抜き出した、一粒。
女 そうして、再びの百夜通いです。あの人は毎夜、美しいものをひと
つ、私に手渡していきました。かんざし。翡翠の石。彫刻、掛け軸、
美しい声で鳴くひばり、小さな貝殻、野の花、紅・・・私の部屋は夜
ごと、あの人の美しいと思うものでいっぱいになっていくのでした
現れる男。身なりが貧相になっている。
女 ・・・静かだこと
男 本当に、静かです
女 いま、どんなことを考えていらっしゃるの?
男 今私は妙なことを考えていました。もし今、私があなたとお別れした
としても、百年、いやもっと先、きっとまた出会うことになるだろう
と
女 どこでお目にかかるでしょう、お墓の中かしら、きっとそうね
男 いや、きっと・・・また、ここで。同じ、この場所で、もう一度あな
たにめぐりあう。そのとき、私もあなたも、どんなふうに変わってい
るかは、わからない
女 百年先・・・世の中はどんな風に変わっているのでしょうね
男 変わるのは人間ばかりでしょう。百年たっても、菊の花は、やはり
菊の花でしょう
女 人間も、百年たってもやっぱり人間かもしれません。なにも変わらな
いかもしれませんね
男 ・・・・約束に間違いはありませんね
女 約束って?
男 明日の、百日目の約束です
女 今度こそ。・・・約束は果たしましょう
男 ああ、確かに明日、待ち焦がれていた望みがかなうんだな。なんて妙
な、寂しい気持ちなんだろう。もう望んでいたものを、手に入れた後
みたいな気持ちだ。恐ろしいのです。明日が来るのが
女 それなら、ここでやめておきましょう
男 それはできません
女 お気の進まないものを、無理になさってもつまりません
男 およそ気の進まないのと反対なのです。嬉しいのです。天にも昇る気
持ちでいて、それが恐ろしい
女 取り越し苦労がお過ぎになるわ、ただ一目、お会いするだけのこと、
なにも
男 あなたは、恐ろしくはありませんか
女 私・・・私も、同じ気持ちでおります。こんなにも嬉しいのに、永遠
に明日が来なければいいと思っている。
男 たすけてください、どうしたら良いでしょう
女 前へ・・・前へお進みになるだけですわ。明日は、やってきますから男 小町様、今日は美しいお話をひとつ
女 お話?いいわ
男 それは雨の日でした。
私はある屋敷の前におりました。
そこは、巷でも評判の女流歌人の屋敷でした。
その方の詠む歌は実に不思議でした。
彼女の言葉の術にかかると、この世のすべてのものが途端に美しく、
みずみずしく輝くのです。
私は、その方の詠む、歌に、恋をしていたのです。
そして、この素晴らしい歌人は一体どんな女性なのだろうと、身勝手
に何度も何度もそのお姿を思い描きました。
肌の白さはどれほどだろうか、唇は赤く潤んでいるのだろうか、黒く
大きな瞳はどんな表情を移すのだろうか・・・。
一度でいいからお目にかかりたい、そして私がどんなにあなたの言葉
に感銘を受けたか、直接お伝えしたいとそう思いました。
しかし、直接訪ねていく勇気もなく、その日もうろうろと、どうする
ともなく屋敷の前をさまよっていたのでした。
するとどうでしょう、一台の籠が屋敷から出てくるのが見えたので
す。
きっとあの中に、憧れの方がいる!
私は夢中でその籠を追いかけました。
雨で道はぬかるみ、私は何度も転びそうになりながらも、籠を追いま
した。
川沿いの道を抜けて、坂道を下る途中でした、
女 やめてください。なぜそんな話をするの。
男 雨に滑って、籠が倒れ、中から女性が放り出されました
女 ねえ・・・・
男 私は驚いて、助け上げようと駆け寄りました
女 ・・・・・
男 女性はすぐに袂で顔を隠してしまわれましたが、その一瞬、
女 目が、合いましたね、私と
男 覚えておられましたか
女 そうですか、あなた、あのときの
男 はい
女 ・・・見たのね?私の顔を
男 はい、ほんの一瞬のことでしたが、それ以来、一度も忘れたことはあ
りません
女 忘れられないでしょうね。恐ろしくて、一度見たらとても。知ってい
たのですね、化け物のようなこの顔のことを、知っていて・・・
女、美しいものたちを壊し始める。
男 小町様
女 あなたが持ってきてくれたものは、どれも本当に美しい。でも一度壊
れてしまったものは、もう二度と美しくはなれないの。美しいものに
いくら囲まれたって、戻れない。自分の醜さが際立つだけ。思い知る
だけ。美しいものにはなれない。もう二度と
男、戸に手をかける
女 見ないで。美しかったのです、こんな風になるまでは
男 この世のものはすべて美しいのだと、あなたの言葉を読んで知りまし
た。あなたも、この世のすべてと同じです。同じように、とて
も・・・
女 やめて言わないで。病気で皮膚がただれているのです。薬が合わず、
肉がえぐれているのです。目玉が・・・。その言葉を、口が裂けても
私に言わないで。歌だけを愛していてくださればよかったのに。そう
すれば私もあなたの思う、美しいもので居続けることができたのに。
男 いま、目を瞑りました。こうして、目を瞑れば、私にはあなたの姿は
見えません。ただ、あなたの美しいお声と言葉と、心が見えるばかり
です。・・・こちらに、来てはいただけませんか
手を広げている、男。それをしばらく見つめている女。
女 約束は約束です
男 そうでしたね。お約束の百日目は明日でしたね。どうも私はいつもそ
そっかしくていけません。またふりだしに戻ってしまうところでした
女 あの、
男 なんでしょう
女 私は、嘘を。あの晩は、確かにちょうど百日目でした
男 ええ、そうでしたね。存じておりました。あなたが木の実を隠したの
が、月明かりの影に見えましたよ。
女 お帰りください。初めからあなたにお目にかかるつもりはありません
でした。あなたの気持ちがどこまで続くか試していただけです。百日
目がくることは永遠にありません。早くお帰りになって。
男 ・・・今日も、とてもとても美しい夜ですね
女、振り返る。もう男はいない。
女 次の日、百日目の夜に。あの人は来ませんでした。いくら待っても来
ませんでした。
(椅子に座り、ガラクタを数え始める)ちゅうちゅうたこかい
な・・・ちゅうちゅうたこかいな・・・
自ら両目を刺して盲になった男がいる、という噂を聞いたのは、それ
から少し後のことです。目から血を流しながら、町を抜け、川を越え
て、藪の中でのたれ死んだのだそうです。足取りは、にわか盲とは思
えないほど真っ直ぐで、迷いのないものだったとか。潰れた目で、あ
の人が見ていた世界は、どんな美しいもので溢れていたのでしょう
ちゅうちゅうたこかいな・・・ちゅうちゅうたこかいな・・・何度数
えても、百個目が見つからない
時代の流れる音。
照明が変わると、カフェ店内。
店員がいる。
店員 そうなんですか、昔のお知り合いを
女 ええ、約束したものですから。ここで、ね。だから、どこにも行けな
くて
店員 それで毎日・・・。ずいぶん長いこと、待ってらっしゃるんですね
女 そうですね、百日を数えて、百日を百回数えて、それをまた百回数え
る一生を、数えてこれで、もう99回目
店員 (女にかぶせて)もう99回目・・・・え?
女 え?
店員 あの、もし、お嫌でなければ、お手伝いいたしましょうか?その、
もう一度、数えなおしてみるというのは?
女と男は再び、数え始める。
音楽。
ちゅうちゅうたこかいな ちゅうちゅうたこかいな
ひとつ かんざし
ふたつ 翡翠の石
みっつ 美しい声で鳴くひばり
よっつ 小さな貝殻
いつつ 紅
むっつ 降りしきる雪
ななつ 今宵の新月
やっつ 夜露
ここのつ 花の香り
とう 月明かりの横顔
ちゅうちゅうたこかいな ちゅうちゅうたこかいな
ひとつ 喜び
ふたつ 悲しみ
みっつ 畏れ
よっつ 諦め
いつつ 慈しみ
むっつ 憤り
ななつ 焦り
やっつ 憧れ
ここのつ 恋焦がれ
とう 赦し
ちゅうちゅうたこかいな ちゅうちゅうたこかいな ちゅうちゅうたこかいな
ひとつ あの人の体温
ふたつ あの人の涙
みっつ 血液
よっつ 積み上げた木の実
いつつ あの人の声
むっつ あなたの言葉
ななつ あなたを待つ時間
やっつ 明日の約束
ここのつ あなたの見ていた、世界
目が合う二人。
とう
幕