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今日の読書ジャーナル

本を読むときは、気になった文章に付箋を貼りながら読みます。
後からメモ帳に書き留めておいて、なにが気になったのか振り返って深めてみたり、時々見返して創作のヒントにしたりするためです。
今までは自分の為だけにやっていた、この読書ジャーナル。
私が心にピン差しした情報や言葉が、noteを読んでいる誰かのひらめきにもなりえるかもしれない。
と思い、最近読んだ本の中で付箋を貼った部分を、自分の備忘録も併せて並べておこうと思います。

今日はこちらの4冊から。


「存在消滅 死の恐怖をめぐる哲学エッセイ」高村友也(青土社)

私は小屋を、自分の手で建てた。しかも、建築技法についてろくに学ばず、木材と鋸、釘と金槌といった私が直感的に扱える原始的な材料と道具だけで、自分が思いつくままに建てた。(中略)
結果、私の小屋は、木材の配置、釘一本に至るまで、自分の意図と計算で埋め尽くされていた。そこは小屋というより、自分の脳内であった。
小屋での生活も同様に、私一人によって設計され、私一人によって遂行されていた。私は自由の身であり、誰かの気持ちに心を沿わせたり、外部の時間の流れに自分自身を沿わせる必要もなかった。自分が自分の主であり、その小屋にいることは、まるで自分の脳の中に住んでいるかのようだった。

私がこの世界で最も不思議だと思うことは、「存在」である。
この世界で何が本当に「在る」と言えるのかは分からないが、物質であろうと、言葉であろうと、法則であろうと、何も無いのではなく、何かが在ること。この世界が無ではないこと。
最初は無であったのにある瞬間に何かが存在し始めたとしても不思議だし、最初から存在していたとしても不思議だし、そうした「発端の不思議さ」を除いても、今この瞬間に無ではなく何かが在ることがとても不思議である。

しかし、ぐるりと回って、結局は同じところに帰ってこなければならなかった。私はどこへも行けない。外に出て、一瞬、頭の中から抜け出たようで、結局また同じ思考空間に帰宅するのだ。
新宿から日本海側まで歩いたこともある。寝袋とテントを担いでまっすぐ歩き続けた。ぐんぐん歩く。しかし私はどこへも行けない。それを誤魔化すためにまた歩く。やはりどこへも行けない。一日中歩いても、百年歩いても、どこへも行けない…。

「タイの地獄寺」椋橋彩佳(青弓社)

実際に『プラ・マーライ』を上演する際には、堕落した不正な役人を地獄の住人にたとえてからかい、おもしろおかしく、かつ社会風刺的に演じていた状況があったという。(中略)このように地獄表現と社会風刺、すなわち地獄表現と社会批判は、十八世紀にはすでに親和性が見られ、地獄表現は政治批判と結びつきやすいものだといえる。

地獄窯とならぶ主要モチーフの一つである「棘の木」は、日本では「刀葉林」の名で知られる。棘の木に登らされているのは邪淫の罪、すなわち浮気の罪を犯した男女の亡霊である。(中略)日本の刀葉林では、女は常に男を誘う側であり、罰せられることはない、しかし、タイではこの点は異なり、男女平等に罪を受けることから、地獄寺でも棘の木に登っている亡者は男女両像が存在している。

棘の木の頂上には女がいて、下には男がいる。獄卒はお前の愛する女が上にいるぞ、早く登れ、と男を責め立てる。男は棘の木を登ろうとするが、棘が痛くて登れない。登るのを諦めて下りようとすると、下にいる獄卒に痛めつけられるので登らざるをえなくなる。男が頂上まで到達すると、今度は先の女が下にいる。そして女は獄卒に責め立てられ、頂上まで登る。これを繰り返さなければならないので、男女はともに出会うことがない。

地獄の亡者は獄卒など「他」のものから責め苦を与えられる点に特徴があるが、それに対して餓鬼は自身の姿が変容し、決して欲を満たすことができないという「自己」の葛藤に苦しむ点に特徴がある。

ヤーバーによる薬物中毒や交通事故、また環境破壊は現代の罪状そのものであり、これらの事例からは地獄寺の地獄表現が現代社会の悪を色濃く反映していることがわかる。(中略)
仏教がいまもなお生き続けている国では、その表現も時代とともに常に進化している。それは地獄表現でも同様であり、現代社会の悪は次々と地獄寺の地獄表現に反映されていく。逆に言えば、地獄寺の地獄表現をみることで、現代社会の悪を知ることができるのである。

「性の歴史Ⅰ 知への意志」ミシェル・フーコー/渡辺守章 訳(新潮社)

権力というものが、最も細かくかつ最も個人的な行動の水脈にまで忍び込んでくるものか、どのような道筋が、権力をして、欲望の稀な形態あるいはほとんど知覚されないほどの形態までも捉えることを可能たらしめているのか、どのようにして権力が日常の快楽に浸透しそれを統制しているのか

「私の好きな孤独」長田 弘 (潮文庫)

「戦争嫌い」というヴィアンの歌は、聴くたびに胸にこたえる。パリの街角の天才というべき言葉の使い手だったというヴィアンは、「優しさ」をこそひとのもつもっとも過激な武器として生きた、二十世紀の戦争の後の時代の「盲目の歌うたい」の一人だった。

薬なら何でも彼女はもっている。風邪の薬。心臓の薬。血管の薬。カルシウムの薬。咽喉にやさしい薬。目薬。痛みどめ。虫の薬。こころをなだめるための薬。机のうえ。本棚のすみ。鏡台とバスルーム。下駄箱。どこにもいつも、薬がかならず一つ二つころがっている。粉薬。粒薬。煎じ薬。錠剤。カプセル。白い薬。赤い薬。茶色の壜。緑の缶。
けれども、彼女はそのどの薬も、ほとんど使ったことがない。


今日も素敵な一日を◎

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