身体のパーツにそれぞれ異なる意志を持たせる。自分の中にたくさんのベクトルを見つける話。
皆様こんにちは。今井夢子です。
マドリードはずいぶん寒くなってきました。近郊では雪景色も!あっという間に冬の装いであります。
温泉と熱燗が恋しい気持ちを堪えつつ、バスタブのない部屋で粛々とワインを飲んだりしています。さみい。
さて、今日は私がヨーロッパに来てから常に面白いなと思い続けている「身体のパーツにそれぞれ異なる意志を持たせる」というアイデアについてお話してみたいと思います。マニアックめです。
まず初めにこの感覚のベースとなる気付きに出会ったのは、パリでコーポリアルマイムを学んでいた時(コーポリアルマイムについてはまた別の記事でも)。
頭、首、胸、腹部、骨盤、重心、と身体をパーツに分けて、それらを動かす方向を組み合わせながら、人間の身体で彫刻を作っていく・・・というような身体表現なのですが、稽古の中で、短い物語を表現した振付をいくつも練習します。
例えば「テーブルの上のコップを取って水を飲む」とか「洗濯をする」とか、言葉にするととてもシンプルな物語。
しかしこれがめちゃくちゃむずい!
なぜならば。手はコップを取りに前方に進んでいるはずなのに、頭部と重心は後ろに傾いていたり、正面にある桶で洗濯をしていたはずの身体が別方向に捻じれていったりするのです。
そしてコーポリアルマイムはあくまでも、「演劇」だ、と先生は繰り替えし言うのです。
これは一体なんなのだろう、と考えていた私にある日、降ってきた言葉。
それは「ためらい」。
身体のパーツとパーツが異なる方向にベクトルを持つことによって、ためらい、すなわち葛藤を表現しているのだと分かったのです。
もう!これだけで!美!なんて美しい!と大興奮のわたくし(←興奮ポイントがマニアック
演劇のシーンにおいて、面白いのはやはり、登場人物の葛藤が見えたとき。
そして物語の上での葛藤は、日常生活で私たちが感じる葛藤よりも、大きく深くダイナミックなものであってほしい。
ではそんな、我々の理解を超える葛藤をどうやって体感、体現していけばいいのか・・・。
そんな疑問のヒントとして、「身体の中から物理的に葛藤を体感する」というアプローチは面白いのではないか?と思うようになりました。
その後、スペインのカンパニーにて、特別授業として行われた舞踏のクラスの中で肉体的、精神的なマジの限界を迎え(この話も長くなるのでまた今度詳しく)、本当に何をどう動いていいのか全くわからなくなってしまった時に、自分の中から「あっちに進まなくては」「ここに居た方がいい」「こっちに逃げたい」などという複数の欲求が拮抗した結果、身体の異なるパーツが別々の方向に勝手に動く、という現象を図らずも体験。
ふむふむ。内部からの葛藤によって、身体の各パーツが別々の意思を持つらしい、ということが分かってきました。
そして決め手には、カンパニーの基本メソッドとして扱っていたグロトフスキーの、エクササイズ。
その名はプラスティック。
本人がエクササイズを紹介している動画はこちら(英語です)。
https://www.youtube.com/watch?v=1VCyGPm1VJM
基本的には身体の各部位を分けて動かしながら、別々にコントロールできるようになるためのエクササイズです。
が、運動のためだけの稽古ではもちろんもったいない!
空間やリズムを変えたり、右手は軽く、左手は重く、右肩は火のように、左肩は水のように・・・と質感を変えたり。
さらにはそこにイメージを伴わせることで、例えば「自分の手が毒蛇になって身体を追い回す」とか、「胸にチンピラのごとくどつかれても、必死に平静を装う脚」とか、なかなか脳内ではシミュレーションできないようなドラマが、身体の中に生まれたりします。
っちょーーーーーーーーーーー楽しい!(←さらにマニアック
そして最後に、プラスティックの応用編(だと私は理解している)となるゲームがあります。
これも個人的にたまらなく好きなので、ご紹介。
以下はグロトフスキーの著書から抜粋です。
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自分の身体を使ってゲームをする。
たとえば、半身ともう一方の半身を対立させるといったような具体的な課題を自分にあたえる。右半身は優雅で器用で美しく、動作も魅力的で調和がとれている。左半身はねたましげに右半身を見つめ、反発と憎しみの気持ちを動作にあらわす。そして劣等感の恨みをはらすべく右半身を攻撃し、相手をおとしめ打ち壊そうとする。左半身は勝利をおさめるが、しかし同時に敗北をも味わわなければならない。右半身がなくなれば、左半身も生きてはいけず、動くこともできないからである。
以上はほんの一例に過ぎない。
身体を対立し合う部位に分けるのは簡単である。例えば、上半身対下半身。同様に四肢のそれぞれを敵対させることもできる。片手対片脚、片脚対片脚、頭対片手など。重要なのは想像力を充分に働かせて、直接かかわっている部分だけでなく、それ以外の身体の部分にも活気と意味を持たせることである。例をあげれば、手どおしが争っているとき、両足は恐怖を、頭は驚きを、それぞれあらわすこともできる。
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たまらねえ!!!
さて、私が属していたカンパニーはフィジカルシアターだったので、これらのアイデアを具体的に振付やキャラクターの身体性を創るのに用いていました。
が、これらの「身体のパーツにそれぞれ異なる意志を持たせる」というアイデアから得られる大切なことは、「自分の中にたくさんのベクトルを同時に働かせること」なのだと思っています。
そうすることによって俳優自身の身体が「満ちている」状態を作ることができたり。
身体の各パーツがそれぞれに、外からの刺激を受けやすい状態で居ることが出来たり。
キャラクターに、関係性に、葛藤に、物語に、厚みを持たせることができたり。
とっても豊かになるのではと思います◎
そして自分自身の豊かさにも気づきます。
今までひとつの「身体」でしかなかった自分が、たくさんの異なる自分の集合体なのだと感じてみると、自分の身体がよりより愛おしく思えるのです。
ちょっとマニアックなお話でしたが、ヨーロッパに来てからいちばん興味のあることなので、シェアしました◎
具体的なエクササイズの方法などについては、帰国したらシェアの場をつくってみたいなと考えています。