静かな情熱
若い時には,情熱とは火のように激しいものと思い込んでいた。しかし,静かな情熱と言うものもあるのだと言うことが,年を取って分かってきた。激しく動き回って獲物を探すのもよいが,網を張って獲物が掛かるのを待つくものようなやり方もある。何かを成し遂げるためには,なにがなんでも実現したいと言う願望と辛抱強く待ち続ける忍耐力が必要である。年を取ると忍耐の重要さが骨身にしみて分かってくる。
それと共に,他者との関係もよく分かってくる。自分にとっては命よりも重要なことであっても,他者にとってはどうでもよいことが多い。自分だけでできることであれば,他者との関係はあまり考えなくてもよいが,他者の理解を必要とすることの場合には,自分の情熱が他者の目にはどのように映るかを考えねば,独りよがりの独善になってしまう。
一番大切なことは,他者の利益,全体の利益となるような正しい情熱を持つことである。他者の利益にならないものは,激しい抵抗にあうか,無視されて挫折するだけである。本当に自分以外の多くの人々の利益になるかどうか,思案に思案を重ねるべきである。
しかし,正しい情熱ならば,すぐに受け入れてもらえるかというと,そう簡単ではない。相手にとっては寝耳に水のことであるかも知れないし,その人がそのときに考えていることと相反することであるかも知れない。ほとんどの場合は,相手にとってどうでもよいことである。したがって,自分の情熱を相手に理解してもらうのには,時間が掛かる。
相手の賛同が得られないからと言って,悲観することはない。機が熟するまで待てばよい。ここで,忍耐の重要さが出てくるわけであるが,単に待っているだけでは能がない。どのように待つかが大切である。自分の情熱が,他者の利益にもなるものであるならば,必ず実現可能であるからといって,漫然と待っているだけではよくない。チャンスが到来した時のために,淡々と準備をしておくべきである。
若い人が何か提案し,ぜひ実現したいと言う。長年の経験から考えると,どうもその方法では実現の可能性が低い。長年温めてきた方法を提案したいと思う。しかし,若い人の考えを真正面から否定するのは,害あって益がない。さりとて,自分の考えを伏せておくわけにも行かない。とりあへず,別の考え方があること,自分はその方が実現の可能性が高いことをさりげなく述べておく。それでは絶対にうまく行かないから止めたほうがよいと言っても,相手は熱い情熱に燃えているわけであるから,絶対に受け入れてもらえない。下手をすると,嫌われたり,恨みを買ってしまう。愚の骨頂である。
しばらくすると,どうもうまく行かないと若い人が相談にやってくる。その時に,最初からうまく行かないのが分かっていたのに,などと言うことは絶対に言ってはいけない。そんなことをしたら,相手の自尊心を傷つけてしまう。さりげなく自分の考えている方法を繰り返すだけでよい。
若い時は体力があるので,少々の失敗は体力でカバ-することも可能であろうが,年を取ると限られた体力の温存が大切である。静かな情熱を燃やして,じっくり待って機の熟するのを待たざるを得ない。また,そういう生き方が,若い人とうまくやっていく方法だと思う。
(2003.01.15)