IMA ニュース 2001年12月号

モットー:果敢にリスクに挑戦し,素早く結論を出し,新しいビジネスを創出し,日本経済再生に寄与する。

IMA (Institute of Mathematical Analysis:数理解析研究所)ニュースをお届けいたします。同じ内容のものを,ホームページ にも掲載します。

弊社のGPS基本戦略

 目下手掛けている仕事は,(1)海底地殻変動の高精度計測法,(2)GPS(Global Positioning System),(3)通信におけるファースト100m(世の中ではラスト1マイルと呼んでいる),である。今回はGPSについて説明したい。

 GPSに関する研究開発のキーワードは,「高精度,高感度,地下GPS」としている。「高精度」の目標は,地球上のあらゆる場所で±10cmの精度で測位することである。いろいろな応用が考えられるが,海底地殻変動の高精度計測で使う海面上のブイまたは観測船の高精度位置計測がある。

 「高感度」と「地下GPS」は一見無関係のようであるが,実は密接に関連している。GPSはGPS衛星からの信号を受信できることが大前提であるので,受信不可能となることが多い。例えば,都会のビルの谷間である。ビルの谷間とか条件のよい屋内の場合には,GPS信号は弱いけれども存在する。要するに,高感度の受信機を作ればよい。一方,大きなビルの中,地下,水中には電波が到達しない。このような場合の一つの解決策が,擬似衛星などによって新たに信号源を作る方法である。GPSによるシームレスな測位を実現するためには,「高感度」と「地下GPS」は車の両輪である。

 幣研究所設立以来すでに4ヶ月が過ぎた。GPSの研究開発に関しては,杉山晃也氏(テルヤ,ペガサスネット,TSフォトンの社長)と2人3脚で連日開発に邁進した結果,自分でも驚くほどの成果を上げることができた。

 個々の成果については,これから順を追って報告するが,まず,「地下GPS」については,センチメートルのオーダーの測位を可能とする技術開発に目途を付けることができた。実験を始めた10月中旬以来2ヶ月というハードスケジュールであったが,「成功しないとスポンサーがお金を払ってくれない」という杉山氏の「脅迫と哀願」を受けて,連日実験に励んだ結果思いがけない成果を得た次第である。

 目下,報告書作成中であるが,来年度は実用化に向けた開発に取り組む予定である。久しぶりに全力投入で実験したが,目の前が真っ暗になる絶望感襲われたこともあったが,全体としては実に楽しい仕事で,杉山社長始め,研究の機会を下さった皆様,研究に協力していただいた皆様に深く感謝申し上げます。

11月の仕事

(1) 地下GPS実験の実施
(2) 高感度GPSのデモ実施
(3) 高精度GPSの交渉
(4) 日本造船学会秋季講演会(2001/11)で論文2件講演
   http://www.snaj.or.jp/
(5)ION NTM 2002シンポジウムのアブストラクト採用決定
   http://www.ion.org/meetings/ntm2002abstractlist.html

11月以降の予定

(1) GPS実験の実施と報告書作成
(2) 高感度GPSの実用化提案
(3) 高精度GPSの開発提案
(4) 通信変復調実験装置の提案
(5)ION NTM 2002シンポジウムで論文講演(1月/サンディエゴ)
   http://www.ion.org/meetings/ntm2002abstractlist.html
(6)UT2002シンポジウムで論文講演(4月/東京)
   http://underwater.iis.u-tokyo.ac.jp/ut02/Welcome.html
(7)OMAEシンポジウムで論文講演(6月;オスロ)
   http://www.asmeconferences.org/omae02/Author/NewAbstract.cfm
(8)日本造船学会春季講演会(2002/05)に講演申し込み
   http://www.snaj.or.jp/

雑感:小さな責任,大きな責任

 テロリストによるWTC倒壊があった頃,小生はGPS関係の学会に出席するためにソルトレークにいた。ご存知のように,航空輸送は即時全面停止が解除された後でも,フライトのキャンセルが続出して大きな混乱に見舞われた。そのために,フライトのコンファメーションが必要になったが,お陰で,日米の考え方の違いに関するとても面白い経験をすることができた。

 飛行確認のために電話すると,驚いたことに音声認識で応答する。まず,音声合成で問いかけてくる。これは何とかなる。つぎに,いつ,どこへ行くかと聞いてくる。ここからが問題である。「kansai」と応える「Chicago?」と聞いてくる。悪い予感がするが気を取り直して,もう一度「kansai」と言うと「Frankfurt?」と聞いてくる。何度やってもうまくいかない。

 仕方がないから諦めて現地の人にお願いする。こういう経験が結構あるらしくて,基本的にアメリカ育ちの人の英語でないとうまくいかないという。英国はじめ南アフリカとかオーストラリアの人の英語は必ずしも受け付けないらしい。それでも,どしどし使っていくのがアメリカ的なところで,日本では考えられない。日本では,開発者や運用者の責任が厳しく問われる。このレベルの責任の所在は,日本の社会では極めて明確である。

 ところが,大きな問題になると,日本社会では途端に責任の所在があやしくなる。ひとつのことを決めるのに多くの人が判子を押す。判子を押した人の中で誰がどんな責任を有するのかは判然としない。そればかりでなく,なんだかんだといって追求を避けることはそれほど難しくない。だから,危険な血液製剤とか狂牛病の発生に対して,誰が責任があるのか結局のところ分からない。

 欧米社会とりわけ米国社会は,こういう大きな問題に対する責任がはっきりしているような気がするが,筆者の誤解であろうか?

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応用数学の広場|ー色 浩
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