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映画「窓辺にて」 膿んだ観客は光の中でたゆたう

この映画が東京国際映画祭の観客賞。
フフフフ。
これに共感するオーディエンス。
フフフフ。
膿んでるな。
相当、膿んでるな観客。

稲垣吾郎はじめ人物たちは愛おしくずっと観ていられそうなほど心地いいのだが、アレ待てよ、よく考えてみれば描かれているのはちょっとした”地獄”だ。

稲垣吾郎演じる妻の不倫に感情が湧きたたない男。

あと不倫している奴が4人、不倫に耐える女1人、世捨て人1人、変なカップル1組。

愛と生きてる意味を見失った人物たちを今泉監督の優しい光が包む。

愛と生きてる意味を失っていることから逃れるには、自分が自分であることを忘れるしかない。忘れるために現代人は何をする。たとえば労働、たとえばセックス、たとえばゲーム、たとえば犬の動画。しかしどれもが持続可能ではない。やがて「自分は愛も生きてる意味もない存在なのだ」と覚醒してしまう。

稲垣吾郎は衝動がない、酒もたばこもやらない、子どもがない、新しい小説は書かない、妻との結婚は続けない。

いつまで窓辺でパフェを食って平静の面持ちでいられるのだろう。あなたのように静かに離婚届をもらいに行ける人間は少しは生きやすいのでしょうか。決してそんなことはないよね。

愛と生きてる意味を失って伽藍洞のような人物たちは、ちょっと夏目漱石的な神経症的悩みに囚われていると感じるし、食と教養は十分でも頽廃に取りつかれた中世貴族のような熟れ腐った匂いも感じる。

それでも今泉監督の世界の切り取りは優美で、映画を「撮る」というより「奏でる」が似合う。

愛の不在を奏でる今泉世界の光と言葉の中で、”心を膿んだ観客”たちはしばしたゆとう。

地獄に出口がないからたゆたうしか成す術がなく、その揺りかごは今泉世界の奏でとやけに相性がいい。

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