幸福の最大化と個人最適

僕の価値観、思想は一般受けしないのは重々承知で書きます。

僕は自由主義、より詳細に言えば個人主義です。
僕の価値観で重要なのは「自由」で、制限されたくないという思いが強いです。

僕の個人主義

ところで、現在の日本は民主主義で、多数決で物事が決まります。

日常で例えると
複数人でご飯に行った時、自分は寿司を食べたいのに多数がラーメンを食べたかったらラメーンを食べに行くことになります。
これが民主主義です。

このように多数者が少数者を支配し得ることを「多数者の専制」と言います。

僕はこれが窮屈に感じるのです。
ラーメンを食べるグループと寿司を食べるグループに分かれれた方が僕は幸せに感じるのです。

これが僕の個人主義です。
自身の自由を重視し、相手の自由も尊重します。
要するにお互い口を出しすぎないことです。

これは多くの方が当たり前だと思うかもしれませんが、実際にこれが出来ている人はどれぐらいいるのでしょうか?
現代は社会の慣習に従わされる人が多いと感じています。

僕は他人に迷惑をかけない限り誰もが自己表現をできる社会が理想だと考えています。

各個人が個性を前面に出せた方が、
個人にとっても、社会にとっても良い結果を生むと思っています。

反抗心から危険思想に

僕の個人主義で書いた事は共感して貰いやすいのかなと予想しています。

僕はもう一つ考えを持っていて、
それは「各個人は自分の幸福追求の為に、個人最適の戦略を取って良い」という考えです。

僕の自由は突き詰めると「無秩序」という言葉の方が合っているかもしれません。

僕がいう「無秩序」を定義するなら一般的な価値観の制限を取っ払った状態で、要するに「なんでもいいよ」という全肯定です。

これは経済学で功利主義と言われる思想に近いと思います。
功利主義の特徴は「最大多数の最大幸福」で、効用を第一とする考え方です。
また、幸福と快楽を同一視します。
(経済学で使われる「効用」とは幸福感の意だと思ってください)

しかし、僕は功利主義と決定的に違う思想を持っています。

功利主義は少数に対して害があっても、多数に利益をもたらすのであれば正当化されると考えます。

僕は「効用の最大化は他人を不幸にしない範囲に限定すべき」と考えています。

功利主義は社会全体の効用を重視しますが、僕は各個人の効用を重視しています。

また、僕は快楽と幸福を同一視しておらず、幸福感にも上下があると考えています。
これを「質的功利主義」と言います。

酒池肉林で感じる幸福と家族や友人と過ごして感じる幸福は質が違うと考えています。
しかし、常に生産性や効率を求めるより、たまには衝動買いや酒のような快楽的な幸福を楽しむ日があった方が人生は楽しいとも考えています。

僕の思想の土台には各個人の自由(個人毎の効用の最大化)があり、他者が快楽的な幸福を追求しようが、他者が否定する権利は無いと考えます。

極端な話、他人が不幸にならないなら不倫をしても良いと考えています。

これには拒否反応をしめす人が多いのかなと思います。

不倫は悪というのは僕も美しいと思います。
しかし、現実には不倫をしたことがある人は半数以上というデータがあります。

こう書くと僕が不倫したいだけじゃないかと思うかもしれませんが、僕個人としては手当たり次第手を出す人がめちゃくちゃ嫌いだし、既婚者に手を出す奴は死ねと思っています。

ただ、お互いが合意のうえなら否定できないとも思うのです。
僕の考えは「不倫は悪と言うのも自由だが、不倫をするのも自由」です。
夫婦がお互い不倫しているなら他人が善悪を決められ無いと考えています。

僕は被害者と加害者がいる状態を否定しています。
お互い様なら好きにしてください。

僕は人に生きる意味なんて無くていいと思っていますが、しいて言うなら「幸福(効用)の最大化」が生きている間の最終目標なのかなと思っています。

「各個人によって幸福の形は異り、各個人が思う幸福を追求して良い」
これが僕が考えている幸福の最大化と個人最適です。

世の中には自分と違う様々な考えや好みがあります。
それを全て理解する必要はありませんが、否定する必要も無いと思います。

ニュースで不倫がとりあげられるとすごい数のコメントが書き込まれますが、僕は他人に干渉し過ぎだと感じます。

「他人に迷惑をかけないならいいじゃん」って人がもう少し増えてもいいのかなと思います。

不倫は極端な例としてあげましたが一般受けしない趣味趣向も同じで、地下アイドルが好きだったり、タロット占いが好きでも別にいいじゃないですか。

他人に迷惑をかけていない限り、周りが口出しすべきでありません。
少なくとも僕はいいんちゃうって思います。

多数決では少数派が常に否定されてしまいます。
しかし、少数派に一理あるなと思わされることや、少数派にも正義があると思うのです。

現代は一般的な価値観を重視する人が多数であり、同調圧力があまりにも強いと感じています。
これでは個人の幸福の最大化が出来ない人が多いんじゃないかなと思います。

「お互い深く干渉しない」
これでいいのではないでしょうか?

誰しも変なところが1つや2つかそれ以上あり、それが普通です。

多数派の専制を打破するには各個人が個性を発揮し、また、社会が個性を尊重する必要があります。

もし、普通と違う事で悩んでいる方がいたら、
違うのが普通だと思い出して「幸福の最大化と個人最適」の戦略を取ってください。

これを読んでくれたあなたは、他人を不幸にしないなら一般論なんか無視して好きなようして下さい。

個性を前面に出して下さい。
僕は応援してます。

最後まで読んで頂きありがとうございました。



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