肩書きをかえた話
昨年末から肩書きをイラストレーターに「しました」
昨年は、フリーランスの「デザイナー」という形で様々な仕事をお手伝いさせていただいていました。会社を離れて働いてみると、「本当に世間知らずのままで生きてきたんだなあ」と思うタイミングが本当にたくさんありました。フリーランスになるとほんとうに全てのことが自由になるのですが、これは「全ての結果=自分の選択によってもたらされたものであることを常に認めながら生きていく」ということでもあります。
実はフリーランスになってから「私が本当にやりたいことはこれなのか?やりたかったことは、フリーのデザイナーであってるのか?」というモヤモヤした気持ちが、常に心の中に湧いていました。
さいしょは「イラストレーター」になりたいと思っていた.
もともと私は絵を描くのが大好きな子供でした。幼稚園の自由時間スケッチブックに絵を描きまくっていた記憶がまだ頭の中に残っています。小学校低学年の時期はちょうどポケモン赤緑が大流行していた頃で、休み時間になると友達がリクエストしてくるポケモンや他のゲームキャラクターの絵をノートに描きました。描いたものを見せると友達が喜んでくれて嬉しかったので、ますます描きました。
家ではチラシの裏に毎日絵を描いていました(母が裏側が白いチラシを集めて束にしてくれていたりもしました。感謝)友達・先生・家族…など、誰かが喜んでくれるのが嬉しかったので、頼まれたものは何でも描いていました。この頃からわたしは「将来は何かを作って人を喜ばせる仕事がしたい。できれば、イラストレーターがいい」となんとなく望みはじめました。卒業文集にもそんな内容を書いています。たしか。
イラストレーターになるのはむりそうだ、と思った頃.
高校を卒業したあとは専門学校で映像の作り方を学びました。この頃、イラストレーターになる夢はほぼ諦めていました。この頃は家から随分遠くにある学校へ片道だいたい2時間くらいかけて通っていました。私は井戸の中から出たばかりの蛙みたいな気持ちで生きていました。「素晴らしく上手な絵を描く人がこんなにたくさんいるなんて、すごい!」と心底感動する機会が多かったのです。
高校生を卒業するまで地元から出ていくことをせず、狭い世界しか知らなかった私は実に能天気だったのですが、彼らと自分の描き出すものの差が大きすぎる事に気付きはじめました。
「才能がある人と才能がない人の違いって、これのことなのか…?」そういう事を考えはじめた時期でした。
1・2年も経つとそれが確信に変わっていました。有名な商業誌やみんなが知っている著名大型コンテンツで、見知った美しいイラストをたくさん見かけるようになりました。
イラストレーターってああいう人たちの事を指すのだろうな。一体私が何歳になればあんなにすごい絵かけるようになるんだ…?もしかして、私は叶わない望みを抱いていたのかもしれないな。と思いました。
何かを作る仕事をしたい!と思っていた頃.
就職活動はそんなにうまくいかず、専門学校を卒業したあとはほぼニート状態でした。憧れの会社には入社できなかったです。でも、やっぱり何かを作る仕事がしたい!と思ってました。何かを作っている時一番心に情熱が湧いてくる感覚があったのです。本当に情熱を注げることを仕事にしたいと願っていました。デザイナーは?デザイナーどうだろう?
思いついてから恐々と求人情報を調べそれなりに目を通してみましたが、だいたいどの募集要項にも【要実務経験】の記述がドーン!と書いてあり、怖気付いてしまいました。
ある日事情をよく知る人から「作品集を用意してね。1週間後に面接するから」といった内容の電話が突然かかってきて、私は一般企業内のデザイン系統職枠で働けることになりました。
デザイナーになる.
「会社の中にいるなんでもつくる系デザイン担当者」という立ち位置でのスタートでした。紙媒体のデザイン中心にやらせていただきつつ、事務仕事もそこそこに。デザインを専門的に学んだ経験がなかったので、書籍を読んでみたりデザインの役に立つ資格をとる勉強をしてみたりしながら、会社から求められる物を作る日々を送りました。やっぱり、何かを作る仕事は自分の性に合ってるなと思いました。デザインがちょっとできるようになると「自分のスキルで人の役に立てるし、しかも喜んでもらえる!」という、クリエイターなら多くの人が感じているであろう感覚を、たくさん体感しました。やらせてもらえる領域が広がるにつれ夜遅くまで会社に残るようになり、退勤5時間後くらいに出勤するため家を出ていくような日もありました。
「自分は、周りから頼りにされてるデザイナーだから!(※踏ん反り気味)」と調子づきはじめた頃です。
もっと新しい技術を学べば、今よりもっと頼りにされるデザイナーになれるのでは!?なんて考えて、お金を払ってオンラインのウェブデザイン教室に通ったりもしました。好奇心と自己陶酔の波に乗って自分なりに色々手を伸ばしまくりました。「独立」という道があることを知ると、勝手に湧いてくる根拠のない自信を胸に抱えはじめ、未知の世界へつっこんでいく決意をしていました。(※酔っていたのです
いま.(フリーランスになってからのこと)
そんな(調子にのって独立を考えだした)経緯を経てフリーランスに転身したので、正直芯がぐらぐらしてしまっていた期間も結構あったりして、悩んでいる時間が多かったです。
お客様を目の前にした時/他のフリーランスの先輩とお話をした時/クリエイターの先輩方に何か相談する度「半ば逃げ道を探すような形で掴んだ【デザイナー】という職名のもと、突き詰めてやっていけるのだろうか?様々な課題に挑み続けてゆけるのだろうか?本当に良いと思ったものを提案しつづけながら働くことができるのだろうか?」としょっちゅう自問自答していました。(今思えば悩むのは当然のことだったと思います。身から出た錆…w)
自問自答から数週間後、ひとつはっきりした事があります。私は「本当にこれは良いものですよ」と言えるものをお客様にオススメしたい。自分自身がほんとうの意味で情熱と熱意をもって取り組めるものをつくり、提案して生きていきたい。ということです。このままだと人としてダメになる気しかしませんでした。本当は何を作りたいのか思い出し、状態を変える必要があると思いました。
デザイナーとしての生き方は、20代の頃に絵で食べていく道を(たいして努力もしなういちに&勝手に)諦めた末掴んだ働き方です。この先なにかちょっとでも大変だと思う事がおこったら、また勝手にあきらめて逃げるんだろうなと思いました。諦めて諦め続けてしまう気しかしなかった。ほんとに恥ずかしい話です…。
イラストレーターに肩書きを変える.
イラストレーターを名乗って生きる生き方は諦めたものの、イラスト自体はずっと描いていました。街中の大きな看板に貼られているゲームのメインビジュアルみたいな煌びやかなイラストではないです。そういうのは描けなかった。だけど、仕事の現場で人の役に立つことができるイラストはずっと描いていました。
デザインの仕事の中で「これからこんなものを一緒に作っていきますよ」というお互いの意思確認のために絵を描く工程を踏む機会があったり、単純にデザインの中にイラストを入れる案件があったりするのですが、その時お客様や一緒に仕事をしている人がよろこんでくれる事が多かったことを思い出しました。私は今でも、絵を描くのが大好きでした。それを思い出しました。
本当に作り続けたいものはこれだったんだ…と思いました。それから、肩書きを【イラストレーター】に変えました。
イラストレーターに肩書きを変えた.(これから)
肩書きを変えてから、イラストレーターとしてのWEBサイトをつくって、作品集用のイラストを描いてレイアウトを作ったりていました。今は様々な企業様に電話を掛けたりメールを送ったりして、作品集を見ていただけるように動き回っています。
と、こういう過程がありまして、私はこれからイラストレーターとして生きていく訳ですが、こうやってnoteに文章をしたため「これからの私は、自分が本当にやりたいことに挑戦します!」と宣言したからって突然物事がうまく運び出すようになるとは微塵も思ってません。でも、一度諦めた生き方で自分なりの成功を掴みいく!という野望が新たに自分の中に生まれた事を確信できました。
ブレまくりにもほどがあると思う.(※自己ツッコミ)
ブレブレにぶれまくり・その上多くの方にお世話になりまくって、ようやく挑戦するための心意気を備え、再びスタートラインにたどり着けました。
自分で「ブレている…」と思う時って、だいたい周りからみてもブレてます。だからいたたまれなくて辛く感じる時もある。でもブレブレになる時期もたまに必要です。
今これを読んでいるあなたに何か迷ってる事があったり、これから悩みそうな時期にいるのなら、私のようなちょっと恥ずかしいくらい迷走しながら生きてる人間の前例があるという事実と共に【迷っているあなたは悪いわけじゃない】という事を伝えたいなと思っています。
今頭の中にあるものをこの先も憶えておきたいという気持ちと、自分と同じように何かの決断を迷っている誰かへのヒントになるような文章を残せたら嬉しいな、という気持ちでこれを書きました。
なかなかまとめるのが難しく、少し長くなってしまいました。
ここまで読んでくださって有難うございます。