多数決って残酷?
今日の昼食時の出来事。
息子に「『お父さんの80歳のお誕生日に、お父さんの良いところ80個手紙に書いて渡したらお父さんがすごく感激して泣いた』って言ってた人がいてね、すごくいいなーと思って、今度のじいちゃんの傘寿のお祝いに80個とまでは言わないけど、できるだけたくさんみんなで書いて、色紙に貼って渡したいって思うんだけど。ここにメッセージシールあるから、あんたも書いてくんない?」と切り出した。
私的にはすごく良いこと思いついたからわくわくしながら「当然書くよね?」的なエネルギーを出していたんだと思う。
すると、意外な事に「俺はいいかな・・・」という答えが返ってきて、思わず「え?なんで?」と言ってしまった。
「なんか、そういうのってさー、強制的にやるの違うかなって思うし・・・」と息子。
「え?別に強制はしてないよ。やりたい人だけやればいいと思ってるし。」と若干ムキになる私。
「でもさー、やる人とやらない人いたら、やらない人に対して周りはどう思うんだろうね?」
「え?だって自分の意志でやらないわけだから、周りの目とか気にしなくてもいいんじゃない?」
ここでしばし押し問答が繰り広げられる。
「もういいよ。どうせ言っても母さんにはわかんないし・・・・・・」
気まずいムード。部屋を出ていこうとする息子。ヤバい!!私は何を見落としているんだろう??
「ごめん。母さん、自分がワクワクしちゃうと『あなたも当然ビートルズ好きだよね』前提で話しちゃったりするみたいで、『いや、別に好きじゃないですよ』って昨日もある人から言われちゃったんだけど、今も『当然書くよね?』みたいな感じで話してた?」
すると、息子は少し緩んだ表情になり、話してくれた。「母さんにも分かりやすく説明する」は、息子の特技なのだ(笑)
「あのさ、例えば、101人の村があるとするじゃん。99人が一人を神様の生贄にするって言ってる。でもその生贄の旦那さんかまたは親は『いやだ』と言ったとする。それってどっちが正しい?」
「『いやだ』が正しいよね。母さん的には」
「だよね。外から客観的に見れば、今時、『生贄』なんて時代遅れだし、おかしいじゃん。でもさ、その村の中では99人がそれが正しいって思ってるんだよ。そんな時、残り一人はどんな気持ちになるだろうね?」
「うーん・・。確かに。それって戦争の時の集団心理にも似てるね。」
「だよね。個人個人の意見でいいじゃん、って母さんは思ってるけど、そういう人はごく少数で、まだまだ世の中、大多数が多数決派なんだよ。多数決ってそういうシステムなんだよ。」
「そっか・・。多数決って残酷なんだね。ありがとう。勉強になったよ。」
息子に教えられることは多い。
「それで、メッセージカードの事なんだけど、それで言うと、どうしたらいいかな?」
「別に悪いことじゃないと思うけど、たくさん書く人と少ししか書かない人が出ると、なんかそこで差が出ちゃうよね。」
「確かにね。いっぱい書くの負担になるよね。じゃあ、一人1枚ずつにしようか。それなら書けそう?」
「うん、それならいいよ。」
という事で、解決。
それにしても、ついついこういう事って起きそうだな~。気を付けようと思った一件だった。
本田健さんの人間関係のマトリックスで言うと、「良いこと思いついた!」ってなったときの私は完全に「ポジティブ自立」になってて、瞬く間に息子が「ネガティブ依存」に追いやられたという感じなのかな。
普段は私が「ポジティブ依存」にいるので息子が「ネガティブ自立」なんだけど。
今回は、なんとかセンターで出会えてよかったな。
人間関係のマトリックスについては、シリーズ累計200万部の本田健著「ユダヤ人大富豪の教えⅢ」を読んでみてください。
今、あいうえオフィス主催の「スタディグループ」で学び始めたところだけど、とても深くて、「知る」と「使う」は大違いだという事が分かりました。
だけど、人間関係(特にパートナーシップ)を潤滑にして幸せな人生を送るためにも学んでおきたい事ではある、と、ひしひしと感じています。
なので今、ワクワクしながら学んでいます。
今日のやり取りも、今までだったら、息子が部屋を出ていったところで終わっていたと思う。でも、センターに寄り、相手の立場に立って話すことで大切な学びを得ることができて、本当に良かったと思った。
たかが「メッセージカード」、されど「メッセージカード」。「絶対にこれは良いことだから、みんながやるべきだ!」になっちゃうと、辛い思いをする人も出てくるんだな~と思った。
気を付けなくちゃ💦
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