寝込んでいました💦(体のセンサーについて)
旅の疲れと思いがけないストレスで、体調が悪化、寝込んでいました。
学校へ行けなくなってからは特に、場の雰囲気やストレスなどに敏感になって、すぐに身体に症状が出るようになった。
もともと敏感ではあったけど、その精度が増した感じ。自分でもコントロールできないくらいの打撃を受けて寝込んでしまいます。
でも、よく考えたら、これって、悪いことじゃない。自分の体のセンサーの精度が上がったということ。つまり、それだけ自分の心の声に耳を傾ける事ができるようになったということ。(ここ重要。テストに出ますw)
不調が出たときは、自分の体が「もう無理だよ。休んで!」とか「逃げて」とか教えてくれてる時だと思う。そこで少し立ち止まったり休めたり逃げたりできればいいんだけど、そのまま続けていると「強制終了」が起こってしまう。それがいわゆる「病気」なんだと思う。つまり「このままいくと危ないよ。命の危険だよ」って、体が教えてくれてる。本当に下手すると、命を落としてしまうことになりかねない。だから、「教えてくれてありがとう」なんだよね。
そんな時は、めいっぱい自分を甘やかしてあげて、労ってあげていい、って思う。まずは休むこと。「~しなければならない」は手放すこと。そして、自分の心と体が喜ぶことをしてあげる事。
ここで気を付けたいのは、ストレスからくる「自分の体をいじめる行為」とは区別すること、かな。
わかりやすい例でいくと、私は、残業中に、「頑張った自分へのご褒美」と理由をつけてお菓子をたくさん食べちゃったり、夕飯の後に、お腹がいっぱいなのにまだ食べたいという欲求に負けて、冷蔵庫の中や台所にあるものを食べてしまい、罪悪感に襲われる、を繰り返していた頃がある。他にも、仕事から帰って録画したドラマを見すぎて寝るのが遅くなり、十分な睡眠がとれず、次の日の朝起きるのが辛くなって後悔する、を繰り返していた。
これは、その時は満たされるけど、結局心から幸せにはなれない(その場しのぎの快楽)、「ストレスからくる悪循環」だったと、今は思う。
今の私だったら、たとえ約束があったとしても「ゆっくり休む」を優先する。そのためにもあらかじめ、「体調次第で行けないかも」と言っておく。そもそもその前に、まず、義務感からくる約束はしない、を心がけている。
自分が気乗りしない時は丁重にお断りする。これも、体センサーが敏感になったおかげで、「~ねばならない」になった途端に体が動かなくなってしまうから。「~したい」なら勝手に体が動いちゃうしワクワクしてるから、エネルギーが湧いてくる。そして、「あー楽しかった。幸せ。こんな幸せな時間をありがとう!」で終わるから、お互いがハッピーになれるのだ。
今回の旅もそう。
そもそもの発端は、友人から「運営チームに入ってくれない?」と誘われたことだった。その時の私の気持ちは「わー!なんか知らんけど楽しそうでワクワクする!」だった。もし、その時「えー。めんどくさいけど誘われたから仕方ない」だったら、断っていたと思う。なぜなら、そんな気持ちでやっても、相手も自分も嬉しくないし、なんなら途中で「こんなにしてやってるのに」が出てきて、相手に文句を言ったり、関係を悪化させてしまうかもしれないから、百害あって一利なし。
そんなこんなで、運営チームに入ったら、その友達がさらに「楽器できる人や歌える人がいるからパフォーマンスチームを作ろうと思うんだけど、歌ってくれない?」と提案してくれて、もちろん二つ返事でOK!だって、シンガーにとって「歌って欲しい」はこの上なく嬉しいお誘い。私の歌を聞いて楽しんだり感動したりしてもらえた時こそ、「生きててよかった!」と思える瞬間なのだ。
結果、ワクワクしすぎて途中から「踊る読書会キャラバン(くっきー)」の追っかけになり、旅に出ることになり、旅の中でさまざまな素敵な出会いを経験し、自分の人生も大きく動き始めた。
もしこれが、「友達に頼まれたから参加しなきゃ」「友達が頑張ってるから応援しなきゃ」だったら、ここまでの楽しみや喜びは受け取れなかったと思うし、相手にも失礼だと思う。
良くも悪くも「身体センサー=心の声」が敏感になってくれたおかげで、今の私は前よりもっと人生を楽しめているし、自分とも人とも、良い関係性を築けていると思う。「関係性」=「対他人」って思っていたけど、まずは自分と良い関係になることが大切。そんなことも、身体センサーが私に教えてくれた宝物かな、と思う。
そこで、昨日、私がとった行動は、ユダヤ教で言うところの「シャバット」。つまり仕事も家事もせず、携帯も切って、とことん自分を癒すこと。
朝ゆっくりと起きてヒーリング音楽をかけながらヨガをし、フルーツを食べ、近場の温泉地に出かけ、心ゆくまでゆっくりと温泉に浸かり、古民家をリフォームしたおしゃれなカフェでお野菜たっぷりの美味しいランチを食べ、雄大な渓谷を眺め、流れる水の音や鳥の声を聞きながら若葉の中を歩き、接骨院で体を整えてもらい、夜は「奇跡のコース」というアラン・コーエンさんの愛のコーチングの教えに耳を傾け、深い癒しと愛のエネルギーに満たされ、感謝の中で眠りにつくことができた。
今日は、無理をせず、予定をすべてキャンセルしてもらって、「カップ一杯の魔法」の著者でハーブティブランド「ルナボウティー」の経営者みかまるさんのお店からお取り寄せした、身体にやさしいとっておきのハーブティーを飲み、一日中ゆっくり横になっていた。体調はずいぶん戻ってきたが、まだ、熱があるような感覚と胃の痛みが少し残っているので、ここで無理をしてしまわないよう、思いっきり自分の体と心に寄り添ってあげようと思っている。
少し前の私なら、「そんなことでくじけちゃだめ!」「頑張らなくちゃ」と自分を叱咤激励して、無理をしていたかも。その挙句に、身体を壊して、「誰かや何かのせい」にして生きていたかもしれない。
でも、今の私はその世界線にはいない。
今、自分の身体が心のセンサーになってくれているおかげで、同じように無理をして苦しんでいる人に寄り添える自分になれていると思うし、これからそういう世界線で生きられる社会を創っていきたいとも思う。
その小さな一歩として、まずは自分に優しくすること。