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やっと母にツインレイの彼と住んでいる事を言えました
それは、今年の元旦の出来事だった。
母は、農家の跡取りである夫と建てた薪ストーブのある家で、恒例の年越しをするため、何日も前からワクワクしながらお節の準備をして、大晦日に泊まりに来ていた。
母が、父と二人暮らしをしていた故郷の広島を離れ、私の嫁ぎ先である福島に移住したのは2019年の2月。2017年の夏に父が亡くなってから1年半後の事だった。
父の死後、飼っていた犬とウサギが相次いで亡くなり、ひとりぼっちになった母は、「寂しい」と言う事が多くなっていた。
そんな母に、「福島に来る?」と言うと、待ってましたとばかりに話が決まり、あっという間に広島の家も家財道具も手放して、福島の飯坂温泉のアパートで一人暮らしを始めた。
夫は、母をとても大切にしてくれ、母とは入れ替わりで仙台へ移住してしまった私の代わりに、母のところを訪ねては、ベランダ菜園の手伝いをしたり、米や野菜や果物を届けてくれた。
しかし、2023年に、私は鬱になり、教員を退職して、シンガーとして生きていくと決め、本来の自分の心の声を聴く事に取り組み始めた。
その過程で、これまで我慢して来た事に違和感を覚え始め、もう福島へは帰らないと決めた。
その年の6月にはもう福島は私の居場所ではないと気づき、10月末に、ずっと求め続けていたツインレイパートナーと出会い、12月には夫に離婚を切り出した。
夫との間には色んな事があったが、お互いに理解し合えない寂しさを抱えていた。
生きる世界が違うという事実を見て見ないふりをして仲良くしていたが、心の底では限界を迎えていたのだと思う。
もう、見て見ぬふりはできなかった。
今思うと、夫には酷だったと思う。
でも、私は結婚記念日でもある1月1日に離婚してケジメをつけようと決めた。
しかし、母には話していなかった。ショックを与えないために、離婚して落ち着いてから話そうと思っていた。
しかし、そう言うわけにも行かなかった。
母がせっかく楽しみにしていた元旦の日のお昼に、とうとう私は離婚する事を伝えた。
母は、驚愕し、何度も「なんでなん?どうにかならんのん?」と言われたが、私の意思は固かった。
母は、ショックを超えて、「もう死にたい」と言って、そのままアパートに帰ってしまった。
その後、一年近く、私はツインレイパートナーについて、母に伝える事ができなかった。
でも、もう流石に言わなくてはいけない瀬戸際まで来ていた。
これまでの母のパターンだと、怒られると思った。「何を勝手な事を言ってるんだ!」そう責められると思い、なかなか言い出せないまま、約一年が過ぎた。
でも今日は言おうと決めていた。
いつまでも嘘をつき続けるわけにはいかない。
意を決して「今、支えてくれている人がいる」と話した。
意外にも、母の第一声は「なぁんだ!そうじゃないかと思っとったんよ。よかった。安心したわ。」だった。
私は、まだ鬱が完治していないので、ろくに働く事ができない。
その事が、母の心配事だった。母は、私がどうやって生活してるのか、心配でたまらなかったと言った。
開口一番「よかった!安心した!」と言われて嬉しかった。
しかし、まだまだハードルがある。
彼は27歳年下なのだ。
なかなか全てを一度に受け入れる事はできないだろう。
でも、嘘をつけずに言えた事は大きな一歩だった。
これからもたくさんの試練があると思うが、一つ一つ乗り越えていこうと思った。