死には平和を 第一章 生者必滅 二
案内された部屋は、ひどく簡素であった。一面に畳が敷き詰められ、周りの壁は廊下と一転して木で出来ているようだ。床の間にある掛け軸にはうねった豪快な字が墨で書かれ、その下には蕾の付いた枝が入った花瓶が置かれている。茶の席ではこうした季節に合った調度品から主人の伝えたいことを読み取るというが、今はゆっくりしている場合ではない。他にあるものといえば茶を立てるために必要な炉や茶入れといった最低限の品しかなく、すっきりとした感じが立永に好感を抱かせた。
「私の世界ではこういうのを、『侘び』とか『寂び』って言うの。面白い?」
「そうですね。目にうるさいものよりは好みです」
立永が認めると、柳は早速正面に座らせて茶を振る舞い始めた。その作法も、自分が学んできたものと変わらない。柳はこうした茶道を、幼少期からやっていたという。中学校と高校なるものでは、茶道を行う部活動に入ってきた。この世界ではほとんど遠隔で行われる授業という活動が、柳の故郷では学校で人と集まってされているようだ。そもそも知識を製造段階で埋め込まれる久遠には体験し難い学校での話を色々と聞かされたが、立永ににその光景を思い浮かべることは難しいものだった。
「でも久遠の方も羨ましいです。一から教えることも必要なくて。だから重宝されているんでしょうね」
柳が零したように、この世界で久遠の活躍は著しい。人に代わった労働などの動きが、急速に取り入れられている。立永へ茶碗を渡した柳は、ふと寂しげな顔になって俯いた。
「このまま久遠が活動を行えば、人間はどうなるんだろう……」
口内に広がる茶の繊細な苦みと甘みを味わっていた立永は、不意に茶碗を見下ろした。久遠が社会で活躍するようになれば、人間は好きなことを出来るのではないか。それこそこうして茶を嗜むように。
「でも、人間の収入はどうなるの? 政府が全国民に一定の金額を支給するという国もあるみたいだけど、財政とかの問題もあるでしょう。それに仕事が好きで、そこに生きがいを感じている人は? 久遠に奪われて、苦しむことにならない?」
柳の言葉に、立永は久遠が生まれる以前の社会を思う。当時は労働問題が多く発生し、賃金や職場での人間関係などで苦しむ者もいたと聞いている。こうした問題を孕む仕事に打ち込み過ぎる人間というのもどうなのか。収入の点は確かに懸念があるが。
柳によると、彼女の世界では人間と人工知能や機械による仕事について、議論が交わされているらしい。仕事を奪われるという事態を、人はひどく恐れているようだ。一方で人の働けない場所でも活躍できるものの存在は注目されているという。特に感染症が流行ってからは、ロボットによる仕事が脚光を浴びている。
まだ環境が追い付いていない柳の故郷に対し、ここはどうか。神への信仰に代わる新たな価値観の登場で、二百八十七年前に啓蒙暦が新たな暦として定められた。百年ほど前に初めて開発された久遠は進化を遂げ、今や町で見ない日はない。人工知能を搭載した機械は当たり前のように使われている。この世界を手本にすれば、柳の世界も問題を乗り越えていけるのではないか。
「だけどここも、共存の理想が果たされていると言えるの? ほら、ベッティも久遠だけに全てを任せて、人間を滅ぼそうとしている」
柳の告げた名が何者か疑問を持ち、別瀬のことだと言われて立永は空の茶碗を置いた。自分は別瀬を、活動している「逆刹那」を止めるために来たのだ。ここでくつろいでいる暇などない。それぞれについて何か知っているか尋ねると、柳はすぐに答える。
「私は『枝葉の少女』っていう団体を作ったの。人類発展のためにね」
「何ですか、その人類発展って――」
「まぁ、落ち着いて。順番に話すから」
身を乗り出しかけた立永に手を上下に振って諫め、柳は姿勢を正す。生まれた世界で、彼女はそこに住む人間の行いに疑問を抱くようになった。通信技術を誰もが使えるようになり、人々は自らの意見や動きを手軽に発信していった。その中に、社会に反するような行いを自慢するような写真や、世の中に対する不満を述べた意見などが投稿されているのを見つけて、柳は次第にこう思うようになる。問題のある人間を更生し、より良い社会を作るために動こうと。
異世界の存在が広まってはならないとされる世界で、柳はたまたまそれを知った。複数の世界を巻き込み、「枝葉の少女」と名付けた組織を設立し、社会に貢献する活動を始めた。そこに別瀬が入ってきたのが、去年の五月だったという。
「あの子はどうしても『枝葉』に入りたいって言って聞かなくて、私は止められなかった。しばらく様子を見ていたけれど、暮れに女の子のことがあったでしょう?」
立永は頷き、眉間に力を入れつつ話を聞く。少女を公衆の面前で殺害し、人類滅亡を宣言した別瀬を、「枝葉の少女」に属する者たちは止めようとした。しかし誰も別瀬と連絡が取れず、どうにかするよう柳は求められる。長に対し少しは信頼があったのか、初めこそ柳は返信を受けていたが、やがてその細いやり取りも途絶えた。
「それで『逆刹那』の施設を訪ねたけど、あの子は不在だとか言って取り合ってもらえなかった。何も出来ないうちに、ここまで――」
「日を改めるだとか、そうしたのは考えなかったのですか?」
喉から絞り出した声が、立永の怒りを含んで放たれる。柳に応じない別瀬も問題だが、柳もあらゆる手段を行使してあの人類の敵を止めるべきではなかったのか。やや乱暴に立永が茶碗を突き返すと、柳はそれを両手でそっと受け止めた。
「それも試しました。だけど結局、別瀬に会うことは叶わなかった。……いいえ、こんなの言い訳でしかありませんね。あなたは本気で、この騒ぎに立ち向かって人類のためになろうとしているのに。人類の成長を求める私が至らなかったと思っています」
茶碗の縁を指で強くつまみ、柳は一向に顔を上げない。その態度には反省があるのだろうか。唇を噛み、声を出そうとして息だけを吐く彼女を見ていると、本当に自らの行いを悔やんでいるようにも認識させられる。
それにしても別瀬は、人類の発展を望んで「枝葉の少女」に入ったはずなのに、なぜ滅亡など企てるのか。発展を狙っていたのは嘘だったのか、初めはその意思があったのか、少しも分からない。
まとまらない考えは放っておこう。立永は顔を起こして目元を拭う柳へ改めて向き合う。彼女は鎌刃と連絡を付け、「五尺ノ身」に手を貸して別瀬を止めることを約束した。その心が確かなものか、立永は念を入れて確認する。
「今回のベッティ――別瀬のことは、私にも責任があります。でも『枝葉』だけでは難しい。そこで『五尺ノ身』の力を借りたかったのです」
女の顔から悔いは消え、新たに動く意思に満ちていた。それに期待を覚え、立永は早速提案する。
「でしたら、別瀬を倒しに行きましょう。もしあなたが居場所を知っていれば――」
「いえ、『枝葉』としては、今まで通りの活動を平行しながら協力する予定です」
「そんな悠長なことをしている場合ですか!」
片膝を立たせ、今にも起き上がらんと体勢を整えて立永は柳を睨む。鎌刃も誰も、なぜ別瀬をすぐに殺そうと思わないのだろう。苛立つこちらとは対照的に、柳は至って冷静を崩さない。
「あくまで私と『枝葉』の願いは、人類の発展。そこにも力を注ぎたいのです。そもそも人間が別瀬と対峙することが危険でしょう?」
「人間が駄目なら、私が何とかします!」
身をわずかに前傾させ、立永は告げる。久遠は元々、人間を救うために作られたのだ。今こそその本懐を果たす時だ。無茶をして鎌刃が残されることを柳は懸念してきたが、その心配は必要ない。部品や修理する者さえあれば、久遠はいくら破壊されようが直る。そう伝えても心配を隠さない柳が厭わしくなり、立永は部屋を出ようとした。出口を前に体を低くかがめた時、背後から袖を掴まれて動けなくなる。
「あなたも、『枝葉』の活動を手伝ってくれませんか? こちらも落ち着いてやれる状況ではないんです」
立永は女を睨み、すぐに顔を背けた。
「あの別瀬を出した組織に加われと? もっての外です」
「『枝葉』を別瀬が襲いに来るかもしてないとしても?」
断ろうとした立永の耳に、柳の懇願が届く。どうやら「枝葉の少女」に、別瀬が攻撃を行う可能性があるらしい。もし活動の最中に襲撃されでもしたら、自分がそれに立ち向かえる。別瀬を倒せば、この世界は安泰だ。その機会を得られることを頼みに、立永は首を縦に振る。
「分かりました。『枝葉』を守れば良いのですね?」
「ええ、任せましたよ。その前に、あなたの――久遠が立てるお茶を、味わってみたいのですが……」
気付けば二つの茶碗が、共に空となっていた。引き返してそれらをさっと回収し、立永は自らの腕を示す。こちらとしては慣れている作法をこなしていただけだが、柳は所作一つ一つを食い入るように見てきた。味わう際も自ら立てたものよりじっくりと服し、やがて呟く。
「久遠だからどんなものか気になっていたけど、美味しいですね。それに心も籠もっている気がする。意外でした」
その言い分に自らを含む種族への偏見が混じっているようで、立永はわずかに人間をねめつけた。
ここから先は
死には平和を 第一章 生者必滅
人類を脅かそうとする別瀬(べつせ)の討伐を意気込む八代立永(やつしろたつなが)に対し、鎌刃張架(かまははるか)は一つの依頼をしてきた。人類…
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?