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ライニア乱記 神住む湖 第二章 平穏と騒動の狭間で 一、トープの計画

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 二階への階段を上りながら、イムトは手に持つ本を一瞥した。トープが魔法を込めたもので、彼の持つ「洗脳せんのう」魔法を誰もが使えるようになっている。狙いの女を思い通りにすることには失敗したが、最終的には目的を果たせた。奥の部屋に入り、相変わらずごちゃごちゃとものの置かれた机前に座るトープへ本を返す。
「あの侵入者はどうした? 本当に殺したのか?」
「ああ、しばらく生かすことにしました。異国の出身ですが、なかなか神話については詳しいようでしたので」
 トープが目に掛けるとは、例の少年も変わり者だ。彼が急にこの家へ連れ込まれた時の驚きを思い返しながら、次に何をすべきかイムトは問う。
「そうですね、イホノ湖周辺に張った結界の確認をお願いします。今日はもう遅いので、明日の朝に回して良いですよ」
 壁の時計を見ると、もう日付が変わりかけていた。用意された部屋に移ろうとして、セレストをどこで知ったのか気になって尋ねた。知り合いか聞かれ、知人の知人と明かす。確か「白紙郷」で、真面目とは程遠かった団員が話していたのだ。団長に反発していた彼女を思い返すと、今でも腸が煮えくり返りそうだ。加えて団長の評価も割と高かったのだから、理解が出来ない。
「まさかあなたとも縁があったとは驚きました。彼女のことは集会に来てくれる方から聞きましてね。強い『感応』能力を持つ人がこれほど容易く見つかるとは、思いもしませんでしたよ」
 セレストの顔も見たことがないとは黙り、イムトは男の喜ぶ様を眺める。あの女は「降臨」には欠かせない存在なのだと、トープはこれまで何度も言っていた。人々の信仰する心を彼女の能力で集め、神をこの世に下ろすべく利用するのだ。女は魔力を貯蔵し切れずに暴走するかもしれないが、神への生贄だと思えば良い。
「――もし彼女が暴れだしたら、どうするんだ。『降臨』どころじゃなくなりそうな気がするもんだが」
「そのころは神も下りてきているでしょうし、かの者に鎮められるかもしれませんね。ああ、もちろんあなたも欠かせない存在ですよ」
 扉の方を向くイムトに、トープは歩み寄る。自分の「召喚」魔法を楽しみにしていると言って肩を叩き、彼は廊下へ出るよう促した。背後の戸を閉め、イムトは薄暗い廊下を行く。正直に言うと、自らが持つ魔法をトープの思い通りに生かせる気がしない。前の戦いで呼んだ神は、シランという女にあっさり斬り捨てられた。そして敬愛する団長には、紛い物と罵られたのだ。かつて本拠地としていた古城で言われたことが、イムトの脳裏に響く度に鈍い頭痛を覚える。
 彼を尊敬していた自分は、なぜあのように言われなければならなかったのか。団長のために尽くしてきたと、イムトは再三思っていた。慣れないことさえ、苦しみの中でやってきた。困難を多々乗り越え、やっとあの人に近付ける期待に満ちていたのに。
 階段のそばにある部屋へ入るなり、イムトは音を立てて戸を閉め、そこに拳をぶつけた。自然と涙が溢れ、その場に座り込む。まだ着替えていない私服のズボンに顔を付け、零れるものはそのままにしながら声は出さない。
 団長は神話の再現を果たせず、命を落とした。トープの計画が成功すれば、彼の悲願を叶えることになるだろうか。むしろ自分が関わることであの男を見返してやりたい。膝に押し付けていた目を上げ、イムトは空中を眺める視線へ力を込めた。

 イホノ湖のことで怪しいものといえば、そこを占拠して何かを企んでいると報道されているトープなる男だ。彼がもしかしたら、笛の鳴らない原因と関わっているかもしれない。レンには気にしていないように振る舞ったが、本当はひどく引っ掛かっているのだ。アーウィンは人に聞いた話を頼りに、木々の緑が明るく映える森の中を行く。今は朝の日を受けて木漏れ日が揺れ、現状の懸念さえなければ穏やかに過ごせそうな陽気だ。
 周囲に建物がない中で、整備された道から外れた位置にある木造の小さな家は目立った。丸太で組まれた山小屋のような装いのそこへ、どのように侵入しようか。正面にある扉を堂々と開けるわけにもいかず、二階まである窓も鍵が掛かっているだろう。木の陰からじっと建物を睨んでいたアーウィンは、戸の開く音に肩を跳ねさせた。ばれないように引き返そうかと思いかけて、こちらへ向かってくる人影に唖然とする。いつの間にか動くのも忘れて、家から出てきた男が通り過ぎるのを見届けようとしていた。
「……あんた、どこへ行くんだ?」
 彼が姿を消す前に聞いておかねばと、咄嗟に言葉がアーウィンの口を突く。かつて同じ組織に属していた男は何も答えず、足を動かしている。
「トープに協力しているのか?」
「そうだが。彼に何か用か?」
 ぶっきらぼうに問うてきたイムトへ、アーウィンは答える。イホノ湖で起きている異常の理由を、なぜ楽器が鳴らないのかを問い詰めたいのだと。
「それなら結界のせいだよ。神話への信仰心がない者に、軽い害を与える。あの湖には神話を信じる者以外は近付けさせない。あんたには悪いが、しばらくイホノ湖には関わらないでくれるか? 何、目的が果たされれば元通りになるはずだ」
 イムトの言う神話とは、先住民を無視した「野蛮人」の勝手な作り話だろう。詳細を知る気にもなれない物語を信じたくもないと、アーウィンは正面の男から顔を背ける。
「ああ、あんたは神話を信じていなかったな。一度『敵』になった時も、おれの魔法で呼んだ神の攻撃は効かなかった」
 どこか今までなかった明るさを声に含んでいるイムトは、ふと真顔になってこちらへ尋ねてきた。
「……神話の神を『降臨』させると言ったら、あんたは怒るか?」
 怒りを通り越した絶句が、アーウィンの感情を示した。架空の存在を現実のものにして、人々に見せ付けるというのか。それは本当に可能か疑わしくてならない。
 トープはまさに神を「降臨」させるためにイホノ湖を占拠したのだと、イムトは言う。昨夜攫ったセレストなる女が持つ「感応」能力を使い、野望を果たさんとしているのだ。作り話を本気にするなど馬鹿らしい。そう呟いていたアーウィンは、イムトの指摘に一度口ごもる。
「あんただって、神話を使って願いを叶えようとしたんだろう?」
 あれは仕方なく利用しようとしただけだ。今はそのつもりなど毛頭なく、また別の方法で自民族の悲願――「故国奪還」を目指している。心を明かすと、イムトは大きな溜息と共にこの場を去っていった。
「その願い、本当に実現するか疑わしいとおれは思うけどな」
 そう言ったイムトが去ったのを見届けてから、アーウィンも引き返す。トープに聞こうとしていたことは、全てイムトによって教えられた。どうやら事態は思わぬ方向へ動きそうだ。「野蛮人」の下劣な策略など、止めなければならない。自然と動きだした足は、森を抜けようと速まっていく。そして今迫る危機を、日常を深く求める少女へ伝えたい気持ちが湧いてきた。

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