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死には平和を 第一章 生者必滅 一

 自らを浸す液体を通して、男の声がぼんやりと聞こえる。耳に意識を凝らせば、彼が謝罪らしきものを呟いていると分かる。ここまで待たせて悪かった、やっと起動させることが出来ると。無論、こちらが納得できるはずもない。何年もこの水槽で待たされた恨みは、それこそ永遠に消えないだろう――基本的に死の概念を持たず、修復される限り働き続ける人造人間・久遠くおんである自分にとっては。
 うっすらと目を開け、自らの視力に問題がないと確かめる。夜の空を映す窓は閉め切られ、照明の光も鈍い薄暗い部屋には机が並ぶ。その上に自己を作る際に使われたと思われる機械や部品が整然と置かれている。長く放置されているのか、うっすら埃を被っているようにも見えた。壁際には机を取り囲むように、縦長の円柱をした水槽が複数ある。自分が収められているものと同じそれらに、他の人型をした姿はない。つまり製造されているのは、この一体だけか。
 しばらく背景に向けていた視線を、ようやく正面の人間に移す。恐らく身長は、自分よりいくらか低い。この能鉾のうぼう国の伝統装束とされる袖の広い一枚着に細い帯を腰回りに締め、奥二重の出っ張り気味な目で自分を凝視してくる。頬骨の出た顔には、申し訳なさそうな表情が浮かんでいる。そうやって反省を示されても、製造を放置された三年間のことは頭部に保存されている記憶から消されはしないだろう。
 なぜ飯盛巧いいもりたくみは、己を見捨てたのか。この水槽にいる間に募った思いが、再び湧き上がる。必要とされていないのではないか、完成を迎えられないのではないか。不安は怒りへ転じ、今にもこの心を訴えたくてならなかった。
 水槽から地下に繋がるパイプを通して水が抜かれていく。正面にある透明な戸がひとりでに開く。冷たかった体に熱が巡り、部屋の空気を受けても冷めそうにない。ようやく起動が許されたと分かっていても、その場を動く気にはなれなかった。それを案じたのか、自らを生み出した男は声を掛けてくる。ゆっくりとした足音が迫ったと思えば止まり、「父」がすぐそばにいるのを認める。すかさず、生まれたばかりの久遠は水槽を出て机を下り、彼の襟を掴んで強く引き寄せた。装いの崩れた相手が戸惑いの面持ちでいるのを良いことに、三年間抱えてきた思いを吐き出す。
「よくも、私を見捨ててくれたな!」
 責められた男は、切れ長の口を半開きにして情けない様を晒している。そんな「父」に対し、八代立永やつしろたつながは細い目をいくらか閉ざして笑みを作ったのだった。

 薄い白のカーテンを通して、窓から光が入り込んでくる。それに瞼を刺され、立永は布団に寝たまま右腕を緩慢に持ち上げた。五本の指をそれぞれ動かし、動きに支障がないと解する。それにしても、先ほどの奇妙な光景は何だったのだろう。久遠は夢を見ないものだと聞いていたのに。
 考えても切りのなさそうなことは後回しにし、立永はゆっくりと起き上がる。身に付けていた寝間着の白い襦袢を脱ぎ捨て、昔の「父」がよく着ていたような伝統装束に身を包む。袖の下に袂があり、胸と腹の間辺りで帯を結ぶこの装いを、現在の能鉾で見ることはほとんどない。赤紫から黒へと色の変わっていく髪が肩まで過ぎているのを梳かし、音声で報道の流れるようになっている小型の筒状をした端末の電源を入れる。そして昨日ともそう変わらない内容に息をついた。
 また数人、人間が殺害された。犯人とされる正体不明の存在・別瀬べつせからの声明は特にない。それが逆に立永の不審を深め、事態解決への思いを強める。今後も気を抜くことは出来ないだろう。やはり「上司」には、具体的な対策を期待したいものだ。
 電源を落として玄関へ向かおうとした時、そばの机に置かれた薄く平べったい端末からホログラムが立ち上がった。金色に染めた髪が眩しい、二年ほど前から世話になっている上司の姿が見え、その声も近くにいる時と同じように聞こえる。
『また『逆刹那ぎゃくせつな』が動いたな?』
「もう毎日のように起こっていることです。鎌刃かまはさんも『五尺ノ身ごしゃくのみ』代表として、本格的に動くべきなのではありませんか? そもそも、今までが遅かったんですよ」
 早く動いていれば、別瀬率いる「逆刹那」による被害が増えることはなかったに違いない。そう思いながら、立永は騒ぎの元凶に考えを巡らせる。別瀬なる者が注目されるようになったのは、去年の暮れに少女を残虐に殺した事件があってからだ。だがそれ以前にも別瀬が悪事を行っていたことを、立永は知っている。
 久遠の製造と普及を目指していた大企業である千代草社ちよぐさしゃの社長・土居勇どいいさむを、別瀬は六年前に殺害した。その犯人は長らく不明とされていたが、昨年末に立永はそれが別瀬であると警察に告げた。そうして街中でも人々に批判を受けていた別瀬は、たまたま野次馬として近くにいた十代ほどの女を捕らえ、その首を切り落とした。そして彼女の髪を掴んだかと思えば首を群衆に投げ付け、こう言ったのだという。
「あんたたち、これが欲しかったんじゃないの?」
 その後、別瀬はさらなる横暴に出た。死には平和を、生には罰を。こうした標語を掲げ、以前から活動していた「逆刹那」なる組織の方針を改め、人類を自らの手で滅ぼすことを宣言したのだ。そんな恐ろしい者の悪事を知らしめてやったことは、立永の誇りとなっている。それなのに「上司」の鎌刃張架はるかは自分をこっぴどく叱り、今後「五尺ノ身」で勝手に大事を起こそうものなら謹慎させると脅してきた。動けない間に別瀬が目的を果たすことは避けなければならない。故に大人しく、鎌刃がどのような指示を下すのか待っている。
『時に立永、お前には柳桜やなぎさくらとの接触を求めたい』
 予想もしなかった言葉が耳に届き、立永はだらりと下ろしていた手を握り締めた。別瀬が連日のように人を襲撃している以上、それを止めることが重要だと思っていたが。
「なぜ別瀬に直接打って出ないのです? あれを殺さないでもたもたしているうちに被害が出れば、どう責任を取ると?」
 吸い込んだ空気が喉の機械を通し、鋭い声となって端末の向こうにいる相手へ伝わる。そこに含まれているのは、人間でいえば怒りと呼べるものだろうか。表面こそ肌などの生体部で覆われていながら、内蔵されているのは機械である身には到底分かりそうにない自分の思いは、鎌刃をすり抜けているようだった。
『別瀬に対してなら、監視役の久遠を付けている。何かあれば、それが止めてくれる』
 その久遠を作った人物が佐味譲さみゆずると聞いて、彼が「父」の友人だったと立永は思い出した。自分が生みの親以外で初めて会った人間でもある――現在の状況解決には全く役に立たない情報を追いやり、立永は通話相手へ怪訝に問う。人間と久遠のより良い共存を目指す組織「五尺ノ身」の長が、人類の脅威に対して慎重なのはどういうことなのか。
「鎌刃さんは、人類を滅ぼそうとする者を見逃すつもりですか? そうすればあなたの目指す世界は――」
『別瀬の正体がわからない以上、大々的に動くのは危険だ。俺たちはあくまで一組織、せめて警察に任せておけ。それに柳も、別瀬を止めたいと思っている』
 確かに別瀬は顔を隠し、何か発表する際にも声は機械で変えている。詳しい容姿も性別も不明だが、内面がおぞましいことは今までの凶行を見れば分かるだろう。その別瀬と、自分が会うべき柳には接点があるという。
『柳には直接会った方がよいだろう。あの人の生まれた世界では、ようやく我々も普段使っているような遠隔通信が一般化したばかりのようだからな』
 柳の出身地である異世界では、昨年から感染症が猛威を振るっている。その対策のため、人と接しない交流方法を求められているのだ。久遠のような存在もいない世界から人が来るのは珍しいように立永は考えていたが、実際はそうでもないらしい。今までにも異世界人は密かに、名前を偽るなどしてこの機械科学文明がどこよりも優れた地を訪れていた。
『柳は異世界にあたるこの国の出身だ。言葉にもさほど苦労しないだろう』
「おや、鎌刃さんは柳という人に詳しいんですね」
『それでも直接会うからこそわかることもあるだろう。ところで立永、茶の腕には自信があるか?』
 迷いなく肯定すると、柳をもてなしてやるよう言われて居場所を教えられ、やがて通話が切られた。ホログラムの画面が消えた端末をそのまま机上に放置し、立永は壁に掛けていた丈が長く黒い上着を羽織る。肩から下げられた灰色のケープを揺らし、そして玄関に置いてある履物に足を入れた。鼻輪を親指と人差し指でしっかりと挟み、裏に立て付けられた板を地面に当てて高い音を出す。住んでいる部屋の戸を出ると、鍵は自動で掛かるようになっている。施錠を告げる音が鳴り終わってから、立永はそばにある階段を下りていった。
 集合住宅を出、年が明けたばかりで人のまばらにいる町へ繰り出す。頭部に収められた記憶を頼りに、黒や灰色といった地味な色合いが目立つ背の高い建物の間を行く。立永が歩く道の隣には度々、中に人の見当たらない自動車が音も控えめに通り過ぎる。しばらく歩くと道路は広くなり、人の姿も目立つようになる。特に駅へ近い辺りの広場には、次々と表示の変わる薄い大型の布とも見紛う画面を下げて訴える者が横に並んでいた。通信を介するだけでなくこうして人前にも出向くとは、よほど目立ちたがりらしい。
 久遠にも正当に給料を払え。久遠に対する過重労働を廃止しろ。そう叫んでいる人々は、世間で言う「久遠独立運動くおんどくりつうんどう」に加わっているのだろうか。口元に下げた小さな拡声器で声を張り上げる者の言葉は、立永にとってそう気にすべきものでもなかった。別に働いている中で不満は感じていない。久遠は基本的に食事も睡眠も必要とせず、長く働くことが出来る。その特徴を利用して、長時間労働や勤務中の事故などに苦しむ人間を救うために使われるべき存在が久遠なのだ。
 加えて鎌刃張架という男は、久遠にさほど無理を強制させなかった。久遠も人も変わらない、いずれより良い形で共存できるはずだ。そう口癖のように言う彼の待遇が良いから、自分は独立運動にあまり共感できないのだろうか。立永としては、別瀬への対応には依然疑問が残っているが。
 横目に見ていた集団から離れようとした時、駅を出て彼らのもとへつかつかと歩み寄る人影があった。立永とそう変わらない身長の者は、中心で声を上げていた者に相対して厳しい視線を投げる。
「久遠は人間の代わりとなるために生まれたものです。痛みや苦しみを感じることもない。人間の勝手な考えを押し付けないでください。久遠には、好きにさせて良いではありませんか」
「……私たちは、久遠を思って動いているのですよ!? あなたには久遠がどう感じているかを察する心もないと言うのですか?」
 意見をされた者が大声で反する。近くを通り掛かっていた人々も一部が足を止め、事態がどう動くのか静かに見守っていた。一方で訴えた者は、服の内から銀に光るものを取り出したかと思えば、それを滑らせながら自らの左肘から先部分にある皮膚を切り取った。出血もなく腕の内部が露わとなり、部品やら配線やらが覗いている。それを見て立永も、初めて相手が自分と同じ久遠だと思い知った。
 独立運動の者も、人間だと思っていた者の正体に戸惑ったのだろう。ざわつく彼らをどうとも感じないように、久遠は機械の左腕をそのままに去っていった。この後、自らで修理を行うのかもしれない。「仲間」へ声を掛けようとしてやめ、立永は目的地へ急ぐ。
 柳桜がこの世界の拠点として使っている事務所は、駅の反対側へ抜けてさらに歩いた先の住宅地にあった。両隣とあまり見た目の変わらない灰色のビルに入り、二階に上がってすぐ近くにある扉へ向かい合う。到着を教えるためのインターホンは見当たらず、仕方なく灰色の戸を叩くが反応はない。思わず取っ手を下へ動かすと、滞りなく部屋へ入ることが出来た。鍵が掛かっていないとは不用心なものだ。自動で開かないというのも時代遅れに見える。呆れて入室した先には、さらに壁が広がっていた。
 どうやら部屋の中をさらに壁で区切って、それぞれの空間を作っているらしい。履物を脱いで足を進めていくと、突き当たりの右にある壁に人がくぐれるほどの穴が空いているのを認めた。こうした出入り口の存在をどこかで聞いたことがある――思い返していた立永は、やがて女が穴から出てきたことに気付いて後ろへ慌てて下がった。胸の下辺りまである黒髪は、特徴的なまとめ方をされている。一部は三つ編みにして耳の上で固定され、残る髪は垂れ下がったまま、這った姿勢から立ち上がった女に手で梳かされている。二重のくっきりとした大きめの黒い瞳が、こちらを捉えるなり輝く。咄嗟に立永は口を開いた。
「今出てきたのは、茶室ですか?」
「そう。ここでおもてなしをするのが好きなの」
「こんな建物に作るのは珍しいですね」
「あなたの格好も珍しいと思うけど?」
 桃色がかったブラウスに暗い緑のスカートといった現代的な装いをしている女は、こちらを指差して微笑む。確かに立永が着用しているのは、この国であまり着られなくなった装束だ。それが自分の故郷にあるものと似ていると告げられ、立永は出迎えた女が柳桜だと察する。
「鎌刃さんから事情は聞きました。あなた、久遠なんでしょう?」
 頷くと、柳は出てきた部屋を振り返ってわずかに顔をしかめた。
「久遠は飲食をしないって聞いたけど……あなたは茶を嗜むの?」
「娯楽である喫茶なら、いつも楽しんでいますよ。確かに普通の食事は必要ありませんが」
 口元を緩める立永につられたか、向かい合う柳も微笑む。
「そっか、久遠にも色々あるのね。食事をする久遠がいても良いか」
 柳は再び身をかがめ、穴へ入り込んだかと思えば手招きをしてくる。この先へ入れということだろう。そういえば鎌刃にもてなしをしろと言われていたことを振り返り、立永は柳に続いていった。

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人類滅亡を宣言する人間に立ち向かう人造人間・久遠の物語が読めます。試し読みで興味を持った方は、ぜひ続きもご一読ください。残酷描写があるので、苦手な方はご注意ください。

人類を脅かそうとする別瀬(べつせ)の討伐を意気込む八代立永(やつしろたつなが)に対し、鎌刃張架(かまははるか)は一つの依頼をしてきた。人類…

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