ライニア乱記 神住む湖 第一章 迫る異変 三、「感応」能力
塔を髣髴とさせる五階建ての縦に高い屋敷を、フュシャは門の前から見上げた。午後の光を受けて、白い壁も青い屋根も美しく映えている。近場の町からも離れた森の中に、魔術道具の製造・販売で有名な企業社長の一家は住んでいる。
曲線の美しい鉄門の隣にあるインターホンを鳴らし、応答を待つ。やがて社長令嬢の世話をしている中年女の声がした。既に彼女とも顔馴染みであり、こちらが何者かを明かすだけで門が自動で開く。
屋敷へ入ると、玄関の眩い照明がフュシャを迎え入れた。瞬きをしつつ、世話役の人々が数人並んで挨拶をするのに返す。案内されて赤茶色の絨毯が敷かれた廊下を進むと、途中で娘の両親と遭遇した。軽くやり取りをしてから、最上階にある一室へ上がる。あまり娘を疲れさせないよう忠告し、使用人は部屋の鍵を開けて去っていった。
「セレスト、昼寝なんてしてないよな?」
戸を叩いて部屋に顔を出すと、すぐそばの机でカードの山を切っていた女がこちらを向いた。ゆったりとした白いワンピースという部屋着で、紫がかった明るい水色の髪を後ろで三つ編みにしている。橙に近い茶色の目が、フュシャに気付くと輝いた。
「まぁ、フュシャ! いつ以来かしら? ちょうどあなたのことを占おうとしていたの!」
駆け寄ってきたセレストは一度抱き付いてからフュシャの頬に口付けを落とし、それからそそくさと机の方へ手を引っ張っていく。まだ占いのカードは山のままで、展開はされていなかった。椅子に腰掛けるセレストがカードを六枚置いてから一枚を引っ繰り返して机上の端に置き、それを三回行うのをフュシャは眺めていた。
「あなた、さてはやましいことをしたわね? カードに出ているのだもの」
透き通った声を弾ませるセレストの視線を追い、フュシャは顔をしかめる。占いでは定番だというカードには、何やら色とりどりの絵が描かれている。それぞれに意味があるそうだが、フュシャには何が何を示すのか分からなかった。怪しい動きなどはしていないと否定し、具合はどうか五歳ほど年下の女に尋ねる。
「特に問題ないわ。薬だってちゃんと飲んでいるし、家族以外の人とは少しも会ってない」
ひとまず生まれながらの問題をそう恐れることはなさそうだと、フュシャは安堵した。セレストは他人の持つ魔力を無意識に受け取り、相手の感情に呑み込まれやすい「感応」能力を持っている。下手に人間と触れ合えば自身の許容量を超えて魔力を貯め、やがてライニアにはいられなくなる事態に陥るかもしれない。故にセレストは人との接触を制限され、この家から一歩も出ない日々を過ごしていたのだった。それでも予断は許されず、魔法を使えなくするための薬を毎日服用している。
まとめたカードを机の上で交ぜるセレストの笑顔に、フュシャの胸が痛む。彼女と最後に会ったのは、消却が始まる半月ほど前だったか。外に出られない彼女は、消却爆弾に巻き込まれなかっただろうか。
「そうね、外で光ったものがあったと思っていたら、何も分からなくなっていたわ。覚えているのはそれくらい。気付いたら元通りここにいて――」
フュシャの問いに返す彼女は、やはり消されていたのだ。自分はこの辺りに爆弾を置かなかったから、別の団員がやったのだろう。
あのくだらない計画に加わるより、セレストと共に消えれば良かっただろうか。彼女に出会ったのは三年前、「白紙郷」の活動に飽きて何度目かの離脱をした時だった。道に迷ってたまたまこの屋敷に辿り着き、泊めてもらったことが運命を動かしたと言っても良い。何事にも飽きっぽかったはずの自分は、セレストとはその両親の目を盗んで度々会いに行った。やがて関係は家族にばれたが、人を紹介しないと訴えてどうにか許してもらった。今まで暗かったセレストも、自分の影響を受けたか明るくなったことで両親も受け入れつつある。
「フュシャ、何ぼうっとしてるの? ちょっと運勢を見てあげるから、参考にしなさいよ?」
呼び掛けるセレストは、カードの山を三つに分けている。それをまた一つにまとめ直し、展開を広げていく。家で楽しめることしか出来ないからか、彼女は占いを特に好んでしている。よく飽きないものだと、フュシャには不思議でならない。
「これが過去の部分。何かに捕らえられていて、抜け出せない状況にいたのね。そして現在は何かに迷っている」
そして未来では、何か大きな出来事に見舞われる。淡々と語られる結果もすぐ忘れるので、フュシャは普段と変わらず聞き流す。一方で真面目な顔をしているセレストは、左側にあった過去を示すカードを手に取り、こちらへ突き付けてくる。
「ねぇ、今まで何があったの? 消却事件では無事だった?」
「……ちょっとこの国を離れていたんだよ。おかげで消却から逃げられたのは、運がいいんだか悪いんだか」
目隠しをされて身動きの取れないでいる女が描かれたカードから視線を逸らし、フュシャは出まかせを言う。「白紙郷」にいたことは、黙っている方が良いに決まっている。彼女の両親にも、どう責められるか分からない。
「国の外ってどこ? イベテ? おばあ様が生まれたっていう?」
「そうそう、よく覚えていたなぁ」
「だったら、お土産くらい買ってきなさいよ! わたしのことを忘れたっていうの!?」
セレストはこちらの襟を弱々しい力で掴んでくる。この意外な気の強さは、一体誰に感化されたのか。フュシャが苦笑を漏らしていると、セレストもまた手を離して頬を緩めた。
「冗談よ。フュシャがわたしのこと、忘れるはずがないじゃない」
今度は唇の脇に口を付け、セレストは目を細める。そこにベッドのある窓際から鳥たちの声がした。セレストは椅子から立ち上がると机の引き出しを開け、白い袋を持って窓のそばに移る。わずかにガラス戸を開けて手に載せた細かな雑穀を差し出すと、そばに止まっていた鳥は群がって餌に食い付いた。
「おい、あたしにもやらせてくれよ。一回くらい良いじゃないか」
「そう言ってあなた、前もこの子たちを驚かせて逃がしていたでしょう。もう二度と、あなたには任せないんだから」
地味な色合いをした鳥たちは、やがて餌がなくなると満足して森へ帰っていく。自分を信用しているのかしていないのか分からない態度のセレストを見て、フュシャは笑みを堪え切れずにいた。
日が暮れる前にセレストの屋敷を離れ、フュシャは自宅へ戻ろうとする。せめて家がばれて軍らに捜索されていないことを願って歩みを進め、イホノ湖を有する森を抜けようとしていた時だった。暗くなりゆく影に覆われる湖畔の一角に、やたら人が集まっている。木々の間から見える光景にフュシャは足を止め、怪訝に様子を窺った。平日のこの時間に大勢がいるのは珍しい。
人々は数列にわたって並び、前にいる男を凝視している。灰色の短い髪を持つ男は何やら話しており、はたから見れば胡散臭い宗教の儀式めいたものを感じさせる。教会の行事でもなさそうだ。
よくよく耳を澄ますと、男はライニア神話について語っていると分かった。時々「トープさん」と呼ばれて質問されても、てきぱきと答える。講演なら雨の降ることも多い屋外でやらなくとも良いだろうに、なぜイホノ湖という場所を選んだのか。主催と思われる男を観察すべく身を乗り出し、フュシャは叫びそうになった。今まで角度の問題で見えなかったが、確かに「白紙郷」で活動を共にしたイムトがトープの後ろにいる。
相変わらず本を腰に下げる姿は、少し痩せただろうか。まっすぐな暗い金色の髪も、どこかくすんでいるようだった。彼はトープの話を本気で信じるつもりがないのか、つまらなそうな顔をしている。
半ば閉じていた茶色の瞳が開かれたかと思えば、フュシャの方へ向けられる。思わず目が合いそうになり、フュシャは慌てて木の陰に隠れた。しばらく動かずに過ごし、やがて静かにその場を離れる。イムトは不審な男に付きまとって、何をするつもりなのか。悪い予感が身を駆け巡り、フュシャは息を浅くしながら道を急いだ。
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