蒐集家、団結する 第二章 七、副会長の決意
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その日、平泉は昼過ぎに自分たちの博物館へまっすぐに向かった。職員しか入れないようになっている地下二階の事務室で、友の姿を認める。照明の下で、彼はテーブルに紙やら画材やらを置いて作業をしている。紙の上半分には大きな橋があり、そこを渡っている人を描いているようだった。
「春日山さんを向かわせたのは、キミ?」
彼の手元を見るのに夢中で、まともな挨拶もしていなかった。平泉は我に返り、以前あったやり取りを明かした。春日山が心の奥に持つ願い、そして彼女からやりたいことをやれと勧められたことを。
「そこで今日、それをやりに来たんだが――あんたはこれまでの蒐集をどう思っているんだ、クロウ」
日本では使わなかった故国での名を呼ぶ。筆の動きが一瞬だけ止まる。
「うん、あまり気乗りはしなかった」
思わぬ返事に、平泉は息が止まりそうになった。今まで友は、本意でない手段で蒐集を続けてきたのか。そう思ってすぐに、彼の甘さが蘇る。会長は、誰の意見も否定してこなかった。蒐集過程で会員が非道な行いをしても気にしなかった。白神が東京支部で騒ぎを起こした時でさえ、彼を許そうとしたとも聞いている。
「あんた、人にいい顔をしたがっているだけなんじゃないのか?」
平泉が詰め寄っても、熊野は呑気に絵筆を進めている。
「ボクは、誰もを受け入れたいだけなんだよ」
「それを甘いって言ってるんだろう!」
思わず平泉は机上の小皿を手に取った。顔料の入っていたそれを、熊野へ投げ付ける。服が汚れても、紙に粉末が散らばっても、友は顔色一つ変えない。机に敷いていた新聞紙に絵の具の粉を落とし、さっと手で服を払う。
「……だって、怖いんだよ。みんなの反応が。ちょっとでも反対したら、より攻撃してくるだろう? なんでも受け入れなきゃ、黙って従わなきゃ、ボクたちは生き残れないんだよ……」
そう呟く男の出身が、故国でも迫害されている少数民族だと平泉は思い出した。その白い肌、扱う奇妙な技から、彼らは差別の対象となっていた。下手に手を出したら、ひどいしっぺ返しを受けるかもしれない。それを懸念した友の両親は、息子にどんな迫害も受け入れるよう言い聞かせていたのだった。
「――だからって、今も気にする必要ないじゃないか。ここにあんたを出身で蔑むやつなんていない」
確かに初等学校時代は、彼がいじめられるのをよく目にした。黙っているせいでより手出しをされやすくなるのだと注意もした。それを変えられずに、ここまで来てしまったのか。
大乱の後に一度別れ、再会を経て蒐集団体を設立しても、会長の態度はそのままだった。強硬な蒐集手段をはじめ、部下たちがどんな勝手をしようが受け入れていた。そんな彼に対抗し、自分はしっかりしなければと思って粛清も厭わなかったのだ。何事もきっちりとこなし、「楽園」を完成へ導きたかった。何も変化のない熊野には、今さらながら苛立ちが浮かぶ。黙っていれば良いのだと、本当に思っているのか。
「あんたがそんな態度だから、みんな反感を持っているんだ。この前の白神だって、あんたを下ろそうとしていたんだぞ」
構成員に聞く会長の評価は、あまり良いものとは言えない。ある者は平泉が会長になるべきだと訴え、ある者は熊野の態度に不信感を抱いて組織を離れた。今のままでは、「楽園」が開かれた後に問題が起きても、のらりくらりとかわしかねない。間違いなく彼の責任が問われるだろう。
急に目の前の友が、信じられなくなってきた。その心に押し潰されそうになり、平泉は彼へ背を向ける。そのまま部屋を出ようとして、急に疑問が浮かぶ。
「……なんでぼくを蘇生させたんだ、クロウ」
十年前、平泉は蒐集を行っていたところを通りすがりの男に邪魔され、殺害された。そこを熊野に救われたのだ。彼が生まれながらに持つ特殊な能力に、二度目はない。一度使ってしまえば、その人はもう蘇らない。そんな大事な手段を、なぜ行使したのか。熊野は答えなかった。絵の制作を順調に進めているのだろう。諦めて平泉が去ろうとした時だった。
「助けたかったんだよ。あのまま死んだんじゃ、キミが報われないと思って」
やはり彼は、人のために動く性分だった。「偽善家」と変わらない。蒐集は自分のためにあるものなのに。春日山のしていた話を伝えると、熊野は教えてくれたことに礼を言った。
「あんたは何を思って蒐集してきたんだ? ライニアに住む人々のためか?」
平泉の問いに、聞き取りづらい声が返ってきた。
「ボクは、いろんな美術品を見たかったんだ」
その言葉を、すんなり咀嚼できない。自分と同じことを思っていたかに見えて違うような感覚を、平泉は友にうっすらと覚えていた。
部屋を出て、計画の協力者から着信があったと気付いて平泉は折り返す。いつものように飄々とした老人の声は、まさに悩んでいたことを突いてきた。
『あんた、クロウがあの様で『楽土園』を開いて良いなんて、思っちゃいないだろう?』
答える暇もなく、目の前にいない相手は提案してくる。
『そんなことするくらいならさ、一緒に壊そうじゃないか。おれと、きみの魔法で』
「それはできない」
返事は考えずに出てきた。あの「楽園」には、自分の憧れや夢がある。いつか聞いた天国に等しい地――争いがなく誰もが楽しめ、友のような者が迫害されることのない理想の場を、この手で作り上げたかった。故に学生時代は建築を学び、「楽園」に相応しいものを築こうとしたのだ。
『それでもクロウを、自分を信じ切れないままで良いのか? きみがこれから人に見せるものは、本当にきみが望んでいたものかい?』
声を出せない。自分たち蒐集団体のやり方が間違っていたか悩むことなど、何度もあった。それを押し殺して、完成間近まで近付いているのだ。そうしていつまでも、罪に囚われ続けなければならないのか。故郷を、家族を奪った者たちと近い所業を犯してまで。
『だから全部壊して、一からやり直そうって言ってるんだよ』
話し相手が持つ魔法は、あらゆる物体に弱点を強制的に作り出して破壊するものだ。初めて平泉がそれを見たのは、数年前に彼が展示室のガラスケースを磨いている最中にうっかりひびを入れた時だった。そして平泉もまた、似たような技を使えた。対象の人や部位、機械を殺害あるいは機能停止させる「即死」魔法は、きっちりした自分の性分に合っていると老人は言う。これから彼が進めようと思っていることにはうってつけだとも。
「あんたは、博物館を壊すなんてしたいと思っているのか? 芸術は嫌いか?」
『いいや、好きだよ。――あの内乱がなかったら、興味なんて持たなかっただろうけどね』
男の語る過去は、平泉にも刺さるものがあった。内乱を経なければ、自分は「楽園」への思いを抱かなかっただろう。今の己を形作るものは、ひどく醜い。
別に無理して破壊に加わらなくて良いと相手は言った。すぐに決める必要もない。別れの挨拶があって電話が切られるかと思いきや、向こうは最後に置き土産を残していった。
『そうだ、今度そっちに『早二野』のみんなが来るみたいだよ。きみたちを倒したいって』
不通音を耳に聞かせながら、平泉は「早二野」のことを振り返る。先日熊野のもとへ訴えに来た者たちだったか。東京で会った時も彼ら、特に富岡椛には反発された。自分たちは「悪い人」だと信じられていた。その言い分が、急に腑に落ちる。
「……ああ、その通りだ。ぼくは悪い人だ」
強引なやり方を許容し、見も知らぬ人々を傷付けていた。そんな人間が作り上げたものなど、この世にあってはならない。友のいる部屋から距離を取り、再び同じ相手へ連絡を入れて賛同を伝える。向こうは特に驚きもせず、既に立てていた詳細な手段を教えてくれた。周到な計画は、平泉の熱を駆り立てた。一度は熊野の目的を達成させ、直後に破壊を行う。そうして徹底的に彼を裏切るのだ。痛い目を見れば、友も心を変えてくれるだろうか。
「それにしてもあんた、あそこに属していたんだな」
途中で聞いた相手の立場も、平泉はただ受け入れられていた。だが一つ、どうしても晴れない疑問がある。
「あんたはぼくたちを取り締まる者だろう? やっぱりぼくたち、蒐集家が憎いか?」
そんな問いに返ってきたのは、意外なものだった。
『むしろ同情するよ。そりゃあ貴重な文化財を盗むのには感心しないけどさ。異世界を知っているだけで処罰を受けるのは、かわいそうじゃないか』
話す男の口ぶりには、確かに敵への哀れみが籠もっていた。
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