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ライニア乱記 全てを白紙に 第三章 日常に帰る日 七、日常は続く

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 瞼の裏が暗くなり、レンは光が収まったのだと気付いた。目を開けると、先ほどまでと変わらぬ部屋の空間が広がっている。壁際に本棚が並び、エティハの立っていた辺りの壁には地図が貼られ、床には血の流れがある。持っていたはずの「虹筆」は、どこにもなかった。使ったことで消滅したか、元の場所に自然と戻ったか。下ろしていた手をぱっと離されて隣を見ると、ルネイが口の中でもごもご言いながら顔を背けていた。
 ヘイズが廊下の部下たちに向けて、撤退を命じた。彼らが去るのを見届けてから、彼はレンたちへ向き直る。
「宜しければ、自分が貴方がたをお送りしましょう。皆様はどちらから来られたのですか?」
 レンとリリが故郷の村を答えると、ルネイもそこへ向かうと告げた。人探しを再開するまで、小休止をしたいらしい。ヘイズが聞き入れてシランにも同じ問いをしたが、彼女は断って歩きだした。
「私はまた、好きにさせてもらうわ。……今回は誰にも殺されなかったけれども、次こそは手に掛けられたいわね」
 長髪を掻き上げた女は、薄暗い廊下の奥に消えていった。その姿を呆然と見ていたレンは、リリに呼ばれてようやく彼女たちと共に部屋を出た。開け放しの扉から、ふと室内を見返す。自分と在り方を重ねていた男が瞬時に蘇り、レンは訳もなく胸が痛くなって部屋に背を向けた。
 軍の用意した車に乗って、レンたちは荒野を抜けた。行きでは何も見えなかった風景が、今は元の姿を取り戻していた。草原では草がなびき、川は穏やかに流れている。町に入ると、石や鉄で出来た建物が道に沿って立ち並んでいた。行き交う人も、車が進むにつれて数が増えていく。
 何もかもが、戻ったのだ。車窓からの光景にそう思ってすぐ、レンは手のひらを上にして右手を前へ出してみた。念じつつ軽く握って開くも、銃弾は現れない。並んで座るリリとルネイは、「白紙郷」本拠地でと違って問題なく技を使えていた。
「レンちゃん、これでよかったの?」
 リリが心配そうに、こちらの顔を覗き込む。レンは何も生み出せなかった片手を髪に入れてさっと梳き、大げさに笑ってみせた。
「良いんだよ。平和が戻ったんだから」
 再び窓に目をやり、レンは外を眺める。町を抜け、再び人通りの少ない辺りに入っていった。周りには木々がそびえ、鳥のさえずりがあちこちから聞こえる。その時、急停止した車が大きく揺れ、後続車両の方が騒がしくなった。開かない窓から様子を見ると、何やら軍人たちが忙しそうに駆け回っている。助手席にいるヘイズの方で、無線を通したくぐもり気味の声がした。本拠地で捕らえていた三人――アーウィン、イムト、フュシャが脱走したと。ヘイズが手早く追跡の指示を出すと、通信相手は了承して連絡を切った。
 イホノ湖まで旅をしてくれたアーウィンは、これからどうなるのだろう。心配が湧くのを感じながら、レンは椅子の背もたれに身を任せた。やがて軍用車は再び発進する。
 サーレイ村に着いたころには、昼をかなり過ぎていた。元の外観を保っている喫茶店の前でレンたちは降りる。早速中へ入ろうとして、レンはヘイズに呼び止められた。わざわざ車から出てきた彼は、事態収束へ協力してくれたことへの感謝を述べた。そしてレンに向き直り、目を合わせてくる。
「貴方はこれから、魔法のない身で不都合を感じるかもしれない。それでも、エティハに言ったことをどうか忘れないでください。貴方なら、強く生きられるはずです」
 上から目線な発言は気に入らなかったが、レンは一つ頷いた。結果的に軍も、「白紙郷」を倒すために尽力してくれたのだ。それをありがたく思い、差し出された手を軽く握り返した。それからヘイズは、ルネイへ話し掛ける。
「貴方の父親については、上層部にも処断を掛け合ってみます。どうか心配なさらぬよう」
 ルネイはじっと中佐を睨むも、小さく了解を呟いた。それに満足したように頷き、ヘイズは軍用車に乗り込んだ。音を立ててそれが遠ざかるのを見送るさなか、背後で鈴が鳴ると同時に扉の開く音がした。
「レン、どこに行ってたの!? その子は?」
 喫茶店のエプロンをまとった母が、レンたち三人を出迎える。扉の奥には、レジに立つ父も遠目に見えた。思わずレンは母の手を取り、本物か確認しようとした。それを怪訝な顔で止められ、母は彼女にとって見知らぬ少年について聞いてくる。きっと自らが消されていたなど、覚えていないのだろう。そう考え、レンは仲間としてついて来てくれた少年を指し示した。
「この子は、ルネイくん。その……色々助けてくれたんだ」
 強い魔法を使いこなせるのだと自慢を挟み、レンは恥ずかしそうに軽く俯いているルネイを紹介してやった。


 レンの家で一泊だけして、ルネイは旅に出てしまった。レンも両親ももう少し休んでいくよう勧めたが、彼は聞かなかった。どうしても「探し人」が気掛かりだという。
「ところで、レン姉さんのご家族は確か――」
 家の玄関で別れる前、ルネイはレンの前で何か言いかけて口を閉ざした。両親も遠慮しないよう続きを促す中、レンは小声でその疑問を耳にした。少し親に目配せをし、レンは手短に事情を話す。それでようやく納得したルネイが、今度は顔を赤くして謝った。
「何やら失礼なことを聞いてしまったみたいで、すみません」
「気にしないで。また探している人に会えると良いね」
「はい……。今のレン姉さんにも、また」
 ルネイは穏やかに微笑み、レンの家を後にした。
 それからは消却事件の動乱が嘘のように、静かな日々が続いた。リリに言われて春休みの宿題があったという現実に直面し、残りの八日ほどで何とか片付けようとレンは追われている。ただ、昼過ぎの日課である「お茶とお菓子の時間」だけは別だった。今日も両親の営む喫茶店にお邪魔し、テーブル越しにリリと向かい合って休息を楽しむ。
 熱い茶を冷ます間に、レンは出来たての焼き菓子にフォークを入れる。この国でクオルと呼ばれるもので特に飾り気はないが、素朴な小麦粉や卵の風味が食欲をそそる。頬張るとまだ熱が籠っており、レンは口元を手で押さえて菓子の欠片を舌上で転がした。ほのかな甘みのあるそれやっと飲み下してから、リリが何にも手を付けず浮かない顔をしているのを認める。
「もしレンちゃんが、魔法を使えない世界に生まれていたらどうなっていたんだろう……」
 もう一口菓子を咀嚼し、レンはリリの問いを考える。自分は魔術や魔法の存在が前提の世界で、異端として生まれた。仮に別の世界で生まれたとしたら、その逆もあるかもしれない。
「わたしだけが何かのきっかけで魔法を使えて、変に思われたりするかも」
「あいかわらず、のんきだねぇ」
 リリがようやく、菓子に手を付ける。少し元気を取り戻したようで安堵していると、入り口に取り付けられた鈴が鳴った。客が来たのだと思って振り返り、その白い肌と銀髪に驚いた。レンだけでなくリリも立ち上がり、客人――アーウィンの名を呼ぶ。周りのテーブルにいた人たちが、不思議そうな顔をする。
「あまり他には言いふらさないでくれ。ルネイはもう、別の所に行ったのか?」
 空いていたテーブルから椅子を引っ張り出し、レンは自分たちのテーブルにそれを用意した。両親には世話になった人と教え、アーウィンを座らせる。彼は周りの客に聞こえないように近況を語った。イムトやフュシャも含め、三人は隙を突いて軍用車から脱出した後、散り散りになったという。いまだに他二人の行方は不明で、アーウィンもまた軍に追われる身として警戒しなければならなくなった。
「あれから、君たちはどうなった? レン、君の魔法は――」
「この通り」
 レンは「錬成」魔術を披露しようとして、予想通り失敗する。それを悲しげに見ていたアーウィンが、座ったまま深く頭を下げた。
「イホノ湖では悪かった。さすがに言い過ぎたよ。ライニア人の血が入っているとはいえ、君は俺たちと同じ『少数派』だ」
 なかなか顔を上げないアーウィンを見て、レンとリリも慌てて彼に謝った。ミュスについて知らなかったことを恥じると共に、これからは彼の民族について詳しく教えてほしいと頼む。そしてレンは、前から言いたかった言葉を付け加えた。
「わたし達も、ミュス――アンフィオの人たちを、悪く扱うつもりなんてないんです。むしろ、苦しんできたのを助けてあげたいなって」
 アーウィンがはっとして顔を上げ、呆然とレンを見た。彼はそのまま黙っていたが、母に品目表を渡されて我に返る。
「……じゃあ、君たちに助けられることも考えておこうか」
 呟いて、アーウィンは薄い冊子に目を落とす。しかし彼はなかなか注文せず、「白紙郷」に入ってでも為そうとした目的が果たせなかった悔やみを零していた。もう「故国奪還」の機会はないのではと、悲観的な思いまで抱いているようだ。どうにか励ましてやろうと、レンは彼の肩を軽く叩く。
「今からでも出来ることはありますよ! 全部消えたわけじゃないんですから!」
 かっこいいことを言えたか気になりながらも、軽く胸を張る。魔法のない日常に戻った自分と同じように、彼も振り出しから何とかして進みだせるだろう。アーウィンはその後も黙っていたが、やがて注文する品を決めたのか手を挙げた。彼のもとへ運ばれてきたのは、レンやリリと同じ、茶と焼き菓子・クオルのセットであった。
 程よく冷めてきたカップを持ち、レンはふと席を見回した。テーブルを囲む友たちの顔をそれぞれ眺めているうちに、笑みが堪え切れなくなる。何か面白いことがあったか問うリリに首を振り、静かに茶を服す。ただ、今後もここにいる友たちと親しくやれていけそうな期待が密かに兆していた。

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