見出し画像

ライニア乱記 全てを白紙に 第一章 消却迫る 二、消える日常

前の話へ

序章へ


 待ちに待っていた春休み初日、レンは遠くで鳴る地響きに起こされた。カーテン越しに窓からぼんやりと日が差しており、まだ早朝だと分かってレンは再び布団に潜ろうとした。せっかくいつもより遅く起きられる機会なのだから、もう少し寝ていたい。しかし胸騒ぎが収まらず、レンはベッドを下りて窓を開けた。
 草地に覆われた近隣の村が見える中、地平線の手前にある集落から白い光が迸った。レンが目を閉じたのも束の間、遠くから低い轟音と共に強い圧を伴った風が迫ってきた。疾風が髪を乱したかと思えば、小刻みに家が揺れて棚に載ったものが音を立てる。この国にはあまりない地震に、レンは窓枠を強く掴んで耐えた。やがて落ち着いた後に目を開け、眠気も忘れて前方の光景を凝視した。
 家々の並ぶ草地の合間が、ぽっかりと白く染まっている。先ほどまで見えていた建物や自然は跡形もなく、そこだけ平面になったかのように塗り潰されている。何が起きているのか、寝起きの頭でもレンには理解できた。「白紙郷」が、あの辺りにある村を消したのだ。彼らは思ったより早く消却を進め、もうこちらにまで迫ってきている。窓を閉じ、どうすれば良いか分からなくなってレンは部屋中を歩き回った。途中で机や箪笥にぶつかりそうになり、ふと立ち止まる。
 自分だけが慌てたところで、どうしようもない。まずは家族の無事を確認するのだ。両親それぞれの部屋を確認し、居間で彼らが揃って朝食を取っているのを見てレンは安堵した。
「あらレン、もうちょっと休んでいても良かったのに」
「でもさっきの爆発があったからね。目が冴えるのも仕方ないんじゃないかな」
 母は戸惑いつつ茶のお替わりを注ぎ、父は落ち着いた様子でジャムを付けたトーストを齧っている。彼らの後ろに置かれたテレビでは、報道番組のアナウンサーが慌ただしげに、レンも先ほど見た非常事態を告げていた。画面上部には避難勧告の指示が出ていたが、レンの住むサーレイ村は対象になっていなかった。それでも妙な胸騒ぎがレンを苛む。いちいち怯えていては、かっこ悪いだけなのに。
 レンが朝食を食べ終わった後、両親は店を開けに出掛けていった。普段と変わらない動きをすることで、少しでも客に安心を与えたいのだという。常に万が一に備えた支度は出来ており、何かあったら荷物を持って逃げることになっている。しかしレンが午後からリリの家に行って良いか尋ねた時、母は玄関前で厳しい顔をした。
「あんまりリリちゃんのお宅に迷惑を掛けないようにね。それから『お茶とお菓子の時間』までには帰ってきなさい?」
 レンはすぐさま了承し、それから家を出る両親の後ろ姿を眺めた。何かあった際、喫茶店から彼らがちゃんと逃げられるか不安が兆す。しかしそれをすぐ振り切って、レンは両親を見送った。
 つつがなく午前中を過ごし、昼過ぎになってレンはまっすぐリリの家へ向かった。走ればすぐ着いてしまうそこには、リリだけが留守番をしていた。彼女の両親は共に、避難の準備として買い出しに赴いているという。
「レンちゃんは怖くないの? 私たちの村も消されるかもしれないんだよ?」
「まだ大丈夫。いざって時に逃げれば良い」
 本当は恐れているのを隠して笑い、レンはリリの私室へお邪魔した。しばらくボードゲームやカード遊びを楽しんでいたが、その間も友の顔から暗さは抜けなかった。いつも何かに怯えているような表情の彼女だが、今日は朝の件もあってかより心配を抑え切れないようだった。山札を切っていたレンも思わず手を止め、何を言って励まそうか考えを巡らす。そこに、朝に受けたものより大きな衝撃が建物を襲った。
 小さく悲鳴を上げて伏せるリリを覆うように、レンは身をかがめる。頭を腕で守りながら、机に置かれた筆記具が床に落ち、本棚から本が飛び出すのを目の当たりにする。家を横から突き飛ばすように起きた揺れは、やがて急に収まった。幸い二人とも傷はなかったが、リリが今にも泣きそうな顔をした。
「ここにいちゃだめだよ! 逃げようよ! 消されちゃったら、何も楽しめなくなっちゃう!」
 思いがけず両手を掴まれたレンは、咄嗟に外の様子を思った。今のが近くで爆発した消却爆弾だとしたら、両親の喫茶店も巻き込まれてはいないか。居ても立ってもいられず、レンはリリの制止も振り切って家を出た。
 消されたのは、自宅からもいくらか離れた森林地帯だった。あの辺りに人家は少なかったと振り返り、足を喫茶店に向ける。使われていない煙突のある木造の小さな平屋建ての店は、まだ形を保っていた。だが入り口前を、見慣れない男が通り過ぎていく。まっすぐに近い暗めの金髪を揺らし、ズボンの左腰に革紐で厚い本を固定している。その両手には、彼の腰幅ほどの白い箱らしきものが抱えられていた。店からそう遠くない木の下に箱を置いた彼を追って、レンは叫ぶ。
「それは何? 消却爆弾?」
 設置のために腰を下ろしていた男は立ち上がり、レンを振り返る。やや切れ長の茶色い目を光らせ、彼は肯定した。
「間もなく爆発する。命が惜しかったら、今のうちに尻尾巻いて逃げるんだな」
「待って、本当に消すつもり!? 何でそんなことするの?」
 箱の正面に取り付けられた時計の針が、真上を差そうとしていた。爆発までの時間を伝える高い音に急かされる中、レンは息巻く。男は大股で爆弾から離れていたが、やがてこちらを見ずに答えた。
「決まっている。ライニアのためさ」
 それはどういう意味か。レンの問いは、後ろから来た衝撃に阻まれた。
「レンちゃん、危ない!」
 案じてくれるリリの声で、彼女が自分を伏せさせたのだと分かる。いつの間にかレンは目を閉じ、耳が痛くなりそうな音を聞く中で爆風に晒されていた。手元にある草の感覚が消えていき、レンもまた自らの存在が抹消されると覚悟する。ただリリの腕がまだ背に載っている感覚を保ち、一切が終わるのを待つ。やがて閉じていた瞼の裏から、強烈な光が消えていった。
「大丈夫? レンちゃん」
 レンは目を開け、隣に友がいるのを認めた。そして彼女の背後に続く地面が、ずっと先まで白く染まっているのが見えた。前方にあった、男が根本に爆弾を置いた木はなくなっている。手を伸ばしても幹のざらついた感触はなく、ただ空気に触れている印象しかなかった。地面を覆っていた草も土も、白い平らな面と変わった。靴裏を通して床にも似た滑らかな質感が足へ伝わり、自然の持つ独特な匂いもしない。その「地面」を踏み、レンは喫茶店のあった場所へ走った。しかしいくら探しても見つからない。やっと見慣れた景色に着いたと思えば、そこは自宅よりも離れた民家の集まりだった。
 爆発のあっただろう辺りへ再び戻り、レンは息を整える。自分とリリを除いて、周りに人の気配はなかった。じっと眺めていると目が痛くなりそうな白が取り囲む中、意識せざるを得なくなる。あの店は、消えてしまった。建物はおろか、中にいた人までもが白に溶け込んでしまったのだ。
「……いや、まだ分からない」
 やっと呼吸が落ち着いたところで、レンははっきり言ってみせた。たまたま両親が店を離れている可能性もなくはない。そうしたら彼らはいつも通り、夕方に一度帰って同じ店で営んでいるバーを開くための準備をするのではないか。
 そんな期待も、夜が深まったころには潰えていた。リリと別れて以降も気を強く持とうとしていたレンは、夕食も忘れて家族の帰りを待った。そしてそれが無駄だと思い知った時、居間の卓に勢いよく顔を押し付けた。受けた衝撃など気にならない。誰もいないと分かっていながら、激しい嗚咽を漏らせなかった。一方で抑えようとしても、涙が止めどなく溢れてくる。
 十四にもなると、親の介入を多少鬱陶しく思いもした。成績の心配を跳ね除け、部活後の寄り道で帰りが少し遅くなってもどこ吹く風だった。だがいなくなってみると、胸に穴の空いたような感覚がずっと消えないでいる。これまでの不孝を心で詫びると同時に、レンの中で昨日出会った少年が急に浮かぶ。彼に対してと同じく、両親にも何も出来なかった。ただ相手に押されるだけで、真っ当な対峙とは程遠かった――。
 遠くで爆発音がし、レンは顔を上げた。今度は揺れも襲ってこず、すぐに静寂が家を支配する。もう空元気を振り絞っている場合ではない。ここもいずれ消却される。その前に家を出なければ。
 自室に移るなり、レンはリュックサックに必要と思えるものを詰め込んだ。ひとまず旅行でよく使う道具を入れ、食料などは持って行くべきか考えて机に目を留める。右側の上から二番目にある引き出しには、鍵が掛かっている。武器実践の授業や部活のある日しか使わないそれを、今日は開けた。
 引き出しと同じく厳しく封のされた箱の蓋を取ると、青で色の塗られた小ぶりな回転式拳銃が現れた。持ち手に施された草花模様の装飾は、いくらか薄くなっている。競技では使い込んできた自らの武器を、レンは両手でそっと持ち上げた。いつもより重みがずっしりと来る。それは腰にホルスターを巻いて装着してみた時も同じだった。
 拳銃があっても、弾がなくてはどうしようもない。レンは昨日の午後と同じく、「錬成」魔術を行う姿勢に入った。手を握ると、いつもは変化を見せない指の隙間から光が零れた。じんわりと温かくなった手のひらをそっと開き、目を見張る。今まで何も生み出してこなかった手の上には、二発の銃弾が転がっていた。試しに装填してみると、ちょうど六つ穴がある弾倉にぴったりと収まった。
 ――これなら、仮に「白紙郷」と遭遇したとしても。ひらめきが浮かんだ時に、呼び鈴が鳴った。急いで玄関に向かうと、リリが自分と家族の無事を尋ねてきた。リリは扉から顔を出しただけで中に入ろうとせず、やや引きつった顔でレンが持ったままだった拳銃を見つめている。
「ご両親のことはわかったけど……その武器はどうしたの? 私を『白紙郷』だと思った?」
「そんなわけない! それより聞いて、リリ! わたし、魔術が使えるようになった!」
 眉尻を下げるリリを差し置いて、レンは左手で錬成の実演を行い、出来上がった弾を弾倉に入れる。夜だが寝る気など起こらず、今から何十発でも銃弾を作ってみたかった。
「これで『白紙郷』を倒せる! あの店を消した奴に、ぎゃふんと言わせられるよ!」
 思わず出たレンの冗談を聞くなり、リリは口を半開きにして固まった。どれほどそうしていたか、長い時間が経ってようやく返事が来る。
「なんでレンちゃんが、そんなことしなきゃいけないの? 危ないからやめようよ!」
 友は顔を青ざめ、小さな白い手でこちらの袖を掴んでは引っ張る。昨日会った紫髪の女も、「白紙郷」と戦うのは良くないと言っていた――リリのそんな話を耳にすると、レンの心に余計火が付いた。あの少年を困らせた女にも、今の魔術を見せてやりたい。しかし使えるようになったばかりの技で、果たして彼女に一矢報いることが出来るのか。
 軽く息を吸ってから、震えている友へレンは口角を上げる。
「冗談。夜が明けたら、一緒に逃げよう」
 そう告げてリリを帰したものの、再び一人になるとレンは改めて疑問を思った。居間で周囲の地図を広げ、どこまで逃げれば良いのか悩ましくなる。せっかく落ち着いたと思った場所が消却されたら、また逃げなければならない。そんな状況が、事態の収束しない限りいつまでも続くのではないか。
 熱くなる瞼を、レンは慌てて押さえ付ける。昼間のことは、確かに無念だった。大事な家族や店を消した相手を、呆然と見送るだけだった。あれをかっこ悪いと言わないで何と呼ぶ。しかしよく考えれば、当時は銃さえ持っていなかった。そして「錬成」魔術も、まだ使えるようになったばかりだ。未熟な自分が「白紙郷」と対峙してどうする。
 諦めろと、自分に言い聞かせる。すっぱり決められないことも、かっこ悪いではないか。だがレンは眠気が襲うまで、葛藤がずっと収まらなかった。

次の話へ


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?