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ライニア乱記 神住む湖 第二章 平穏と騒動の狭間で 四、未完の楽園で

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 灰色に塗られた地下階の廊下を、オーロはつかつかと進んでいく。上から工事の機械音が響いているが、数年来のそれはすっかり慣れている。この博物館も、あと一年か二年で完成に至るだろう。その時までに昔の大乱に似た事態が起きなければ良いが。
 通り過ぎようとした部屋から怒鳴りに近い声を聞き付け、オーロは立ち止まる。声の主には覚えがある。前にも友を「故国奪還」とやらに勧誘してきたが、今回もそうなのだろうか。身にまとったスーツと短い金色の髪を整え、ゆっくりと戸を押し開ける。案の定、伝統様式の巻頭衣に脚絆を履いたミュスの男が、部屋の角にいる色白の男を問い詰めていた。右目を眼帯で隠したオーロにも、来客と同じ民族に縁を持つ友――クロウが何も言い返さず訴えを聞いているのがはっきり捉えられた。着崩し気味のシャツにズボンという装いは、アーウィンのまとっている伝統装束とは全く違う印象を与える。
「あんたは、生まれた民族がこれからどうなろうと良いのか? 『野蛮人』の神が注目されて、俺たちの神が蔑ろにされても構わないのか!?」
 アーウィンは銀色の髪を揺らし、クロウの腕を掴んで自らへ引き寄せる。対して博物館の館長になる予定である暗い茶色の髪を持つ男は、わずかに眉を下げるだけだった。これといった反応を示さない。このままではより客人の怒りが深まると考え、オーロは思い切って部屋へ足を踏み入れた。
「今度は何の用だ? またクロウを使って何かしたいのか?」
 振り向いて茶色い瞳をぎらつかせるアーウィンは、クロウの母と同じ少数民族の出身だ。自らがミュスもといアンフィオであることにこだわり、ライニア人の奪った住処を取り返すべく動いている。それが過激な言葉で訴えられていることは、オーロも懸念していた――自分もまた強硬的な手段をこの博物館がために見過ごしている点には、痛いものがあるが。
 確かにミュスへ襲い掛かった残酷な現実には、同情したいものがある。だが果たしてアーウィンの思惑は、上手く行くのだろうか。どうもオーロには疑いが拭い切れない。「故国奪還」の計画に、他のミュスたちはあまり賛同していないとも聞いている。「純粋」なミュスが数を減らす中、もはや絶望的にしか思えない。
「ライニア神話の神が、イホノ湖で下ろされようとしている。『野蛮人』のあんたにとっては、どうでも良いことかもしれないけどな」
 相変わらずこちらを侮蔑的に呼び、アーウィンはトープなる男が為そうとしている荒唐無稽な計画を話す。連日報道されていた騒ぎがこの国の神話に関わっているのだと、オーロは初めて知った。詳しく聞けば聞くごとに、いずれは大事になりそうだという予感が湧いてくる。アーウィンはこの状況を変えるために、クロウの手を借りるべく数年ぶりにここを訪れていたのだった。
「あんたの危機感は分かるが、なぜクロウなんだ? 彼は『楽園』の造営で忙しいんだ。あまり邪魔をしないでほしい」
 オーロは理想の「楽園」を作るべく、友と博物館や周りの公園などの建設に勤しんでいた。将来的にはここが、平和の願いを叶えるための拠点となる。先頭に立って動くはずの男を、今奪われては作業が進まない。右目を傷付けた後の焦りを思い返し、オーロは侵入者を追いやろうとする。しかしアーウィンは聞き入れず、抵抗しないクロウの腕を揺さぶった。
「今回は我ら誇り高きアンフィオがより軽んじられかねない、由々しき事態なんだ。『野蛮人』の血が入っているのは気に食わないが、一応は同じ民族として利用させてもらう」
 そう言うアーウィンに引きずられ、クロウは扉の方へ連れて行かれる。友が押しに弱いのは、どうにかならないのか。放っておけば今後の予定が狂うと考え、オーロは呼び止める。
「クロウ、ソローレでの蒐集がそろそろ目標に届くころだっただろう。それを放っておくわけにはいかないんじゃないか?」
「……そうだね」
 クロウは弱々しい声で返し、アーウィンにされるがままとなっていた腕を軽い力ながらようやく振り払う。そこに友を連れ去ろうとした男も足を止めた。ソローレが自分の故郷だったか確認するアーウィンへ、オーロは頷く。ここよりずっと南にある大陸の半島に位置する国は、母の出身地でもあった。
「その生まれた場所にある貴重な美術品とやらを奪っているのか? 泥棒だな、そりゃ」
 冷たく告げるアーウィンから、オーロはそっと視線を逸らす。悪事をしているという自覚は、薄々と感じている。現在に至るまでそれを押し殺してきたのだから、ここでやめてしまっては積み上げてきた「楽園」の礎が崩れる。
 自らにも言い聞かせてきた反論を、訝る男へ訴える。たとえ故郷が戦乱か何かで滅んでも、この博物館に品が保管されていれば守ることが出来る。失われるはずだった文化は残り、後世へ伝えていける。
「じゃあもしこの国で再び内乱が起きてここが攻撃されたら、あんたたちが守ろうとした文化は滅ぶんじゃないか? せっかく罪を犯した意味がない」
「……内乱を防ぐために、ぼくたちはやっているんだ」
 固く抱いていたはずの信念も、聞き取りづらい。貴重な美しいものを見て、人々には心の豊かさを得てほしい。武器を持って戦うことなど愚かなのだと知ってほしい。そんな願いも、アーウィンは理解していないように鼻で笑う。
「こんな建物で内乱を止められるのか? 博物館とやらと平和に、どんな関係があるっていうんだ」
 このライニアでは内乱などで破壊された影響で、博物館や美術館の数が多くない。絵画を間近で見たことのない者も多いだろう。アーウィンも然り、文化財をまとめた建物がどんな効果をもたらすのか実感が湧かないのだ。ここは己の信じる博物館の理念を挙げ、分かってもらうしかない。
「ミュス――アンフィオにも、独自の文化を伝えるための施設があった方が良いんじゃないか? そうしたら差別してくるやつも減るだろう」
 むしろ先住民族に興味を持ち、受け入れようとしてくれるかもしれない。オーロが期待を込めた提案も、即座に断られた。「野蛮人」の意見には従いたくないとして。ただでさえ「野蛮人」に汚染された国に別の異邦人が来て、先住民としては迷惑しているのだとアーウィンは言い切った。
「――そう思うとあんたにある『野蛮人』の血も、気に入らなくなってきたな」
 仲間にしようとした者を睨む客人の前に、オーロは移る。背後にいる友を守るよう、思い付いた言葉を並べる。
「もう彼のことは、構わなくて良いだろう。混血が進んでいることなんて、あんたの民族でも普通じゃないか」
「その『普通』が問題なんだ!」
 机と戸棚といったわずかな道具しかない狭い部屋に、アーウィンの怒りが響いた。混血が続くおかげで、「純粋」なミュスは絶滅しかねない。よりライニアや他国に穢されていくのだ。そう訴えるアーウィンの考えは、今さらながら過激なようにオーロには思えた。他のミュスも、そこまで民族のことを気にしていないだろうに。
「……もう良い。『野蛮人』の手は借りない。俺が何としても、神の降臨を止めさせてやる」
 結局諦めの台詞を吐いて、アーウィンは部屋を出て行った。彼は一体何をしたくてここへ来たのか。振り回された身を思い返し、オーロは立ち尽くす。ただクロウにあれこれ言いたかっただけのように感じられてならない。以前も「故国奪還」へ引き込もうとし、彼に目的があると知れば罵倒して去っていったのだ。
「オーロ、ソローレでのことを言ってたっけ?」
 今にも消え入りそうな声に、オーロは頷いて話し手を見る。友は涙こそ流してないが、黒い瞳が全体的に水気を帯びている。蒐集の話より、まずは彼を励ますことが大事だろう。何を伝えれば効果的か、オーロは脳内で言葉を探り始めた。

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