ライニア乱記 神住む湖 第二章 平穏と騒動の狭間で 八、短い修練
外はすっかり暗くなり、店も喫茶店から酒場へ切り替わろうとしていた。客の多くが姿を消し、ルネイだけが店を出ようとする足を扉前で止めていた。小声で魔法が使えるか聞いてきた彼の前で、レンは周囲を見回す。両親を含む店員は奥に控え、他に誰もいない。今なら試せるかもしれないと、「錬成」魔術で銃弾を生み出す。「白紙郷」事件でも得た感覚が蘇ると共に、手のひらに思い描いていたものが現れた。
もう今は、自分が魔法を使えるほどの異常事態になっているのだ。それならイホノ湖へ行くべきだとレンは直感する。ここで動かなければ、再び壊れかけた日常を取り戻せない。騒いでいる胸をそっと叩いていると、後ろでばたばたと足音がした。ルネイが口を半開きにしている先で、両親が呆然と立ち尽くしている。
「レン、あなたいつの間に魔法を――魔術を使えるようになっていたの?」
「今まで出来なかったはずなのに、どういう仕組みで――」
母と父に続けて問い詰められ、きちんと話したくとも簡単には出来ないと気付いてレンは固まる。判明した経緯を詳細に明かせば、自分が「白紙郷」と関わったことがばれてしまう。リリがうっかり話したことはその後の騒ぎで誤魔化せているのに、またややこしくなる。家族に心配を掛けまいと黙っていたのを伏せて、どう答えようか。レンが口を閉ざしていると、父が代わってルネイへ何か知っているか尋ねた。しどろもどろになりながら、少年は言葉を選んでいる。
「レン姉さんの願いは、当たり前の日常がずっと続くことです。それが壊されたと感じた時に発動する『非常』魔法が、今回の騒ぎで発動したのでしょう」
消却事件には一切触れず、ルネイがざっくりと説明する。この魔法が使える限り、自分はどのような魔術も操れるだろう。とはいえまだ自覚し始めたばかりなので実力は浅いと思うが。そう推測を並べていたルネイは、やがてゆっくりとこちらを向いた。
「今はレン姉さんにとって大変な事態なんでしょう? 友だちが囚われていて、何とかしたいと思っているんですよね?」
魔法でどうにかしたいと思うほど、リリは大切な存在なのではないか。確かめてきたルネイに、レンはおのずと頷いていた。ただ同じ場にいる両親のことが気掛かりだ。静かに視線を送ると、まず母が溜息をついた。
「……リリちゃんを、助けたいの?」
肯定の言葉は、真っ先に口から出てきた。やはり現れた魔法を生かさないわけにはいかない。ここで腐らせていてどうする。力があるのに使わないのは、友を救いたいと思ってやらないのは、かっこ悪いではないか――!
決意を固め、恐れもなく両親と目を合わせる。明日の正午に神が下ろされるのなら、その前に向かわなければならない。
「イホノ湖、行っても良い? 必ずリリを連れ戻すから」
心臓の震えがわずかに生じるも、気にしてはいられない。返事を待っていると、先に父が懸念を告げた。
「レンの気持ちは尊重してやりたいけど……魔術は未熟なんだろう? 何とか訓練でも出来ないかなぁ」
「……難しいかと思います」
自分が返すより先に、ルネイが考えを伝える。魔法を発揮する際はいつも緊急事態なので、恐らく鍛える暇もない。本番勝負で行くしかない現実にルネイも苦い顔をしていたが、ふと思い付いたのか顔を綻ばせて提案した。
「ぼくなら防御と治療の魔術を教えられます。それにレン姉さんに何かあっても、ぼくが守りますから」
確かにルネイから魔術を指導してもらえば、安全は保障されるだろう。両親も身を守る術があることに安堵したのか、心配を零しつつも自分が動くことを許してくれた。レジの奥から店員たちが顔を出していたのに気付いた父が駆け戻り、母も向かおうとしてルネイへ声を掛ける。
「ルネイくん、今日は前みたいに泊まっていきなさい? 寝る前に教えることも出来るでしょう」
励まされるように母から肩を叩かれたルネイが、わずかに驚きを示すもすぐに提案を受け入れた。
夕食を終え、店で仕事をする両親を見送ってからレンは自室にルネイを招いた。床に座って向き合う彼が、書物さえ見ずに指導を施す。「防御」魔術の基本は、ルネイも使うような壁を作り出すことだ。自分の周りを覆うような粒子の壁を瞬時に思い浮かべることが大事なのだという。慣れると自然に発動するらしいが、今のレンには実感が難しい。
ひとまずルネイの言う通りに念じてみたが、一向に変化は訪れなかった。窓の外でする風の音も、天井から放たれる照明の光も気にしないで集中しているはずなのだが。
「恐らく脅威になるものがないので、防御の意識も薄れているのでしょう。かといってレン姉さんに何か投げるのも申し訳ないです……」
首を横に振るルネイに魔術を見せなければ、そもそも教わっている意味がない。別の技について聞こうかレンが考えた時、背後の扉を叩く音がした。ルネイと同時に驚きの声を上げ、瞬時に体の周りへ柔らかい光が走る。
「ああ、ごめん。驚かせちゃったかな?」
顔を出した父に安堵するなり、レンを覆っていた淡い水色の粒子はゆっくり消えていった。差し入れだという茶を渡す父が、自分たちを交互に見て笑う。
「二人とも揃って驚くなんて、仲が良いんだね。案外お似合いなんじゃない?」
喉に流し込んでいた茶が、咳と共に吐き出されそうになる。レンはさっと口元を押さえ、ルネイにかっこ悪いところを見せまいとした。いきなり父は何を言い出すのか、恋愛はまだ早いと散々言ってきたのに。そんな自分へ、父はさらに恥ずかしいことを突き付けてくる。
「でもそう突っぱねる割には、リリさんとカルマくんを後押ししているよね」
いつか喫茶店で話していたのを、彼は見ていたのだろうか。そもそもこの時間は喫茶店と同じ建物で営む酒場にいるはずの父に、なぜここへ来ているのか問う。どうやらイホノ湖での騒ぎが報道されるようになってから、あまり客が来ていないらしい。
「きっと夜に出歩くことも不安なんだろうね。早く元に戻ってほしいけど」
憂いを醸し出し、父は戸を静かに閉めて去っていった。
「レン姉さん、さっきはお父さんが来ただけで壁を――」
足音が遠ざかった後、ルネイはが指摘しかけてすぐ黙り込んだ。自分が扉の音を聞いただけで防御反応を示したことを言いたかったようだが、彼自身もまた同じ行動を取っていた。
「今の話は、忘れてください……」
顔を両手で覆うルネイも自分も、些細なことで動揺していた。それがおかしく思え、レンは吹き出した後に笑い声を立てた。恥じていたルネイも、やがて表情を崩す。二人でひとしきり笑った後も、ルネイの口元は緩んでいた。
「もしかしたらレン姉さんの技術は、かなり高度なところまで行っているのかもしれませんね。何も考えずにあの壁を出せたのですから」
今回のようにすぐ魔術を発動することは、初心者にとって難しいことらしい。自分に才能があったとは驚きながら、誰かに自慢した気持ちが湧いてくる。だが真っ先に見せたいリリの近くにいないことが、ひどくもどかしかった。
「では、次は壁を応用して『治療』魔術を教えましょうか」
ルネイに従い、今度は傷を覆うために使う薄い膜を想像する。実物を見せてもらい、数回の練習で透明な膜を手のひらの上に広げられた。見た限りではぺらぺらしていて、頼りなさそうである。これを傷の上に被せれば魔術が働くと聞いたが、本当にそれが可能なのか。
「『治療』魔術の効果については個人差もありますし、不安に思うのも分かります。でも今は、出来ることをやっていった方が大事だと思うんです」
ルネイは未熟な自分のために、手を尽くしてくれている。ならそれに応えて、リリを助けられるほどの魔術を最低限身に付けなければ。レンは深く頷いて、指導の続きを求めた。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?