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ライニア乱記 神住む湖 第一章 迫る異変 七、カルマとセレスト

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 イホノ湖から連れて行かれた家の一室に閉じ込められて、一日が過ぎた。埃っぽいのをどうにかしたくても、小窓は高い場所にあり換気は期待できそうにない。扉は当然のように、外から鍵が掛かっている。奥のベッドそばにある椅子に腰掛け、カルマは痛む首回りを揉む。昨日はここに座ったまま寝ていたので、顔を上げるのもいくらかしんどくなっている。
 自分はただ、イホノ湖の事情を心配しているようだったレンが気になっただけだった。少しでも安心させてやりたくて様子を見に行き、誰もいないと思って帰ろうとしたらトープを名乗る男に腕を掴まれていたのだ。
 首を大きく回し、カルマは改めて室内を見回す。ベッドはあるのに、なぜか使うなと言われている。他にあるのは机と椅子、入り口と反対にある扉付きの大きな棚くらいで、暇潰しに使えそうなものは何もない。食事は今のところ三食きっちり出てきており、意外と美味なのだがそれしか楽しみがない。気を紛らわせるべく歌ったり踊ったりしていたが、うるさいと言われてしまった。
 夕食を終えてもやることはなく、適当に思い浮かんだ絵を壁に爪を立てて描こうとする。だがあまり削れず、痛む指先を押さえる。そこに扉が外から叩かれ、カルマは背を伸ばした。
「あなたはライニアの外で生まれたということで間違いありませんね?」
 現れたトープに、カルマは椅子に座ったまま頷く。サングラスで隠れた目元が、不気味な印象を与えている。
「では当然、神話も信じていないのでしょうね?」
 彼の言う神話とは、ライニア神話のことだろう。この国出身でないというだけで信仰心がないのだと、相手は決め付けてきた。トープがズボンのポケットへ手を入れた時、カルマは悪い予感を察する。
「神を信じぬ者など、この国には必要ありません。――約束を違えることにはなりますが、ここで消してしまいましょうか」
 男の左手に刃物らしきものが握られているのを、カルマは見逃さなかった。殺されるのは御免だ。向こうに分かりにくいよう椅子ごと少しずつ後ずさり、息を整えてから顔を上げる。
「ライニアっていう国名の由来は、イホノ湖に住む創造神の父だ。そうだろう?」
 持っている知識をカルマが明かすと、トープは足を一歩踏み出したまま動かなくなった。しばらくこちらを見定めるように凝視していた男が、やがて他に知っていることはないか問うてくる。ひとまず神話の物語を、冒頭から終わりまでざっくりと述べた。
 ここを遠く離れたシャンマ国の出身だからといって、ライニアに興味がないわけではない。七年ほど前にこの地へ移ってから、言葉はもちろん文化も学んでいた。家には神話にまつわる本がいくつかある。母国に伝わる宗教と同じ多神教なので、馴染みやすかったのだ。
 ようやく全て話し終えると、カルマをどっと疲れが襲った。このままベッドに倒れ込んでも良い。だが向かいの男はさらに険しい顔をして尋ねてきた。
「では、ワタシから何点か質問をさせていただきましょう。――雲が海から湧くのは、なぜですか?」
 科学に基づくものではなく、あくまで神話での説を求められている。汗の滲む手のひらを握り、軽く息を吸ってカルマは答える。
「月の神であるヨモロへの思いに敗れた天気の神・エインが海に飛び込んだから」
「――初代の王・リトーはどのように決まりましたか?」
「この島にいた当時は少なかった人を集めて円状に並べさせて、中央に『虹筆』をまっすぐ立てた。それの倒れた先にいた彼が、王に選ばれたんだ」
「……これで最後にしましょうか。湖に住む創造神・イホノは両性具有の神と伝わっています。それはなぜ?」
 今まで覚えていた答えを述べるだけだった問題は、一気に難しくなった。トープから視線を逸らしながら、カルマは考える。イホノの体にまつわる問題は、研究者の間でも複数の論があって答えが決まっていなかったはずだ。それをわざわざ中等学校の、しかも異国の生徒に見解を聞くというのか。ここは自分の意見が試されているのだと腹をくくり、カルマは男を見上げて答えた。
「創造神は海にいた他の神から協力を断られて、一人で島の全てを作り出さなければならなかった。だから男と女の両方の機能が必要――という風に考えられて……」
 まるで後世の人物が神話を作る際に考えた設定のようだと、カルマは口にしつつ思う。神話を厚く信じているらしいトープがどのような反応をするか、気になって仕方がなくなる。対して目の前にいる男は口元に拳を添え、しばらく考えているようだった。そしてサングラス越しに透ける赤い目が、こちらを見据える。
「……あなたのことは、しばらく様子を見ることにしましょう。どうやら、切り捨てるにはまだ惜しい人物のようですね」
 トープは刃物をポケットに収めていた鞘に仕舞うと、何事もなかったかのように部屋を出ていった。足音が遠くに消えてから、カルマは大きく背を椅子にのけぞらせる。口からは溜息が漏れ、速かった鼓動が落ち着くのを感じる。危ないところを、どうにか切り抜けられたようだ。
 緊張が解けると、今度は眠気が一気に襲ってきた。背もたれに身を預け、カルマは昨夜と同じ姿勢で眠り込む。それから数時間か経ち、扉の開く音で目が覚めた。トープかと警戒するが、現れたのは彼の助手だと聞かされていたイムトだった。彼はゆったりとした薄紫色のワンピースに身を包んだ女を、やや乱暴に部屋へ突き入れた。姿勢を崩しかけた女をカルマは支えようとしたが、彼女はすぐに持ち直してイムトへ振り返る。
「機会が来るまで、この部屋で待て。ここにあるものは好きに使って良い。もちろんベッドもだ」
 視線をベッドへ移していく女と、不意に目が合った。年は二十を過ぎた辺りだろうか。薄い色合いの髪は長く、日焼けを知らなさそうな肌も相まって儚いような印象を与える。身に付けている服は袖や胸辺りで生地の色が違っており、くるぶしまで隠す裾がいくらか土で汚れていた。裸足に底の低い靴を履いており、肌には小さな傷がある。いかにもお嬢様といった雰囲気をまとう人がなぜここにいるのか、考えていたカルマは女をじっと見ていたと気付いて目を慌てて閉ざした。
 イムトが去って扉に鍵を掛けると、この場に二人きりで取り残された。女は不安げに周囲を見回した後、床に座り込む。なぜ男と女で、部屋を分けてくれなかったのだろう。どこか気まずいものをカルマが覚えていると、彼女は突如忙しなく首を床の方へ巡らせ始めた。
「薬は……あれ、ないの?」
 探し物をする女は初めに周りの床へ手をぺたぺたと押し付けた後、自らの衣服を探りだした。ポケットのない腰部分に触れると、今度は深く顎を引く。そして胸元の布を引っ張って手を入れるところまで見そうになって、カルマは女に対して横になっていた椅子の向きを変えた。彼女へ背を見せる形になっている間、トープに尋問されていた時とは違う心臓の騒ぎを抑えるのに必死となる。
「……やっぱり、ない。もう、どうしてくれるの? 長年飲んでいるから、少しは大丈夫って思いたいのだけど」
「ないと困るものなんですか?」
 女の呟きが気になり、カルマはふと口を開いていた。姿勢を動かさず、彼女がさらりと語る言葉へ耳を傾ける。
「いつもだいたい決まった時間に、魔法を使えなくする薬を飲んでいるの。下手に使ったら、わたしはアレクに送られるだろうから」
 アレクがライニアの西にある島国だと、カルマは思い返す。そして後ろの彼女を一切見ていなくとも、ひりひりとした空気を感じる。人の使う魔法を構成する力――魔力は、強いと時にこのように感じられることがあるのだったか。感情や思考力とも等しく扱われる魔力は抑え込んでいるとやがて「覚醒かくせい」と呼ばれる暴走を引き起こし、ライニアにいては危険と判断される。そしてかつてこの国が支配していたアレクへと送り、人は二度と家族とも会えなくなるのだ。
「わたしが強い魔力を持っているんじゃないの。人のそれを無意識に吸って、溜め込んでしまうの」
「……『感応』能力ですか」
 彼女の特性を聞いて、カルマは思い至る。時に人は、生まれながらに特殊な力を持っていることがある。先天的能力と呼ばれるそれには様々なものがあり、中でも女の持つ「感応」能力は厄介なものだった。軽いものであれば人の感情へ機敏に反応してしまうことだけが問題となるが、ひどいと自らの心が他人の持つ心に支配されてしまうとどこかで聞いた。同時に魔力を吸い取り、彼女の懸念しているような事態を引き起こしかねなくなる。
 床を静かに踏む気配を感じ、カルマはゆっくりと振り返る。両手をすっかり下ろした女は、座っているカルマを上から下まで顔を動かしながら興味深そうに見ていた。
「あなた、どこから来たの?」
「シャンマから――じゃなくって、イホノ湖に行っていたら捕まったんです。あなたも?」
「わたしは家にいたのを無理やり連れて来られたのよ。神様なんていうのも出てきて、どうなるかと思ったわ」
 カルマに顔を近付けていた女が離れ、スカートをつまんで軽く膝を曲げる。名前を教えていなかったことを詫び、彼女は自らをセレストと称した。こちらも軽く自己紹介をし、ここに閉じ込められてから気になっていたことを尋ねる。
「俺が捕まったことについて、何か報道はされていましたか?」
「ごめんなさい、何も知らないわ。ニュースは見ないの。そこで話している人とかの意見に、感化されてしまうかもしれないから」
 世の中の動きを知ることも出来ないセレストが、ふと哀れに思えた。世間から切り離されたまま、彼女は生きていくのだろうか。それではひどく孤独だろう。
 部屋のどこにも時計がないので、今が何時か分からない。明日も学校へ通えないことを思っているうちに、大事な人の姿が浮かぶ。
「レンさんは大丈夫かなぁ。俺がいなくて寂しがってないかなぁ」
「あら、恋人の方?」
 セレストの言葉に一瞬息が詰まり、まだ片思いだと伝える。中等学校に入って一目惚れした相手は、魔術が使えないのに諦めず頑張っている。そんな彼女へいつも全力でぶつかっているが、結果は虚しいばかりだ。そんなつまらない話を、女は椅子の前で目をきらきらとさせて聞き入っていた。
 どうやら彼女にも、大切な思い人がいるらしい。フュシャという人とは三年来の付き合いなのだと、馴れ初めから楽しげに語ってくる。今まで他人の恋愛話などに興味を持っていなかったが、今はカルマもじっと聞き入って胸を弾ませていた。フュシャはそれまで能力によって落ち込んでいたセレストを明るく変えてくれたのだという。何と素晴らしい男なのだろう。
「あなたもそう暗い顔をなさらないで。帰ったらまた、正直な思いを伝えれば良いのよ」
 優しく肩に手を置かれる感覚に、カルマは小さく頷く。だが帰るにも、閉ざされたこの状況では絶望的だ。セレストを見上げ、思い切って提案する。
「セレストさん、大切な人のためにもここを出ましょう。二人なら知恵を出し合って、何とか出来るはずです」
「……そうしたいのはもちろんだけど、怖いわ。逃げようとしていることが知られてしまったら、どうすれば良いの?」
 小さく体を震わせる彼女を前に、カルマはそっと立ち上がる。そして椅子のそばにあったベッドを勧めた。柔らかそうな布団と枕も揃えられ、心を休ませるには持ってこいだろう。
「あなたは、使わないの?」
「元から俺のためにあるものじゃなかったんですよ」
 恐る恐る布団に体を入れるセレストへ片目を瞑る。椅子の上へ両足を持っていき、体を丸めて眠りの姿勢に入る。体がきつくなったら、また伸ばせば良いのだ。自分より不安な心を抱えているだろう人を、今は何とかしたい。セレストが顔に布団を掛け、寝息を立て始めたのを確認してからカルマも目を閉じた。

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