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ライニア乱記 神住む湖 第三章 ライニアの神 四、紛い物

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「時にイホノ神、今のライニアに住む民をどう思われますか?」
 トープがわずかに踵を浮かせ、神へ呼び掛ける。イホノはしばらく周囲を見回した後、一点を見据えて顔を動かなくさせた。レンがその視線を辿ると、セレストを見ていたアーウィンが立ち上がる。神の呼び出しを受けた男は、恐れさえ示さず相手を見つめている。
「我々の神話にも記されていない『野蛮人』が、この場で奏楽を行っていたなど。悲しいものです」
「ライニアの神への信仰はない。あんたにどう言われようが構うか」
 神の不満に反したアーウィンは、鞄から出した笛を持ち上げかけて止める。敷地に入ってしまえば鳴らないと思い出したのだろう。どこかやるせなさを滲ませるアーウィンから、レンはイホノへ向き直る。神というのは信心がないというだけで、人を切り捨てようとするのだろうか。疑問が声に出るより先に、トープがアーウィンへ告げる。
「ああ、あなたは不思議に思われたかもしれませんが。湖の周囲には結界を張っておきました。侵入者もこれで気付くことが出来ましたよ」
 周囲への設置で効果を発揮する要石を複数置いたことにより、神話に縁のない者は妨害されるようになっている。先住民族の男がどう思うか顧みないように、トープは彼を指差した。
「この人間こそ、あなたへの信仰がない者です。どうか裁きを」
 自らの「降臨」を願った男の頼みを受けて、イホノは足元に置いていた筆を持ち上げる。そして片腕では持ちにくいとして、リリをトープへ預けようとする。ようやく神の実在にも慣れ、レンは小走りでトープとイホノの間に入った。黙って創造神からリリを受け取り、奪い返そうとするトープの腕が顔面に飛びそうになる。攻撃を覚悟していた時、レンの前を青い光が走った。ルネイが手をまっすぐ正面へ伸ばし、「防御」魔術の姿勢でいる。
 フュシャに手招きされた先へ、レンはリリを運んだ。セレストの隣に彼女を寝かせ、落ち着いているのを確かめて顔を上げる。トープは「呼び水」が奪われたことなど気にしていないように、首を大きく振っていた。
「イホノ神、あの先住民やここにいない者は、皆神を信じておりません。架空のものだと嘲笑い、尊い名前さえ覚えていない輩もいると聞きます。斯様な人間を、排してはいただけませんか? ――その『虹筆こうひつ』をお使いになって」
 トープの言葉で、イホノの持つものがやはり「虹筆」だったとレンは気付く。祠にあった品とは大きさが明らかに違うものの、使い道は同じなのだろう。
 神はトープに期待して集まった人々を見やる。信仰があるか問われた彼らは、全員が一斉に肯定した。事件を解決するために訪れたはずの軍人や警察官も、信仰を認めている。それがレンには怪しくてならない一方で、トープは灰色の空を仰いで歓喜していた。
「ああ、これほど神が受け入れられていたとは! お喜びください。あなた方はまだ、存在を許されているのです!」
 両腕を広げて背をわずかに逸らし、信仰を続けた男は深い笑みを浮かべる。サングラスの奥にある瞳も、きっと輝いているに違いない。彼が片方の腕を軽く振ると、イホノがそれに合わせるように筆を掲げた。自然に光を放っている穂先は、雲間から覗く太陽に照らされてより輝く。このまま筆を用いて「信仰のない者」の排除を行うのか。思わず息を呑んだレンの耳に、銃撃音が飛び込む。
 畔にいた誰もが、イホノさえ筆を下ろして、呆然とするトープを見る。出血はなさそうなので、弾は当たっていないようだ。長めの銃を下ろし、ヘイズはゆっくりとトープへ歩み寄る。彼がいたことを、レンはすっかり忘れていた。
「そもそも貴方は、どのような原理で神を下ろした? セレスト嬢を使う策は潰えたように思ったが」
「あの少女も『呼び水』として機能するとは、期待半分でした」
 眠っているリリを一瞥し、トープは余裕を取り戻したように手を下ろす。信仰のある者から心を集め、イムトの「召喚」魔法を利用するところまでは予定通りだった。さらにリリが湖へ落下しそうになったことで、それを哀れんだ神が彼女を救うべく現れた。イムトの魔法では不十分だったのか問うヘイズに、トープは頷く。最高位の神であるイホノとその父は呼べないのだと。
 かつて魔法に苦労させられた男の名が出てきて、レンは彼と対峙した当時を思い返した。次々と本から出てきた怪しい存在は、本当に地震や強風を起こしていた。あれは神が持つ権能だったのだろう。しかしそんな強い力を持つ者も、シランにはあっさり斬られてしまった。
 最後に会った古城でも、「白紙郷」の長であったエティハには認められていないようだった。イムトの呼ぶものは、あくまで彼が想像して解釈している神だと団長は話していた。今はトープに洗脳されているはずなので、彼の思いが反映されているかもしれない。そこまで考えて、問いはレンから勝手に出てきた。
「イムト。前に団長から言われたこと、反省した? あんたの呼んでいた神様、紛い物なんて呼ばれていた気がするけど」
 いきなりの声掛けに戸惑っていたイムトは、すぐに顔をしかめた。
「おれはエティハさんのできなかった、神話の実現を果たそうとしてきた! 実際に神はここにいる! これでやっと、エティハさんを見返せるだろう!?」
「そのイホノ神、あんたの魔法で呼んだよね?」
「見ただろう、その通りだ! 少しはエティハさんを――」
「……何も変わってない」
 やはり、彼の魔法を使ったことが良くなかったのだ。レンは確信して、宙に浮くイホノを改めて見上げる。
「今いる神は、あくまでここにいる人――特にトープが望んだ性格の神様。多分、本来の姿からは捻じ曲げられている。きっと本当のイホノ神は、信仰心がないからって人を攻撃しようとはしない。もっと優しい神だと思うよ」
 神話の知識もまともにないのに、レンはそう口走っていた。根拠はないが、なぜか言い切れる自信がある。予想通り、トープは反論して食い付いてきた。
「馬鹿げたことを! 神は真にこの国を憂いて――」
 彼が指し示す神は、先ほどから輪郭が揺らぎかけている。時々乱れた画面のように体が歪んだかと思えば元に戻る。自分の推測は図星だったらしい。
 レンが小さく頷いた時、後方から物音がした。振り向くと森へ繋がる辺りの高い草むらが揺れ、中から人影が飛び出す。太陽の反射を受ける刀がイホノへ向けられ、その右肩を斬り付ける。傷を押さえてかがむ神の前に、紫の長髪を揺らしたシランは着地した。レンたちも知らないどこかで潜んでいたのか。
「神などあくまで、架空の物でしかないわ」
 前と変わらぬ言い分を、シランは唖然とするトープへ吐き捨てる。人が勝手に作った物語の存在を現実に現すなど、笑い話にもならない。女は常ごろから敵に立ち向かう時と同じ平然とした様子で、イホノへ刃を突き付けていた。トープはうろたえて神へ近寄ろうとするが、切っ先が動きそうになって止める。
「待て、イホノ神に何という罰当たりなことを! いえ、神を信じぬのなら影響はないのでしたか。しかしあなたがそうおっしゃられた点にはいただけません! あなたもまた、現代のライニア人でしたか!」
 シランは動じず、イホノの右上腕を横に傷付けた。肉体がある故に痛みを感じているのか、神は斬られた部位を押さえて歯を食い縛っている。その身から光はなくなり、今にも景色に溶けて消えそうだった。被害を受けるイホノへ動揺を強めたか、トープは本を手に突っ立っているイムトへ早口で指示を出す。彼の魔法で神を強化し、あの女など一撃で追い払えるようにしろと。
 イムトは素早く本をめくっているが、該当するページがなかなか見つからないのか手を行ったり来たりさせている。それに苛立つトープの怒号で肩を跳ねさせ、やっと呪文らしきものを唱える。紙面が光ると、薄くなっていたイホノの体が色を取り戻す。しかしその顔は、斬られた時と同じく歪んだままだった。このまま消えようとしていたところを留めさせられて、負荷が掛かっているようだ。
 右手に持ったままだった拳銃に、レンは力を込める。罰が当たるとすれば少し恐ろしい。しかし苦しんでいる神を放っておくこともまた悪いように思えた。無理をさせられている現状から解放して、元の日々へ戻ってもらいたい。仮初の神へ、そっと武器を向けた。
「イホノ神、どうか楽になって」
 目を閉じ、トープの声を聞き終わるより前に銃弾を発射する。特にものが当たったような音はしなかった。だが再び開けた視界の中で、イホノが微笑んでいる。痛みや憎しみなど覚えていないように、穏やかな表情だった。
「……感謝します、ライニアの少女よ」
 向こうの景色が、イホノの体に透けている。イムトが本のページを手繰っても、変化は見えない。一陣の優しい風が吹くと、それに攫われるように神は消える。レンやトープ、人々が見守る前で、偽りの存在は現実から追いやられていった。

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