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ライニア乱記 神住む湖 第三章 ライニアの神 六、「成就」魔法

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「ええ、良いわ。わたしが、みんなの願いを叶えてあげる――!」
 笑いを収めたセレストが確かにそう言うのを、レンは聞いた。人質として案じるべき対象だったはずの女は、今やこちらの懸念も無視するように言葉を唱えている。間もなくセレストのそばに白い光が灯り、大きさを増していく。やがてそれは人の形へ変じ、湖に還ったはずの神として現れた。
「……『成就じょうじゅ』魔法だ!」
 レンと同じく呆気に取られていたフュシャが、新たな魔法の発現を見抜く。まずいことになったと焦る彼女は、しかし神に対して行動を起こせずにいる。そこにセレストの名を呼んで、軍用車にいたはずのカルマがこちらへ駆けてきた。息を切らしてレンの隣で止まり、魔法を発現させた女の異常に戸惑う。
「セレストさん、一体何があったんですか! 魔法を使ったら、あなたは……!」
「これも、紛い物に過ぎないわ」
 シランが湖から出てきた神と同じように、セレストに生み出されたイホノへ斬り掛かる。だが刃が身に入っても、血は飛ばす手応えもないように見える。痛がるそぶりさえ示さず、神は平然としていた。シランがいくら傷を入れようと試みても、状況は変わらない。
「残念ながら、あなたに私を消すことは出来ません。私は人の思いを得て、天界で形を得た存在。この場だけでなくライニア全体の信仰を元に生み出されました」
 故にイムトの魔法のような、個人が思い描いただけのものではないのだ。銃弾に倒れた男を悲しげに見、神は理解が追い付きそうにない真実を話す。天界だのといった話は、最近の授業でも聞いたか。それでもレンには、すぐにぴんと来ない。しかし立っているのは紛い物でない本物の神だと、直感で分かった。先ほどにはなかった気迫と、対照的であるような穏やかさが同居している。自分を信じないから排するという残虐さなど、一切感じ取れなかった。
「愚かな人間の創造物など、認めないわ」
 シランが神を睨み、攻撃を続ける。それでも神は全く動じない。シランの刀裁きに狂いはないが、同じ箇所を斬り続ける様からは戸惑いが感じられた。集まる人々がイホノに対して、本物の神だと声を上げる。その反応に、イムトが一度「降臨」させていたとは知らないカルマが疑問をぶつけた。
「本物の神って何だ!? 神に偽物とかがある?」
 レンが事情を説明しようとして、イホノの話に遮られる。疲労のせいか動きの遅くなったシランへ、優しい声を掛けていた。
「あなたが持つのは『制裁』魔法――人間の同調圧力には敵わないものですね。わたしへの認知がこの世からなくならない限り、わたしを葬ることは出来ません」
 断言されたシランが、ようやく斬撃の手を止めた。いったん腕を下げて息を整え、少しして人々を振り返る。軽蔑の意思が、黒っぽい灰色の瞳に籠もっていた。
「それなら、作り話を信じた愚かな人間を、まとめて斬りましょうか」
 危機感を抱き、レンは即座に壁を集団の前へ広げた。広がる青の粒子を打ち壊さんと、シランは刀を構え直している。敵意を感じた人々が悲鳴に似た叫びを上げる中、神を見つめていたセレストが走りだし、彼らを庇うように立ち塞がった。
「お願い、みんなを傷付けないで! この方たちは、本当に神を望んでいたの!」
「彼らはトープに洗脳されて、一時的に熱狂していただけよ」
 シランが地面に置いていたトープの本へ向かい、迷いなく刀を突き立てる。慌てて拾いあげようとしたトープも、彼女に足元から蹴られて倒れ込んだ。書物にいくつか傷が入った後、明らかに人々の反応が変わった。まず、イホノを指差して誰だと尋ねる者がいる。今まで崇めていたはずの存在に対して驚き、自らがなぜここにいるのか自問する。魔法のもとになった道具が壊れたので、トープの施していた「思い込み」が消えたのだろう。
 レンが考える先で、セレストが目に涙を浮かべていた。願いを聞き入れた人々へあれが神だと示しても、知らん顔をされている。
「そんな……わたしは、みんなを思ってやったのに……!」
 顔を両手で押さえ、セレストは指の隙間から泣き声を漏らす。そんな彼女へ、カルマが近寄って励まそうとしている。
「セレストさん、もうやめましょう。これ以上魔法を使ったら、体が持ちませんよ」
 優しい声色のカルマは、しかし俯くセレストにはなかなか届いていないようで苦戦している。その間に、今まで洗脳されていたと思しき軍人たちも動きだした。ヘイズの指示を受けて、トープに集められた人々の誘導へ取り掛かる。だが兵の一人がシランに背後から斬られて倒れたことで、状況は急変した。
「これ以上過ちを犯さないように、彼らは殺すべきでしょう」
 シランはまたそのようなことを言うのか。再びの恐怖に怯える人々の心を読み取り、レンは刀を軽く振る女へ訴える。
「この人たちは、そうしたくてトープに従っていたわけじゃない! 魔法で洗脳されて――」
「そもそもトープの行った集いに加わったのは、彼らの意思よ」
 シランの言葉には、賛同も多く集団から聞こえてきた。こんなことになるとは思っていなかったのだという戸惑いも耳に入る。レンの張った青い壁が、はっきりと揺らぎだす。魔法の根幹である心がぶれかけているからだと分かっていても、群衆の声に押されてしまう。
「それに彼らが『感応』の女を苦しめた事に変わりはないわ。彼女は恐らく、制御を学んでいない魔力が多量に流れ込んできて、下手をすれば覚醒を起こす。もしかしたら寿命も長くないでしょう。同情するつもりはないのだけれども、人を殺そうとした愚かさを思い知るが良いわ」
 そうしてシランが刃を振り上げるなり、セレストがまたも止めに入った。急に飛び出してきた彼女の服が、わずかに切れる。邪魔だとシランがセレストの袖を掴んで投げ飛ばすと、イホノの姿が一瞬だけ消えた。そこで察したか、刀を持つ女は起き上がろうとする者の喉へ切っ先を突き付ける。
 恐らく今いるイホノが留まっている要は、セレストだ。彼女を殺して、愚かだと見做す神を消すつもりなのか。レンがシランに声を掛けようとした時、カルマが二人の女に割って入った。セレストを守るように立つ彼も、冷たく光る刃が狙っている。だが少年は恐れずシランへ叫んだ。
「さっきからトープにつられて来た人とかセレストさんとか殺そうとしてきて……それであんたは満足なのか!? 愚かなのはそっちだ! 何でも殺せば全て解決できるなんて思うな!」
「……こうする他ないのよ」
 カルマの怒りも虚しく、シランはセレストへ刀を下ろそうとしている。レンはさらに壁を作ろうとして、突如吹いてきた強風に体を煽られた。直後にカルマとセレストの体が浮き、シランの凶刃を逃れて自分のもとへ転がってくる。
「壁の方は、あなたがたに任せましたよ」
 筆を持ち直して穏やかに言ったイホノが、カルマたちを助けたのか。しばらく実感の湧かずにいたレンは、後ろで袖を引かれて我に返る。ルネイがレンの張った壁の前に、もう一枚壁を広げる。その奥ではヘイズら軍人や警察たちが人々を湖の外へ導いていた。
 姿勢を立て直したシランが、真っ先に壁へ向かっていく。距離を取っている間は刃から灰色の衝撃波を出し、接近すると上下左右へ武器を振るう。カルマとセレストを背に隠し、レンは壁の維持に努めた。ヘイズたちについて行く者たちの数は減っていくが、刀の刺激は収まりそうにない。そして壁に入ったひびが全体へ広がろうとしていた時、カルマがレンの横に移って右手を伸ばした。赤い光が傷へ治すように入り込む。得意だとよく自慢している「強化」魔法だろう。普段は信じられずにいたその力が、とてもありがたかった。
 やがて軍らによる誘導は無事に終わり、集っていた人々の姿は湖から消えた。もう神を信じている者はいないはずだ。それでも神は形をそのままに、湖畔をゆったりと歩き始めている。
「ああ、神よ……。ついに本当に、この世に下り立ったのでございますね!?」
 魔法が使えなくなったことも気にしない様子で、トープがイホノのもとへ向かう。神の前に回り込むとその両手をそっと包み込もうとするが、手触りもないようにすり抜けていく。それでも喜びの涙に顔を濡らし、彼は鼻下を袖で拭ってから提案した。
「ぜひあなたのお力で、この国に信仰を復活させましょう! また誰もがあなたを知っているように――」
「それは出来ません、伝道師よ」
 あまりに呆気ない断りに、トープは身を硬直させ、レンも驚きを隠せなかった。人々を追って湖を出ようとしていたシランも立ち止まり、イホノへ振り返る。刀も鞘へ入り、もう脅威は去っただろう。人を守っていた魔術を解き、レンは神が話すことに聞き入った。

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