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ライニア乱記 神住む湖 第二章 平穏と騒動の狭間で 二、動くべきか否か

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「――それで、君には言っておきたいと思ったんだ。放っておいたら、より大変なことになるかもしれない」
 丸テーブルを挟んで向かいに座るアーウィンの話は、レンにとってもにわかに信じ難いものだった。隣に座るリリも、カップの中身をほとんど減らさないまま身を乗り出している。「白紙郷」のエティハに続いて、またも神話を実現させようとする者が現れるとは。しかも今回は、本物の神を呼び出そうとしているようだ。消却神話の再現が失敗したというのに、トープの思惑は叶うのだろうか。
 学校の終わった昼過ぎの喫茶店内に佇む周りの客は、各々が読書をしたり楽しげな会話を交わしたりと、明るい雰囲気を醸し出している。事件を深刻に考えているこちらが取り残されているように思えて、気分を変えるべくレンは皿に載った飾り気のない四角い焼き菓子・クオルにフォークを入れた。
 怪しい計画には、アーウィンが今朝会ったイムトも協力しているのか確認する。肯定が返った後、レンは菓子の欠片にフォークを刺したまま手を止めていた。イムトといえば「白紙郷」の一員として、この喫茶店を含む建物や人を消して回っていたのが記憶にある。一方で本拠地では団長に突き放され、軍に捕らえられたかと思えば逃走していた。彼が神を下ろすことに関わっていると聞いて、レンには先ほどからぼんやりとした懸念があった。どうもイムトを頼っていると良くないような気がする。
「……カルマくん」
 リリのか弱い呟きで、レンは我に返る。菓子を口に入れつつ、リリが相変わらず悲しそうな顔をしているのを眺めた。カップの茶がすっかり冷めているのも忘れて、友は捕らわれた同級生を案じている。やはり彼女は、カルマをただの友人や一生徒としては違う目で見ているのではないか。ぼんやりと湧く考えは、アーウィンの声に遮られる。
「この前に捕まったのは、リリの知り合いなのか?」
 話も聞いているか怪しい様で黙っているリリに代わり、レンはカルマが同級生であると明かす。アーウィンはすかさず驚きを示し、菓子を刺していたフォークを落としかけてすぐ難を免れた。
「捕まっているといえば、アーウィンさんの言っていたセレストさんはどうなんだろう」
 先ほどの話を思い出して、レンは疑問を零す。昨夜に拉致されたという女については、今朝から大きく報道されていた。魔法で操られていたと後になって気付いた彼女の家族が涙ながらに悔やんでいた映像が、脳裏に再生される。アーウィンによれば、セレストという女は「感応」能力に目を付けられたそうだ。
「能力っていうのは、魔法とも違うんですよね?」
「ああ、あれは人の心によって後天的に現れる『魔法』とはもちろん別物だ。その人の価値観にかかわらず、物心つく前から発動していることもある」
 レンの問いに、アーウィンはすらすらと答える。セレストは人の感情に敏感で、その影響を受けやすいらしい。下手をすれば一人では抱え切れない魔力を溜めて覚醒という現象を起こし、暴走するかもしれない。そして家族とも引き離されてライニアを追い出される――覚えている限りの事実が、レンの心を冷やしていった。
 そして敏感というと、レンにはルネイが思い出される。彼はあらゆる五感の刺激から守ろうと、粒子で出来た強固な壁を身の回りに広げていた。旅をしているはずの彼は、元気にしているだろうか。探している人は見つかったかなどとレンが考えているうちに、横から袖を引っ張られる。
「どうしたの、レンちゃん? ルネイくんのことが気になる?」
 いつの間にかリリは血色の良くなった顔で自分を覗き込み、上の空だったと指摘してくる。ルネイについては頭の中で考えていただけのはずだったが、声にも出していたのか。恥ずかしさとかっこ悪さに身を縮こませていたレンは、素早く顔を横に振った。それになぜかアーウィンが笑ってくる。
「ルネイが弱いのは、光や音といった体に直接響く刺激だろう。セレストの方は、また別の精神的な刺激だ」
 人の些細な怒りや悲しみを感じ取り、我がことのように感じてしまう。心を読むのとも違う、感情が他人と一体化した独自の苦しみが「感応」能力を持つ者にはあるのだろう。語り続けるアーウィンの詳しさが、レンにはかっこよく感じられて褒めずにはいられなかった。
「何、セレストのことはあくまで推測だ。俺たちアンフィオにも、昔は様々な力を持つ人がいたんだけどな」
 空になったカップと皿を元の場所から少しずらし、アーウィンは目線を外の見える窓へ向ける。今はもっぱらミュスと呼ばれているこの国の先住民族・アンフィオの中には、自然の中にある些細な音を聞き取れたり神や妖精が見えたりした者がいたらしい。彼らの信じる独自の神もいたが、今やほとんど信仰されていないとアーウィンは嘆く。
「さっきの能力だけじゃない、民族にとって誇りだった音楽魔法も、多くが使えなくなっている。このままじゃ、俺たちは滅ぶぞ――!」
 ライニアの古語で「音楽」を意味する言葉「ミュス」で、先住民族は呼称されてきた。それほど音楽魔法は、後に入ってきた者たちにとっても特徴的だったのだろう。貴重な技がなくなってしまうのは、レンにとっても残念だ。そしてアーウィンの危惧にも強い共感を覚えた。
「トープの計画は、何としても止めなければならない。このまま『野蛮人』の神話を押し付けられて堪るか」
 さすがに「野蛮人」云々は考えたことはないが、事件に不安を抱いているのは同じだ。イホノ湖で騒ぎが起きているせいで、皆が混乱している。これはもはや日常の乱れた状態――非日常ではないか。
 何気なくレンは膝上に載せていた手を持ち上げ、開いたり閉じたりしていた。もし今が非常事態であれば、ここで「錬成」魔術も使えるのではないか。作りたいものを頭の中で探ろうとして、アーウィンの声で自分を取り戻す。
「待て、ここで君が魔法を使ったら周りが驚く。君の事情は、ご家族や常連なら知っているんだろう?」
 アーウィンが止めるのを前に、レンは手を引っ込める。かっこいいところは見せたいが、ここにいる人々を混乱させたくはない。忠告に感謝すると、アーウィンは笑みを浮かべて店を去っていった。
 本来の目的である手伝いを果たすべく、レンは素早く卓上の食器を片付ける。リリを席に残したままレジの奥にある台所へ入り、テーブルを拭きに戻りながら考える。アーウィンも具体的な手段は分からないとはいえ、動こうとしているのだ。魔法の使えるかもしれない今に、消却事件の時のようにどうにかしてみようか。とはいえ当時は、ほとんど成り行き任せだった。今回もそう簡単ではないだろう。
「わたし達、何か出来る?」
 何気なく言った言葉を、リリは鋭く聞き付けたようだった。わずかに俯いていた顔が上がり、声もはっきりと提案してくる。
「私にも手伝わせて! カルマくんを助けて、またあの楽しい時間に戻ってみようよ!」
 すぐに止めてくるかと思ったリリの反応に、レンは戸惑ったまま固まる。友は話すだけでは飽き足らなかったのか、立ち上がってこちらと視線を合わせてきた。カルマを助けたい気持ちは理解できる。加えてリリが彼を思っているのなら、心配してしまうのはなおさらだろう。
 だが動くとして、一体何から手を付けるべきなのか。そもそも自分の魔法さえ、まだ使えるようになっているかはっきりしていない。赤い瞳をぱっちりと開かせている友へどう返そうか悩んでいると、母が軽く背をかがめて近付いてきた。手伝いが途中だと叱られる。それを警戒して肩に力を入れていたが、用件は別のことであった。
「レンを知っているっていうお客さんが来たの。あの人、心当たりはある?」
 母の指差す扉の方を見て、レンは声を上げそうになった。武器を腰に巻いた布へ差した物騒な姿で、シランが母の返事も待たずにこちらへ向かってくる。リリが再び袖を引き、小声で早口に言ってきた。
「シランさん、絶対に私たちのやろうとしていることを止めに来るよ!」
 焦りを隠し切れていないリリに頷き、レンはシランへ接客を行う。挨拶もそこそこにし、新しい客人はアーウィンの座っていた席へ迷いなく座った。

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