死には平和を 第一章 生者必滅 三
「鎌刃さんの期待もかかっていますよ。有益な情報を集めてきてくださいね」
そう話した「父」の言葉も、園朝貴にとってはどうということもなかった。個人で久遠を製造する職――かつてこの世界で信じられていた神に近しい所業を行うことから「如神」と呼ばれている佐味譲にある仕事を下されたのは、ごく最近のことだ。彼の提案通り、人手のない「逆刹那」を懸念してそこに入りたいと別瀬には連絡を入れた。そして相手と接触を図り、人類滅亡を阻止するために役立つ情報を手に入れることが、園に与えられた役目である。
数日後に別瀬は、「逆刹那」への入会を検討するとして遠隔での面談を求めてきた。創造主と離れて一人で暮らす集合住宅の一室で、園は薄い端末を置いた机前に佇む。椅子に腰掛けて誰も映っていないホログラムを凝視していると、やがて無地の仮面で顔全体を隠した者の姿が現れた。首から下はよく見えない。こちらも衣服は気にしなくとも良かったかと、園は長ズボンの上に履いた逆十字模様のスカートを撫でる。
『あなた、人間?』
加工されていても自然に聞こえる声で問われたのは、自分が相手にとって滅ぼすべき存在であるかということだった。園は迷わず返す。
「見ての通り、宇宙人です。歯車星から来ました」
故郷の星に、人間と久遠の違いはない。そう告げても、画面の向こうにいる者は怪訝な声を出すだけだった。歯車星など本当にあるのかと。
『わたしが人類を滅ぼして、久遠だけを受け入れたいとはわかっているでしょう?』
園は肯定し、佐味に教わった言い訳をそのまま話す。人間には疑問がある、本当にこのまま存続していて良いか甚だ疑わしいと。まっすぐこちらを向いていた別瀬が、わずかに姿勢を前に倒す。
『確かに人間って、おかしな存在よね。この前、わたしの久遠が政治家を殺したこと、覚えている?』
今年に入って間もなくに起きたことだと、園は記憶している。重要な地位にも付き、多大な影響を与えていた政治家の死に、彼を批判していた政党の者も哀悼の意を示した。それが別瀬には気に入らないのだという。
『議会であんなにうるさく罵っていたのに、死んだとなったら遺憾だの犯人を許さないだの言うなんて、筋が通ってないわよねぇ? まったく人間なんてのは、おかしいものだわ』
「……はい。久遠が活躍している中で、彼らのいる意義はあるのでしょうか。何もかも機械や久遠に任せれば良いのに」
久遠はおおよそ、間違いというものを犯さない。ならばより人間に比べて有能と言えるのではないか。政治さえ人工知能に任せれば、より正しい方向へ進むかもしれない。淡々と話す中、園は生みの親に思考を巡らせる。佐味譲は何を思って久遠を作り、この言い訳を用意したのか。
やがて会話が途絶え、別瀬がじっと動かなくなる。その姿が消えたかと思えば、ホログラムの中に損傷の激しい機械の部品が投げ込まれた。今年の初めに破壊された久遠の一部だったものだという。その破壊が別瀬を挫くため佐味によって行われたとは、この場で言うのは憚られた。
まだ「逆刹那」が久遠社会の発展のみを掲げていたころ、「五尺ノ身」はそこから支援を受けていた。しかし少女惨殺をはじめとする別瀬の凶行に眉をひそめた鎌刃が、部下の佐味に「逆刹那」で働く久遠の破壊を命じたのだ。今や組織は、大きな打撃を受けているに違いない。
『こんなふうに破壊された久遠が、それはもう大量なの。あんた、これをまとめてデータにしなさい。この施設には一切来ないで』
そう指示を下された翌日には、園の利用する端末に久遠の資料が届いていた。どのように壊されたか、特に損傷の激しい部分はどこか、容姿の際立った特徴は何か、数百体はあると思われる久遠の情報を一つ一つ入力していく。別瀬はこの作業に長く時間が掛かると見ているだろうが、園はそれを裏切るつもりでいる。何せ久遠には、食事も睡眠も必要ない。休みを一切取らず、その日の夜には完成した資料を別瀬へ送信した。
『この資料、本当に正しいんでしょうね?』
映像に映る別瀬の表情は、相変わらず知れない。だが疑っているという点は声で明らかだ。気になるなら自分で確かめるよう園が勧めると、難を逃れた久遠に任せるとされた。
そして続く仕事として、雑用を求められる。現在ではほとんど機械に任せられている室内の清掃や、別瀬に代わった「逆刹那」に対する電話対応といったことを、ただこなしていく。人類を滅ぼすことへの批判で、電話はなかなか鳴りやまない。人類滅亡を企てるなど恥ずかしくないのか罵倒する通話相手にも、園は冷静だった。
「疑問があるなら、別瀬に直接聞いてください。私にその意思はないので」
数日経つと、備品を補充するために「逆刹那」の拠点とする一施設へ入ることを許された。すなわち別瀬に会える可能性も高いと園は踏んでいたが、自宅より数駅離れた四階建ての建物でなかなか見つけることは出来なかった。
壁の薄い黄色が天井の照明に眩しい廊下を行き、時々人型の姿とすれ違う。きっと自分と同じ久遠に違いない。こちらを嫌いな人間と見ているなら、久遠たちがやるべきことをわざとさせて嫌がらせでもしているのだろう。これからが久遠の時代だと豪語していた者がそうしていることは奇妙だが。
廊下に入ってから何個目か分からない扉の前で途方に暮れていると、顔の横を黒い箱型のものが掠った。床に音を立てて落ちたものを見返ると、小型の機械が内部の構造をむき出しにして破壊されている。拾おうとした動きは、前から飛んできた加工音声に止められた。
「もう一度聞くけど、あなたは人間なの?」
「歯車星人です」
「嘘でしょう」
軽く突っぱねられ、仕方なく佐味に指示された通りに人間を称する。
「わたしを殺しに来たの?」
「いえ、あなたに頼まれて雑用を果たしに来たまでです」
挑発気味に問うてきた別瀬は、人前で仮面を外す気がないようだ。後ろでまとめられていると思しき黒髪の上には、園から見て右側にアザミをあしらった飾りがある。それを隠すように別瀬は上着のパーカーをさっとかぶる。前のファスナーもしっかり閉めていた。底のさほどないブーツでしばらくその場を歩き回っていた別瀬は、やがて仮面の正面をこちらに向けた。
「いいわ、過労死させてあげる。大人しく死ぬならともかく、生きようとするなら罰を与えてあげるわ。生きているのはくだらないもの。ここに留まって、わたしがやれと言ったことだけをやりなさい。脱走したら見つけだして殺すから」
ついて来るよう言われて従い、一つ上の階にある部屋へ案内される。今の時代には珍しく、複数の本棚が壁に沿って並んでおり、そこの整理を頼まれた。音を立てて戸が閉められ、一体で残されたところで園は床に散らばった本を拾い上げる。今やわざわざ紙に印刷して資源を無駄にするよりも電子書籍で事足りるのに、なぜこうした紙束が無数に棚へ収まっているのだろう。この世界で下に見られる「外れ者」がそうであるように、実物がないと落ち着かない性分なのか。
部屋の隅には、分厚く幅も大きな科学書が放り出されていた。持ち上げると重さが腕に伝わり、息をつきたくなる。これも電子化すれば、持つ負担を考えなくて済むのに。ひとまず本を棚の上に置き、紙の間から黄色い付箋が何枚か覗いていることに気付く。何気なく示された部分を開くと、毒ガスにまつわる情報が歴史から製造法に至るまで詳細に記されていた。色の付いた線が引かれている箇所もある。別瀬はこれを参考にするかもしれない。
後方で扉の開く音がし、園は再び本を持ち上げて棚に収まりそうな場所を探した。別瀬が自分の持つ書物を指差して尋ねてくる。
「あんた、盗み読みはしていないでしょうね?」
すかさず否定しても、向こうは疑いを消さない。本を開けば指紋が残っているはずだと、加工されていても分かる自慢げな声で告げる。それも指紋のない久遠にとっては、気にすべき問題でもなかった。
「肝が据わっているのね、何にも驚かないなんて」
本を仕舞い終えた園に、別瀬は畳み掛ける。
「本当は久遠じゃないの? 最近はいろいろ、それこそ感情豊かな久遠だっているって聞くわよ」
それを今悟られてはならない。本当はすぐさま真実を明かしたい思いを抑え、園は首を振る。
「ただの歯車星人です」
「……全部、名前順に並べ直しておきなさいよ」
再び戸が閉められてからも、園は苦労を思うことなく役目を果たしていた。
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死には平和を 第一章 生者必滅
人類を脅かそうとする別瀬(べつせ)の討伐を意気込む八代立永(やつしろたつなが)に対し、鎌刃張架(かまははるか)は一つの依頼をしてきた。人類…
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