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誰かの承認や指示がなくても自ら気づいて行動することの本質について考えてみる
自身が体系化された構造構成主義という、あらゆる学問の原理となる理論に沿って、ふんばろう 東日本支援プロジェクトを運営された西條剛史さん。
第56回TTPS勉強会にて、西條さんの取り組みやお話を元に「誰かの承認や指示がなくても自ら気づいて行動することの本質」について学びました。
「本質」とは何か。
西條さんのお話はここから始まります。
価値とは何か。
方法とは何か。
理論とは何か。
人間とは何か。
こうした抽象的な問いは役に立たないと思われがちだが、こうした問いをつきつめ、その本質を捉えることで認識が明晰となり、行動が変わる。
「本質」の反対にあるものは何か。
それは、表面化しているもの、目に見えているものである。
目に見えているものだけにとらわれ、本質を見失い、目的がそこからぶれていった時に何が起こり得るか。辻褄が合うように、あるいは説得することそのものが目的となり、事実の改ざんが起こり得る。そこに労力の3割を割き、変だと思いながらもやめられず、次第に疲弊していく。
では、人間の本質とは何か。常にそれを念頭に起きながら進めると、物事は進むべき方向に進む。
西條さんのお話を聞きながら自分なりに解釈をしたので、どこまで理解が合っているかはわかりませんが、こんな風にお話を受け取りました。
何が起ころうと、それしか起こることはない
本質について、西條さんのお話を聞きながら思い出したのは、オープン・スペース・テクノロジーという、話し合いの技法にある原理です。
1985年ハリソン・オーウェン(Harrison Owen)氏によって提唱されたオープン・スペースの原理は次の4つ。
1. ここにやってきた人は誰でも適任者である
2. 何が起ころうと、それしか起こることはない
3. それがいつ始まろうと、始まるときが適切なときである
4. それが終わったときは、本当に終わったのである
当たり前やん。
って、私は思ってました。
実際に、オープン・スペース・テクノロジー(OST)を体験したことがあります。
戸惑いました。
誰かの「さぁ話し合いを始めてください。25分後にテーブルの意見をまとめて発表してください。」
の掛け声を待つ自分に気づきました。
OSTでは、誰がテーマオーナーとなりそのテーブルで話し合われるテーマを決めても構いません。参加者は、どのテーブルについても構わないし、テーブルにつかず、蝶のようにひらひらと各テーブルで話し合われている様子を眺めてもかまいません。
途中で席をたち、違うテーブルについてもかまいません。たとえそれが最初にテーマオーナーとなった人であっても。
テーマオーナーが1人きりになるテーブルもあります。そのとき、1人で話し合いのテーマに取り組んでもかまいません。もちろんテーマを取り下げて他のテーブルについてもかまいません。
初めてOSTの場に参加した時、少しの居心地の悪さというか、地に足のついていない不安を私は感じました。どこかのテーブルにつかねばならない気持ちになりました。
最初にファシリテーターから、OSTの意味と原理、参加者の役割分担を聞き、それが許される場(むしろ求められる場)であるとの参加者感の共通認識があると知っていなければ、私は無意識にいずれかのテーブルにつき、指示があるまで席を移動することなくその場にいたことでしょう。
話し合いのテーブルをもつのは何のためか
「ここに私が参画したいテーマはない、意見もないけれど、いなければならない気がしてるから、いる」「途中で席を立ったらオーナーに悪い」「テーマオーナーが1人でテーブルに座っていたら気の毒」と、目の前にあることや自分の頭の中の常識にとらわれたら、話し合いの本質からズレたところに労力を割いている自分に気づきます。
こうしたシーンを否定したいわけではなくて、この労力が無駄ではなく必要な時ももちろんあります。
OSTの目的は、人によって考えが様々で衝突が起こりやすい状況にある時、短時間で問題を共有し、参加者の主体性を最大限に引き出すことで、全員がコミットしたアクションプランを創り出すことにあります。
最短距離でゴールに向かうために、話し合いという場に持ち込まれがちな様々な思惑を取り除き、参加者の思考リソースを話し合われるべきテーマに集中させる必要がある。その場に求められる話し合いというものの本質から人の思考がブレないための仕掛けとして、この4つの原理が定められているように思いました。
何が目的なのか。何が自分にとってその時点での最大の関心ごとなのか。
それによって、人の行動は変わるんだ、誰かの最大の関心ごとを引き寄せることが誰かの力を借りて物事を成し遂げるときには鍵なのだということを、過去の自分に当てはめて改めて気づいた1例でした。
シンプルが1番難しい
西條さんのお話を聞いて、正直最初は「なんだそんなことか。普通のことじゃないか?」と思った自分がいました。(すいません・・・)
「普通なのね。じゃあ、やればいいやん?」
と声をかけてくる自分がいます。
「いやでも実際はいろいろあるやん?そうできないことも、あるんよ。」
と、できない理由を並べて行動しない自分がいます。
本質をつきつめていくと、一見複雑にみえる物ごともシンプルに見えてきます。けれど、そのシンプルなことを「徹底的にやる」ことは、意外とできていない。
本質をみればシンプルなことに対して、様々な理由をつけ複雑化しているのは私自身なのかもしれません。
本質学というOSをどう自分に実装していくか。
西條さんのお話は、今回は導入のほんの1部でしかなく、その先には深い世界が広がっているように感じました。
誰かの承認や指示がなくても自ら気づいて行動することの本質
勉強会テーマに戻ります。
やりたいからやる。その行動が自分にとって意味がある、価値があるからやる。
私はそんな風に考えました。
だから、誰かに自律的主体的に行動して欲しい時、相手の関心ごとに注意を払い、それに沿うような状況や環境を整えればいい。
シンプルです。
当たり前に見えます。
でも、やっぱり実際やるのは難しい!
難しくしているのは、自分自身なのだけれども。